A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

A PIECE OF FUTURE 2008.8.1

2008-08-02 00:11:02 | Weblog
○Cape Farewell アートを通して気候変動を知る
 2008年7月6日(日)-8月17日(日)
 日本科学未来館
 
 アントニー・ゴームリー、レイチェル・ホワイトリードらの参加に興味を憶える。

○壁と大地の際で
 2008年8月9日(土)-10月13日(月・祝)
 東京国立近代美術館

 チラシデザインのすばらしさもさることながら、この展覧会企画がまずすばらしい。垂直に立ち上がる壁と水平に広がる大地というふたつの「平面」に第3の面として美術表現における「平面」を対置することで、「平面」の意味を問い直すこの企画は見ごたえ充分だ。出品作家もジャン・デュビュッフェ、白髪一雄、東松照明、松江泰冶とくれば、私たちの前に立ちはだかる壁も大地もどこか閉塞感より開放感さえ感じてしまうではないか。
このテーマに私が反応してしまうのも、実は「平面」という問題を私は過去「地図」という側面から考察したことがあったからで、ここでは「地図」が「壁」であり「大地」に置き換え考察されていると感じたからに他ならない。常設展企画にしてはもったいないぐらいいいテーマ。企画展としてやっても絶対見に行くのにと思う。

○アヴァンギャルド・チャイナ-<中国当代美術>二十年-
 2008年8月20日(水)-10月20日(月)
 国立新美術館

チラシでは情報が少なすぎていまいち内容がわかりづらいのが難だが、ヤン・フードンの作品は実見してみたい。横浜トリエンナーレ2008でもアジア系作家が多数参加するので、中国現代美術の予習ができるかも。

○浮世絵 ベルギー・ロイヤル・コレクション展
 2008年9月2日(火)-9月28日(日)
 浮世絵太田記念美術館

企画展にしては会場が狭い気もするが、世界でも屈指の浮世絵コレクションを持つベルギー王立美術歴史博物館だけに、見てみる価値はあるか。

○正木美術館開館40周年記念展 禅・茶・花
 2008年9月23日(火・祝)-10月12日(日)
 東京美術倶楽部

大阪府にある正木美術館の開館40周年記念展の東京巡回展。たまたま鈴木大拙の著作を読んでいた時だったので、「禅」というキーワードを確認する上でもいいかもしれない。参加作家で意外なのは須田悦弘か。


A PIECE OF FUTURE 2008.7.26

2008-07-28 23:50:51 | Weblog
見に行きたい展覧会にマーキング。この週末はチラシ・DM大量ゲットのため、小分けしてアップします。まずは、写真編。ど・れ・に・行・こ・う・か・な。

Esprit de Paris-16人の写真家たちの眼差し-
2008年7月8日(火)-9月14日(日)
GALLERY 21

 パリを撮影した写真作品を紹介する展覧会。ロバート・フランク、広川泰士、森 山大道、土田ヒロミなど有名作家を多数含んでいる。パリのエスプリがテーマと いうこと自体、めずらしくもないがどんなもんだろうか。

没後30年 W・ユージン・スミスの写真
2008年8月5日(火)-9月7日(日)
京都国立近代美術館

 京都国立近代美術館に収蔵予定であるアイリーン・スミス・コレクションのW・ ユージン・スミスの写真作品を紹介する展覧会。ユージン・スミスの展覧会は数 年前までよく開かれていた記憶があるが、近年では久しぶりの展覧会ではなかろ うか。ユージン・スミスは正直、報道写真家というイメージから、あまり関心が なかったのだが、この展覧会チラシのテキストがやけに気合が入っていて、熱が 伝わってくるのだ。チラシを読んでこれは、ユージン・スミスを見直してみよう かなという気になる。
 自戒の意味も込めて思うのだが、アート系の写真ばかりを見ていると、報道写真 やネイチャー写真というものを排除しがちである。ロバート・キャパ、マグナム らの写真にしても、報道写真・記録写真というだけで、なにか俗っぽい印象を持 ち、あえて見過ごしてしまいがちだ。そういう判断自体が、美術界における現代 美術と公募展の関係のようだ。好き嫌いせず見なければと思う。余談だが、ホー ムページで見れるこの展覧会のB2判ポス ターデザイン案が非常にカッコい  い、というか美しい。

ヴィジョンズ・オブ・アメリカ 第2部「わが祖国」1918-1961
2008年8月30日(土)-10月19日(日)
東京都写真美術館

 東京都写真美術館収蔵展シリーズの第2弾。収蔵展は地味などと言われがちだ  が、実は常設展示室を持っていない東京都写真美術館のコレクションを見られる またとない機会なのだ。今展もチラシ裏面の作品写真を見るかぎり、ウォーカ  ー・エヴァンズ、ポール・ストランド、ウィージーや名前は知らなかったがチャ ールズ・シーラーの美しいセピア色をした工場の写真などいい写真が見られそう だ。

F.R.F Night

2008-06-18 01:20:06 | Weblog
遅ればせながら先日行なわれたイベントのセットリストをアップします。
ご来場頂いた方どうもありがとうございました。

<東京6区 vol.2 フジへの道>
DJ:ペコ、PIЯATA、六松、カトカト、いなりずし
6月15日(日)17:00~23:00
DOOR\1,500/1D
UNDERBAR
東京都渋谷区神南1-15-7 公園ビルB1
TEL:03-3780-0858

PIЯATA編
1.燃えよドラゴン/東京スカパラダイスオーケストラ
2.I Fought The Law/The Clash
3.Semi-Charmed Life/Third Eye Blind
4.Deer Dance/System of a Down
5.Pチャン/渋さ知らズ
6.Atari Teenage Riot Ⅱ/Atari Teenage Riot
7.Attack/Jon Spencer Blues Explosion
8.If They Move Kill Em/Primal Screem
9.Free Satpal Ram/Asian Dub Foundation
10.Body Movin'/Beastie Boys
11.7/4(Shoreline)/Broken Social Scene
12.Sexx Laws/Beck
13.Must Be the Moon/!!!
14.Stepping Stones/G. Love & Special Sauce

フェスはお祭りです。せっかくなので多くの方が知っているアーティスト、曲から選ぼうと思いましたら・・結果はご覧の通り。節操のない爆音セレクトにここ最近の精神状態が反映されていて、かなり病んでいる気が心なしかいたします。途中、ポカミスをやらかしてしまうなど、反省点多しでした。

補足ですが、②The Clashはフジロックにはもちろん出ておりません。出たのはジョー・ストラマー&メスカレロスです。


今回はあまりに時間がなく、最近買い換えた携帯電話INFOBAR2に内臓されているau Music Playerにて、ほとんど編集・選曲を行なうことになりました。いままで使っていた携帯電話には音楽プレーヤーの機能はなかったのですが、今回使ってみて、やや操作性に不満はありますが、音楽プレーヤーとしてはまったく問題なく使うことができました。一番の利点はUSBでパソコンと接続をし、自宅のパソコンに取り込んである音源を携帯に移せることです。これには驚きました。これはほんとに電話なんでしょうか。メディアの進歩についていけない若年寄りな私はただただ驚きました。

選曲・編集作業は、まるで展覧会の出品作品を選ぶような楽しさがあります。展覧会というのは、とかく時間と経費のかかるもので、また私のような若輩者が簡単にできるようなものではありませんし、簡単にやってしまうこともいかがなものかと思うのですが、こういったDJイベント・パーティーというのは、かなりフットワークが軽く感じます。そして、その場で鳴らされる音楽に対して、リアクションがあることにとても喜びを感じます。

そう思うのは音楽というメディア・システムにおいて、リスナー(聴き手)であることが重要な位置を占めていると思うからです。音楽を演奏するアーティストが音楽を聴いたことがない、聴かないというケースがあるでしょうか(まれにいますが・・)。楽器の音を聴いたこともない人が、その楽器を弾きたいと思うでしょうか。その音、音楽、楽器を選択するという過程にはほとんどの場合、感動であり驚きであり尊敬が含まれていると思います。だからこそ私たちは今日も音楽を求め、聴き、弾き、歌い、踊るのではないでしょうか。

はたして、美術にはそれがあるでしょうか。

もちろんメディアの規模が違いますし、一概に音楽と美術を比較するのは危険です。しかし、音楽のリスナーとアーティストの関係を考えたとき、それはとても幸福な関係だと思うのです。例えばミュージシャンになれなかった人が、音楽を聴かなくなるということがあるでしょうか。一人のリスナーとしては変わりなくあり続けると思います。というより、出発点はリスナーだったのです。

では、音楽においてなぜそのような興味・関心が維持されるのでしょうか。おそらくその原点には、繰り返しになりますが「聴く」という経験があるからではないかと思います。まず、わからないながらに「聴く」こと。音楽/音を受容する過程を経ることで、次なる創造の種が蒔かれているのかもしれません。今回も選曲をするために音楽を「聴く」たびに発見がありました。その「発見」からまた次なるイベントにつなげていきたいといまは考えています。


BOOK CROSSING

2007-12-05 23:59:45 | Weblog
例えば、古本屋で1冊の書物を手に取り、いつ誰がどんな理由で買い、読んだ本なのだろうと想像したことはないだろうか。
あるいは、喫茶店でも食堂でも銭湯でも路上でもいい。なぜここにこのような本が置かれているのだろうかと思ったことはないだろうか。
もし、そんな想像が誰かの半ば意図的にされた行為だとしたらどうだろうか。

気に入った本を街中に置き、他の人に自由に持ち帰って読んでもらう。
そして、自分が置いた本が誰の手に渡り、いまどこにあるのか知ることができる。

このような本の旅といえるささやかな行為/運動が実際にあるという。
それが「ブッククロッシング」だ。
今日の日経流通新聞(MJ)で、このような小説的な活動があることを知った。

12/5付日経流通新聞「旅する本を追跡 「ブッククロッシング」日本上陸」
http://www.nikkei.co.jp/mj/#3

もともとは2001年にアメリカのRon Hornbaker氏と妻のかおりさんによって始まったプロジェクト。このプロジェクトを始めた動機がまたおもしろい。彼はPhotoTag.orgという使い捨てカメラを自由に旅させながら、拾った人が写真を撮るというウェブサイトに興味を持ち、「どんな物ならば、どこを旅しているか追跡したくなるのだろう」と考え、部屋にある本棚に目を留めたことから思いついたというのだ。
もともとの発想源になった「使い捨てカメラを旅させ、拾った人が写真を撮る」というウェブサイトの存在にも驚く。映画の『アメリ』で、人形を世界中に旅させ写真を撮るエピソードや現代美術家の小沢剛による地蔵がさまざまな世界を旅する『地蔵・建立 Jizoing』などを思い起こさせるが、しかし、このPhotoTag.orgにいたっては写真を撮る主体性もなく、撮影者は「無名」で行為と場所はすべて偶然の組み合わせなのだ。
同じように、この「ブッククロッシング」もすべては偶然というシステムで成立している。本を置く人間は、次に誰がそれを手にするかはわからないし、本を手に取る人間も誰が置いたかはわからない。しかし、「ブッククロッシング」がすごいのは、このわからない偶然の関係を明示してしまうことなのだ。
記事から「ブッククロッシング」の流れを書くとこうなる。
①本を置く際に、あらかじめウェブサイトに手放したい本を登録し、ID番号を入手する。
②そのID番号が書かれた専用ラベルを本を貼り、街中に放置する。
③放置した場所はサイトに登録。
④放置された本を拾った人はサイトでID番号をうち込むとこれまで放置された場所や本の感想が見られる。
⑤そして、本を読み終わったらサイトに感想と次に放置する場所を書き込んで手放す。
この繰り返しである。

放置された場所という点がミソだろう。
本を手放した人間としては、後ろめたいような気がする。読み終わったはものの本棚に埃を被っているよりはいい。だが、誰かに読まれ続ける存在であってほしいと思っている。一冊の書物がさまざな人の手に渡り読み継がれていく時間と場所とさまざまな読み手たち。書物は変わらずにそこにありながら、読む人、場所、時間が違うだけでさまざまな人生が垣間見えてくる偶然が作り出すダイナミクス。
ささやかだが、壮大なフィールドを感じさせるプロジェクトである。
これからは読み終わった本は古本屋ではなく、「ブッククロッシング」を通して街中に解き放ってみてはどうだろうか。

(ちなみに、ただ街中に放置されてはどこに本があるかわからない。そのため「放置」場所として、いろいろなショップの一角にコーナーが設けられているという。参加店はブッククロッシングのウェブサイトから知ることができる(下段参照)。アメリカでは大手流通業のウォルマートやコーヒーチェーンのスターバックスなどが公式ゾーンとして設けているという。日本でも広まってほしいものだ。)

ブッククロッシング→http://www.bookcrossing.jp/

11/23 at Edge End

2007-11-26 23:49:14 | Weblog
先日行ったDJイベント<東京6区 らっこ★ROCK編>でのセットリストDJぼっち編です。ご来場頂いた方どうもありがとうございます。内輪なイベントのため狭い会場でご迷惑おかけしました。
1人1時間という濃密な時間設定にびびりましたが、結果は以下の通り。

1.Miles / Always The Runner
2.Marked with the Knowledge / Saxon Shore
3.Freind of the Night / Mogwai
4.But We'll All Sleep Better Tonight / ...of Sinking Ships
5.Falling Over Evening / Six Parts Seven
6.I Can't Feel My Hand Any More, It's Alright, Sleep Still / mum
7.last night / rei harakami
8.Always for You / The Album Leaf
9.Mechanism / Tommy Guerrero & Gadget
10.Giving Up The Ghost / DJ Shadow
11.Walking Through The Darkness / Tekitha
12.SUN-KA / KODAMA(ECHO) FROM DUB STATION

映像:<チャールズ&レイ・イームズの映像世界>
   「パワーズ・オブ・テン」「パワーズ・オブ・テン:ラフ・スケッチ」
   「ブラックトップ」「カレイドスコープ・ジャズ・チェア」
   「ハウス:ケース・スタディ・ハウス#8 5年後の記憶」
   「おもちゃの汽車のトッカータ」

解題
当初、イベント名にもあるとおり6区(ROCK)な内容を考えていました。しかし、イベント間近に下北沢のラ・カメラにて行われた山田勇男・山崎幹夫による定例8mm映画上映会<シネマ・フォー・アイズ>を見て、突然気が変わりました。
今回のシネマ・フォー・アイズは「夜」をテーマとしたセレクションでした。山田勇男監督による『夜窓』。その作品に想を得た山崎幹夫監督による『夜の心』。さらにその作品にインスパイアされた出射広海監督による『ヨルノキモチ』。8mmフィルムによって切り取られた夜の空気、光はあたたかく、そしてとても美しいものでした。併映された1編、ひきこもり生活を描いた山崎幹夫監督『グータリプトラ』もおかしみをたたえた好篇でした。夜あるいは夜から派生する暗闇、孤独、光といったさまざまなキーワードが垣間見え、とてもよいセレクション&上映会だったのです。見終えて思いました。私も「夜」をテーマとしたセレクションをしたいと。そこで、いままでのリストを一旦保留にし、再度練り直しました。結果、試行錯誤&楽しんだ結果、上記のリストのような結果となりました。「夜」をテーマとしたため「Night」「Evenig」「Sleep」といった単語が入った曲が多く散見されますが、夜に聞きたい/聞いている曲も加えました。さらに、それだけでは暗い感じで終わってしまってはという危惧からラストにKODAMA(ECHO) FROM DUB STATIONの「SUN-KA」を持ってきました。この曲は最近仕事の合間に頭の中で突然鳴り出し、印象に残っていたので入れてみました。つなぎも含めて必ずしもうまくいっているとは思いませんが、とりあえず「夜」のサウンドトラックです。もっとも実際の会場では、こんな理屈は関係ありませんが・・。

2007年7月18日9時35分

2007-07-18 22:52:36 | Weblog
・・・ている「次の段階の措置」の年内完了に北朝鮮が応じる姿勢を見せたことで、今後、作業部会の開催など具体的な手順をどう詰めるかが焦点となる。ただ、申告の範囲や無能力化の対象をめぐって米朝間で激しく対立することが予想され、難航は必至だ。
 韓国首席代表の千英宇(チョン・ヨンウ)外交通商省朝鮮半島平和外交本部長は会合後の記者会見で、「北朝鮮は最短の期日内に、今年以内、5~6か月内にも、申告と無能力化まで行う意思があることを示した」と述べた。
 これについて米国首席代表のクリストファー・ヒル国務次官補は、「目標とする時間的な枠組みについて良い議論ができた」としながらも、年内完了で合意したかどうかは明らかにしなかった。日本政府筋も「そういう理解はしていない。(北朝鮮は)適切な時期に行う用意があると述べた」と説明した。ヒル次官補によれば、目標期間は最終日の19日に議長国・中国が発表する議長声明に盛り込・・・
(2007年7月18日読売新聞より)

2007年7月11日18時53分

2007-07-11 22:29:03 | Weblog
虹について研究しよう。
そう考えたことがあった。
結局、さまざまな理由から、虹の研究は進めることができず今に至っている。

虹というのは、「現象」である。
見えるのに、見たいときには見えない。
そこにあるのに、雨や雪のように触れることはできない。
もちろん暑いとか寒いと感じることもない。
虹が見える場所の周辺にいたとしても、見る角度によっては見えないし、もっと近くで見ようと思っても、こちらが動けば虹は遠のいていく。
実に、虹は掴みきれない存在ではないか。

虹の現象学的存在を通して、美術作品を再考してみること。
そして、虹が描かれた、あるいは虹をテーマとした作品を参照することで、虹と美術(芸術)の関係を問いなおしてみること。
芸術は虹のようなものなのか。
物質と視覚現象としての「存在」について考えること。
それは、たしかにそこに見えながら、触れることもできない虹が「ある」ことについての不確かさだった。
存在の不確かさ。曖昧さ。
しかし、それは虹だけだろうか。

そんな思いから資料を集め、思考を虹へと向かわせていたとこだった。
私の思考は虹から一度離れざるをえなかった。
だが今日、偶然にも空が虹を見せてくれたことで、かつての思考の時間が召喚された。その不確かな記憶とともに。

目を開けたまま夢を見られる時代

2005-08-23 00:09:22 | Weblog
 仕事中に眠くなるときがある。賃金を得るための仕事で寝るなどとはけったいな話である。どんな仕事でも仕事中に寝ていい仕事があるわけがない。私の仕事は監視(看士)の仕事なので、眠るわけにはいかないのである。だが、眠くなるのは自然現象なので仕方がない。
 最近、眠気を催したときはポケットからメモ帳を取り出し、ペンで何か書きつけることにしている。なんでもいいのである。絵でも文字でもかまわない。睡魔に襲われてうつらうつらしながら文字のような絵のようなものを書きつける。だが、あとで見返すとなにやら得体の知れない図像が書きつけてあるのである。自分で書いておきながら、まったく身に覚えがない。書くという行為に集中にすれば、眠気を追い払えるのではないかと思い、始めたのだが、あまり効果はないのかも知れない。

 だが、書きつけられた図像をしげしげと眺めていると、案外におもしろい。書いた本人が覚えていないのだから、赤の他人が書いたもののように見えるのである。これと似た経験を以前したことがある。学校の授業である。先生が黒板に書いたものをノートに書き写す作業である。単調ながらあとのテストのことを考えると、忘れてはいけないことばかりのような気がして書き写したものだ。だが、大事な時に限ってあの睡魔が襲ってくるのである。昼下がり、うとうとし始めるともう駄目である。
「関係代名詞には、以下のような☆~≠♯¥」
何が書いてあるかわからない…。
 何の役にも立たないふにゃふにゃした字の羅列である。字に成りきれない字のようで、字のきたない私はよけい情けなくなった覚えがある。
 あるいは、カメラで写真を撮り、現像してあがってきた写真を見た時だ。ほとんどの写真に、見覚えがあるのだが、1、2枚ほど記憶にない写真があるのである。
「こんな写真撮った覚えはないはずなのに…」
 断っておくが、別に私は健忘症でも記憶喪失でもない。健康な人間である(と思っている)。だが、このように、現実に「なくした記憶」と出会うということがあるのだ。
 眠りと現実の間のドローイング。あえて名付けるならそうなるだろうか。夢と現実を往還しながら書きつけられるドローイングを見て、意識していない無意識の間を思う。この、間には何があるのだろうか。何を私という人間は見て、考えて、書いているのだろうか。ちなみに、これはシュルレアリスムにおける自動記述などからの影響ではない。こんなことをあらためて考えるまで思いもしなかったし、それにこれは作品ではない。ただのらくがきである。ここで私が、興味があるのは、無意識ではなく、記憶(夢)と現実の間なのだ。覚えてはいないが、確実に現実に残ってしまった痕跡。この記憶と現実の落差、空間、間にひかれるのである。
 安部公房の見た夢について書かれた『笑う月』に、こんな一文がある。
「日常を夢の言葉で語るのは、そう面倒なことではない。だが、夢を日常の言葉で語りつくすのは、めったな感覚で出来る事ではないだろう。」
私がメモ帳に書きつけた図像は夢の言葉・言語なのだろうか。捕らえきることのできない夢の世界を、うつらうつらしながら書くことができないか、と最近は睡魔が襲ってくるのを前よりも楽しみにしているのである。
 などと難しいことを考えていたら、眠くなってきてしまった。また、ペンをとることにしよう…。