A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記195 「絵画のコスモロジー」

2008-07-15 23:26:28 | 書物
タイトル:絵画のコスモロジー
編集:仙仁司、小林宏道、淵田雄
デザイン:百瀬梓
制作:多摩美術大学美術館
発行日:2008年
内容:
東京・多摩美術大学美術館において開催された<絵画のコスモロジー>展(2008年6月22日-7月20日)の展覧会図録。

「アンドロギュヌス的宇宙-絵画のコスモロジー」中村隆夫(多摩美術大学教授)
「絵画に関する認識を構成する基本コンセプト」橋本倫
橋本倫 図版
「絵画寸考」黒須信雄
黒須信雄 図版
「雲の中に、花の中に」小山利枝子
小山利枝子 図版
作品リスト

入手日:2008年7月5日
入手場所:なびす画廊
銀座・なびす画廊の方よりいただいたもの。展覧会は図録をいただいた時点ではまだ未見だったが、翌週にシンポジウムと合わせて行くことにした。
さて肝心の図録は紙質のせいか、図版の色味と実作から受ける色がだいぶ異なっている気がする(とくに、油絵の橋本氏の図版)。しかし、多摩美の美術館のことだから、予算がないのかもしれない。

展覧会としては、まさに絵画におけるコスモロジー体験ができる近年まれな展覧会。現在の日本の美術館でこれほどまで「絵画」を主題とした展覧会はないだろう。実は、この展覧会に行く前、渋谷区立松濤美術館で行なわれている<大正の鬼才 河野通勢>展を見てから向かったのだが、そちらもまたコスモロジー大爆発な展覧会であり、このカップリングには我ながら充実した鑑賞経験ができたと思う。
その共通性をあげるなら、シンポジウムで橋本氏が岸田劉生の「切通しの写生」について触れていたが、河野通勢もまた岸田劉生主宰の草土社に在籍し、劉生からの影響をうかがえる作品を制作している。さらに、橋本氏の初期の「多摩丘陵開発真景図」では岸田劉生的な写実技法により描かれるなど、私にはその偶然と継承に絵画の歴史が現前しているかのような奇妙な感覚にとらわれた。

黒須氏の「存在しているものからしか出発をせざるをえない不可能性」としての絵画から自律する絵画へと形成されていくようなオブスキュアな画面は絵画にひとつの「可能性」を与えるし、小山氏の初期のジョージア・オキーフ風な作品から、植物の花粉が世界へと放出されるような作品はアンビエントな空間を創出する。
三者三様表現は全く違う。だが、その密度(深度?)は、混じりけのない純度100%の「絵画」である。ここには近年見られる絵画30%な「絵画」とは大違いだ。それらは形式としての絵画であり、中には「絵画」が入っていない。私たちは薄められた「絵画」を見せられているのだ。食品偽装も問題だが、芸術偽装もやめてもらいたいものだ。話が逸れていってしまったが、熱いシンポジウムとともに濃密な体験ができた展覧会だった。



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2 Comments

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見事な御考察に感服 (橋本倫)
2008-08-10 23:42:18
前略 展覧会に関するコメントを拝読致しまし
た。河野通勢と岸田劉生及び私の初期作品との
連関についての御指摘、有難く思います。岸田
が行おうとしたことは、彼自身の夭折もあり、
不徹底なまま終焉を迎え、以降、欧米のモード
を追いかけるだけの様式交替史としての現代日
本美術史が展開され、現在に至っているとの基
本認識が、私にはあります。現代日本で大流行
の、例えば天妙屋氏や山口氏に代表される、イ
ラスト的和風趣味としてのネオ・ジャパン・ポ
ップな河鍋暁斎ばりの絵師的絵画は、岸田や河
野が突入しようとして、結局は彼らの江戸的お
座敷趣味の資質の残存のために挫折してしまっ
た、形而上学的にして北宋的イデアリズムの我
国における本格的確立を見ていない現状でのあ
だ花にしか見えないのです。数学や超越論やイ
デアリズムなどの精神風土からは徹頭徹尾かけ
離れた位置にある、おそらく本源的に江戸的な
現代日本のネオ・ポップ和風趣味の瑣末さは、
私にはまるで縁の無い世界、どこぞやの美術館
でやっている対決日本美術史に出ている作品や
その演出の仕方も、ひどく山口晃的にして江戸
草子的で長唄的で、ネオ・プラトニズムの数学
的コスモロジーを我が血肉として生きているよ
うな、ユダヤ的・イスラーム的な人種としての
私のような人間の資質から見ると、とんでもな
く遠い位置にある民族の嗜好と思考と志向にし
か映りません。ですから、そうした民族が、当
然ながら圧倒多数を占めているこの列島で、私
の作品が簡単に理解されよう筈も無いし、逆に
イスラム圏やユダヤ圏では、中途半端に東アジ
ア的に映る可能性も捨て切れません。結局は
「私」自身に他ならないのです。美術をやると
いうことはそういうことです。今期の3人展
で、あらためて自覚し直しました。なお、貴殿
の指摘した劉生と私の作品との関連を、評論家
の藤島俊会氏も、美術史の辿り直しと視覚の可
能性の拡張という論点から、神奈川新聞の展評
で指摘していました。貴殿の御指摘とリンクす
る、興味深い考察で、いろいろ考えさせられま
した。此度は、大変、有難うございました。来
年も、美術館での展示が控えておりますので、
時期がまいりましたら、御案内差し上げます。
草々

             橋本 倫 拝上
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Unknown (ひらたたけし)
2008-08-13 02:03:42
藤島俊会氏の論文情報ありがとうございます。拝見してみます。
ネオ・ジャパン・ポップに対しての見解、同感です。表層的な日本美術様式をなぞった作品の氾濫に対して美術を見る喜びを失わせられていましたが、河野展、絵画のコスモロジー展を見たとき、自分が見るべき考えるべき「美術」というものはここにあると勇気づけられました。
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