A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記293 「αMアーカイヴズ 1988-2008」

2009-07-12 22:09:57 | 書物
タイトル:αMアーカイヴズ 1988-2008
企画:αMアーカイヴズ運営委員会
編集・制作:武蔵野美術大学広報課αMプロジェクト+安達事務所
ブックデザイン:安達史人+児玉幹夫
撮影:小松信夫+山本糾+大須賀信+坂田峰夫+横澤典+柳場大+加藤健+平野覚堂+御澤徹+木奥恵三
写真提供:柳幸典+山本糾+武蔵野美術大学広報課
印刷・製本:株式会社ルナテック
植字・組版:株式会社RUHIA+児玉幹夫
発行:武蔵野美術大学
発行日:2009年4月20日
内容:
ご挨拶
αM歴代キュレーターとギャラリー
ギャラリーαMのコンセプト
「ジョージにムサビのギャラリーできた」谷新(宇都宮美術館館長)
キュレーターたちの発言から
 「ギャラリーαMへの提案」谷新
 「空間へのディアロゴス」高木修(彫刻家)
 「ゲスト・キュレーターとしての指針」高島直之(美術評論家/武蔵野美術大学教授)
 「未定型の思考」倉林靖(美術評論家)
 「企画にあたって」高島直之
 「企画にあたって」松本透(東京国立近代美術館副館長)
 「企画にあたって」林卓行(美術批評家)
 「媒介者たち/Mediators」堀元彰(東京オペラシティアートギャラリー・チーフキュレーター)
 「風景の奪還―見果てぬ夢に」新見隆(武蔵野美術大学教授)
 「未来のニュアンス―スペースダイアローグ」岡部あおみ(武蔵野美術大学教授)
 「生命の部屋」加藤義夫(インディペンデント・キュレーター)
 「ON THE TRAIL」鷹見明彦(美術評論家)
 「現われの空間」住友文彦(キュレーター)
「馬喰町からの挨拶」高島直之
αM活動全記録
「ギャラリーαMの再スタート」赤塚祐二(画家/武蔵野美術大学教授)

入手日:2009年6月20日
入手場所:gallery αM
ギャラリーαMに行った際、「ご自由にお持ちください」とあり頂いた一冊。ギャラリーαMのこれまでの活動をまとめた記録集。
 私が最初にαMに行ったのは、吉祥寺にあった最後の方の2001年だったろうか。それ以降は、ギャラリースペースを持たないプロジェクト形式で行われたが、追って見て歩いたものである。そして、本年5月から馬喰町にギャラリーを再オープンしての新スタートである。流浪の旅が終わり、ようやく定住である。
 本冊子を見て、ギャラリーが出来た1988年から昨年までを振り返ると、実に充実した展覧会を重ねてきたことがわかる。関連イベントで行われるシンポジウムなども、研究機関である大学らしくコアなテーマで行われており渋い内容である。
 それにしても、谷新氏のテキストのタイトル「ジョージにムサビのギャラリーできた」は失笑を禁じ得ない美意識の欠片もないタイトルである。もちろん「ジョージ」は「吉祥寺」のことだが、このような言葉が当時流行っていたのだろうか。美術評論家の故東野芳明氏の著作にも時々このような流行語をからめた言葉遣いがあり、今読むと意味不明な箇所があるが、つくづく後から振り返ると恥ずかしいものである(注:谷新氏、東野芳明氏の批評業績について述べたわけではない。)。
 また、キュレーター、出品作家の傾向がやや武蔵美色が強い気がするのはご愛敬だろうか。しかし、そういった偏りは美術大学が行うのだから致し方ないのだろう。偏りがあって大いにけっこうである(もし他大学が文句があるのなら、自前の現代美術のギャラリーを作ればいいのである)。その点、対する多摩美で行われている現代美術のアニュアル展<TAMA VIVANT>展はプロデュースが学生主体なだけに、大人の事情があまり入っていないのか、取り上げる作家の傾向がバラバラである(それはそれで統一感がまったくなく批評性に欠けはするのだが)。
 まずは、この景気のさ中にαMのスペースが出来たことを喜びたい。企業、行政の文化面への出資は削減していくばかりの時代に、大学が現代美術のスペースを持つということは存在として大きい。自身の大学の学部・大学院の卒業・修了展のためのスペースとしてではなく、純粋にキュレーションによる展覧会を行うためのギャラリースペースを都心に持つのはおそらく武蔵美だけではないだろうか。確かに中京大学アートギャラリー・Cスクエアはあるが、美術大学ではないし、また、京都精華大学、京都造形大学にも似たようなスペースはあるが、展示内容に一貫した統一性はない。ぜひ、他の(美術)大学も追随していってほしい。こればかりは歓迎である。


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