A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記197 「光と追憶の変奏曲」

2008-07-24 23:56:54 | 書物
タイトル:コロー 光と追憶の変奏曲
編集:陳岡めぐみ、国立西洋美術館
デザイン・制作:美術出版デザインセンター、垣本正哉、笠毛和人、河野素子
制作・発行:読売新聞東京本社
発行日:2008年6月14日
金額:2500円
内容:
「カミーユ・コロー-現在を生きる19世紀の画家」高橋明也[三菱一号館美術館館長・国立西洋美術館客員研究員]
「「彼は目で見た現実によって夢想を支える……。」コロー、その生涯と作品」ヴァンサン・ポマレッド[ルーヴル美術館絵画部長]
「抗い難い調和-コローの歩みを追って」マイケル・パンタッツィ[元カナダ国立美術館学芸員]
カタログ
1章 初期の作品とイタリア
2章 フランス各地の田園風景とアトリエでの制作
3章 フレーミングと空間、パノラマ風景と遠近法的風景
4章 樹木のカーテン、舞台の幕
5章 ミューズとニンフたち、そして音楽
6章 「私は目も心も使って解釈する」
   クリシェ=ヴェール:コローのグラフィスム
「カミーユ・コローと日本」岡泰正[神戸市立博物館主幹・学芸員]
「松方コレクションとコロー」陳岡めぐみ[国立西洋美術館研究員]
参考地図
年譜
主要参考文献
他作家解説
作品リスト

購入日:2008年7月20日
購入店:国立西洋美術館
購入理由:
仕事を兼ねて行った展覧会だが、思いの他上質な鑑賞経験ができた展覧会だった。
近年のマティス展、モネ展、ムンク展にも言えることだが、ただの回顧展にはせず、その作家の影響関係やあまり紹介されない仕事までも視野に入れたロングスケールな内容としたことで奥行きと広がり出て、内容としてもわかりやすさと奥深さを同時に味わえる内容となっている。例えばコロー展では、4章の「樹木」をテーマとしたセクションでルノワールやモネ、シスレー、モンドリアン、ピサロ、ゴーガンなどが展示されている。それらの作家の作品を同時に展示することでコローの樹木の描写とその継承・展開を辿ることができるようなっているのだ。展示室がもっと見やすい構成なら申し分ないが、比較・検証の場としての展示としては充分に説得力を持っていて、木々の間を散策するように気持ちのいい展示であった。

カタログで高橋明也氏が指摘しているようにコローは日本で何度も紹介・展示されてはいるが、「ミレー、コロー、バルビゾン派の画家たち」といった括りで紹介されるケースがほとんどであったように思う。かくいう私もそのような展覧会で目にしたことがあるくらいであった。しかし今回、コローの作品をまとめて見たことで、いままでのバルビゾン派の流れにまとめてしまうにはもったいない作家/作品だと認識を新たにした。コローが19世紀という時代に活躍したからといって、作品が19世紀の作品だとは限らない。作品は時間を越える。

私がコロー展を見ておきたかった理由のひとつにはもうひとつ、河野通勢の影響関係を検証したかったというのがある。河野展の図録でデューラー、レンブラント、コローの影響を受け云々といった記述を見て、これはコローを見ておかねばと思ったのだ。そこでコローだが、たしかに河野が描く樹木、風景描写にはコロー作品のもつ木々が揺らぎ、ざわめくようなリズムと無気味な気配が微かに漂っている。しかし、見続けているうちにそんな比較検証は忘れ、コローの絵画面にポツポツと斑点のように置かれた色班が閃光のように目に飛び込んで、残像現象のようにちらつきだすのだった。見えないようで微かに見えるこの斑点・色点はなんだろうか。点でなくとも、風景の前景にあたる位置に描かれる小さな草葉や枯れ木に残る葉の描き方、マチエールはまるで無造作に絵の具を置いたようでありながら、なにか画面に違和感と立体感を作り出している。気づかないくらいひそやかな表現なので、図録では確認しづらいが、この小さな色点が画面内にリズムを作り出し、世界に風と光を与えている。
これらの表現は人物画においても徹底されているのだが、人物画ではさらなる疑問に直面した。「バラ色のショールをはおる若い女」(1865-1870年頃)がわかりやすいが、これは未完成の作品なのだ。未完成の状態でも作家の制作プロセスが垣間みえるという意味で貴重だとか言うつもりはない。なぜならこの作品は未完成の状態でありながら「完成」しているからだ。未完成でありながら充分な密度と深度を持っている。他の人物画でも未完成のように見える作品もあるが、まるで未然の状態で静止することで完成しているという作品群なのだ。

コローのこれら一連の作品を見続けて、ここには「近代」の思考の萌芽があると感じる。ここにはただの風景画はない。コローの絵画に「きれいな風景」を求めてくるのは間違っているのだ。もう一度仕事ではなく、じっくりと見ないことには気がすまない展覧会だといま感じている。



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