タイトル:大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に
編集:土方明司(
平塚市美術館)、江尻潔(
足利市立美術館)、瀬尾典昭(
渋谷区立松濤美術館)、木内真由美(
長野県信濃美術館)
デザイン:川野直樹
発行:
美術館連絡協議会
発行日:2008年2月2日
金額:2000円
内容:
平塚市美術館、足利市立美術館、渋谷区立松濤美術館(2008年6月3日-7月21日)、長野県信濃美術館において開催された<大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に>展の展覧会図録。
「河野通勢-奇想と見神のすべて」瀬尾典昭(渋谷区立松濤美術館主任学芸員)
「絵空事師・河野通勢-その挿絵と装幀」岩切信一郎(東京文化短期大学教授)
図版
Ⅰ.初期風景画と裾花川
Ⅱ.自画像と様々な展開
Ⅲ.聖書物語
Ⅳ.芝居と風俗
Ⅴ.銅版画
Ⅵ.挿絵と装幀
Ⅶ.資料
河野次郎年譜
参考図版
「河野通勢-長野の青春時代」木内真由美(長野県信濃美術館学芸員)
「河野通勢・画風の変化とその背景について」土方明司(平塚市美術館館長代理)
「ダイモーンの声」江尻潔(足利市立美術館学芸員)
河野通勢年譜
河野通勢 大正五年のノートブック(抄録)
河野通勢 日記(抄録)
裾花川ノ夕
主要展覧会出品記録
主要文献目録
出品リスト
付録資料「白樺主催河野通勢個人展覧会目録」原稿
購入日:2008年7月12日
購入店:
渋谷区立松濤美術館
購入理由:
粘りつくような写実的な絵画を描きながら、超現実的な光景が圧倒的な存在感で現前する河野通勢の奇跡の絵画。二十歳代前半に長野で描いた風景画はダ・ヴィンチ、デューラーの影響など消化しつくし、まるで天上の世界を描いたかのような聖性の絵画として存在している。
わたしはいつもほんとうにすばらしい絵画と出会うと怖ろしくなる。なにか見てはいけないような、近づいてはいけないような気配を感じてしまうのだ。河野の絵画にはそのような恐れと見る喜びが同居している。理性では見ることに慄きながら、身体は見ることを望んでしまう。いや、望むというより吸い寄せられてしまう。ときどき思う。絵画は物質・ものではあるが、生きているのではないかと。大正時代の作品など古臭く感じられてもいいはずだが、河野の初期絵画は私には生き、呼吸しているように感じられるのだ。絵画が呼吸するリズムに飲み込まれ、同調していくことで画面に引きづり込まれていくこの感覚は圧倒的だ。例えば、代表作「裾花川の河柳」(1915)を見てみよう。この草木のうねり、風の動きは視線を細部に誘い、眼を離させない。さらに今回新発見された素描は風景空間を圧倒的な情報量で描き出し、鑑賞する私たちを絵画空間から現実へと押し返し現実の様相を変えてしまう。迸る奇想がスパークする聖書シリーズ、視線の往還運動が慈愛へと昇華する自画像連作などここ最近ではもっとも充実した大大大傑作。おそらく地味に展覧会も終わり、ほとんど知られず見られず忘れられてしまう展覧会かもしれない。だがいい。いまの私には河野通勢が必要だった。ただそれだけだ。
しかしそれだけに、2階展示室での挿絵・装幀、油彩作品はやはりもの足りなかった。同じ人物かと思うくらい作風が変化してしまい凡庸な印象を受けてしまう。それだけが残念で悔やまれる。ただ私に理解できる力がないだけなのかもしれないが・・。W・ベンダースの映画「ベルリン・天使の詩」に例えれば、天使が地上に降りてしまい、聖なる力を失ってしまったかのようだ。初期の作風をどのように展開させていくかで迷いがあったのだろう。しかし、作家の人生と作品は別だ。会期終わりにもう一度見に行こうと思う。あの恐れと喜びを味わうために。