道は平凡を求むるところになくして、平凡を行ずることにある。漸々修学から一超直入が生れるのである。飛躍の母胎は沈潜である。
所詮、句を磨くことは人を磨くことであり、人のかゞやきは句のかゞやきとなる。人を離れて道はなく、道を離れて人はない。
道は前にある、まつすぐに行かう、まつすぐに行かう。
種田山頭火『山頭火 一草庵日記・随筆 (山頭火文庫)
』春陽堂、2011年、322頁。
ここでの「句」は、芸術や文学、論文などなど他の言葉でも代入できるだろう。すべての道は人の道、道に人ありか。
所詮、句を磨くことは人を磨くことであり、人のかゞやきは句のかゞやきとなる。人を離れて道はなく、道を離れて人はない。
道は前にある、まつすぐに行かう、まつすぐに行かう。
種田山頭火『山頭火 一草庵日記・随筆 (山頭火文庫)
ここでの「句」は、芸術や文学、論文などなど他の言葉でも代入できるだろう。すべての道は人の道、道に人ありか。