A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

Recording Words 080 風のなかを自由にあるけるとか

2011-06-21 23:00:05 | ことば
八月二十九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。
あなたはいよいよご元気なようで実に何よりです。
私もお陰で大分癒っては居りますが、どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、或は夜中胸がびゅうびゅう鳴って眠られなかったり、仲々もう全い健康は得られそうもありません。
けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら七八時間は何かしていられるようになりました。
あなたがいろいろ想い出して書かれたようなことは最早二度と出来そうもありませんがそれに代わることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。
しかも心持ばかり焦ってつまずいてばかりいるような訳です。

私のこういう惨めな失敗はただもう
今日の時代一般の巨きな病、「慢」というものの
一支流に過って身を加えたことに原因します。
僅かばかりの才能とか、器量とか、
身分とか財産とかいうものが
何かじぶんのからだについたものででもあるかと思い、
じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、
いまにどこからか
じぶんを所謂社会の高みへ
引き上げに来るものがあるように思い、
空想をのみ生活して
却って完全な現在の生活をば味うこともせず、
幾年かが空しく過ぎて
漸くじぶんの築いていた蜃気楼の消えるのを見ては、
ただもう人を怒り世間を憤り
従って師友を失い憂悶病を得るといったような
順序です。
あなたは賢いしこういう過りはなさらないでしょうが、
しかし何といっても時代が時代ですから
充分にご戒心下さい。

風のなかを自由にあるけるとか、
はっきりした声で何時間も話ができるとか、
じぶんの兄弟のために
何円かを手伝えるとかいうようなことは
できないものから見れば神の業にも均しいものです。
そんなことはもう
人間の当然の権利だなどというような考では、
本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。

どうか今のご生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、
しっかり落ちついて、
一時の感激や興奮を避け、 
楽しめるものは楽しみ、
苦しまなければならないものは苦しんで
生きて行きましょう。

いろいろ生意気なことを書きました。
病苦に免じて赦して下さい。
それでも今年は心配したようでなしに作もよくて
実にお互い心強いではありませんか。

また書きます。

(宮沢賢治「1933年 かつての教え子、柳原昌悦への手紙」、宮沢賢治・川原真由美 画『あたまの底のさびしい歌』、港の人、2005年、pp.129-138)

また書きます。