ただ歩く。手に何ももたない。急がない。気に入った曲り角がきたら、すっと曲がる。曲り角を曲がると、道のさきの風景がくるりと変わる。くねくねとつづいてゆく細い道もあれば、おもいがけない下り坂で膝がわらいだすこともある。広い道にでると、空が遠くからゆっくりとこちらにひろがってくる。どの道も、一つ一つの道が、それぞれにちがう。
街にかくされた、みえないあみだ籤の折り目をするするとひろげてゆくように、曲り角をいくつも曲がって、どこかへゆくためにでなく、歩くことをたのしむために街を歩く。とても簡単なことだ。とても簡単なようなのだが、そうだろうか。どこかへ何かをしにゆくことはできても、歩くことをたのしむために歩くこと。それがなかなかにできない。この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。
長田弘「深呼吸の必要」『長田弘全詩集』みすず書房、2015年、164頁。
ずい分と「歩くことをたのしむために街を歩く」ことをしていない気がする。そもそも京都は「曲り角」が単調である。「くねくねとつづいてゆく細い道」や「おもいがけない下り坂」もあまりない。東京は散歩の街だといまになって思う。
街にかくされた、みえないあみだ籤の折り目をするするとひろげてゆくように、曲り角をいくつも曲がって、どこかへゆくためにでなく、歩くことをたのしむために街を歩く。とても簡単なことだ。とても簡単なようなのだが、そうだろうか。どこかへ何かをしにゆくことはできても、歩くことをたのしむために歩くこと。それがなかなかにできない。この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。
長田弘「深呼吸の必要」『長田弘全詩集』みすず書房、2015年、164頁。
ずい分と「歩くことをたのしむために街を歩く」ことをしていない気がする。そもそも京都は「曲り角」が単調である。「くねくねとつづいてゆく細い道」や「おもいがけない下り坂」もあまりない。東京は散歩の街だといまになって思う。