宇宙全体とわたしのからだとの関係が、盲人の杖とその杖をもつ手との関係と同じようなさまになってほしい。盲人は今やもう、現実にはその手に感覚はなく、杖の先にある。そうなるには、修行が必要だ。
自分の愛を純粋な種類のものだけに限って行くことと、全宇宙に及ぼして行くこととは、同じことなのだ。
自分の世界との関係を変えて行くこと。ちょうど、修行によって職人が自分と道具との関係を変えて行くように。怪我をすること、それは、職業がからだにくいこむということなのだ。苦しみのたびごとに、宇宙がからだの中にくいこんでくるように。
習慣、熟練、意識が今持つからだとちがう対象の中に移って行くこと。
その対象が、宇宙であるように、季節、太陽、星などであるように。
からだと道具との関係は、修行しているうちに変わってくる。からだと世界との関係を変えねばならない。
執着から離れるのではない。執着の中身が変わるのだ。すべてのものに執着すること。
あらゆる感覚を通じて、宇宙を感じとること。このとき、それが快楽となるか、苦痛となるかはどうでもよい。永い間会わなかった愛する人にめぐりあって手をにぎりあったとき、きつくにぎられて手が痛かったとしても、それがなんだろう。
苦痛もある段階に達すると、世界がぽろりと落ちてしまう。だが、そのあとでは、安らぎがやってくる。それからまた、激痛がおこるとしても、次にはまた、安らぎがやってくる。もしこのことを知っていれば、この段階がかえって次にくる安らぎへの期待となる。その結果、世界との接触もたち切られずにすむ。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)
』田辺保訳、筑摩書房、1995年、pp.228-229.
世界を、執着を変えたい。
自分の愛を純粋な種類のものだけに限って行くことと、全宇宙に及ぼして行くこととは、同じことなのだ。
自分の世界との関係を変えて行くこと。ちょうど、修行によって職人が自分と道具との関係を変えて行くように。怪我をすること、それは、職業がからだにくいこむということなのだ。苦しみのたびごとに、宇宙がからだの中にくいこんでくるように。
習慣、熟練、意識が今持つからだとちがう対象の中に移って行くこと。
その対象が、宇宙であるように、季節、太陽、星などであるように。
からだと道具との関係は、修行しているうちに変わってくる。からだと世界との関係を変えねばならない。
執着から離れるのではない。執着の中身が変わるのだ。すべてのものに執着すること。
あらゆる感覚を通じて、宇宙を感じとること。このとき、それが快楽となるか、苦痛となるかはどうでもよい。永い間会わなかった愛する人にめぐりあって手をにぎりあったとき、きつくにぎられて手が痛かったとしても、それがなんだろう。
苦痛もある段階に達すると、世界がぽろりと落ちてしまう。だが、そのあとでは、安らぎがやってくる。それからまた、激痛がおこるとしても、次にはまた、安らぎがやってくる。もしこのことを知っていれば、この段階がかえって次にくる安らぎへの期待となる。その結果、世界との接触もたち切られずにすむ。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)
世界を、執着を変えたい。