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A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 508 思考を強いる物や出来事

2017-05-31 22:06:18 | ことば
 世界には思考を強いる物や出来事があふれている。楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。〈人間であること〉を楽しむことで、〈動物になること〉を待ち構えることができるようになる。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』太田出版、2015年、367頁。


思考を強制するものを受け取ることで、人は楽しみ、学びながら、ものを考えることができるようになっていく。
文章を書くという経験も思考を強いる体験だが、書くことを通じて深く確実に何かを受け取っている。


memorandum 507 自分がとりさらわれる瞬間

2017-05-30 10:32:56 | ことば
 ドゥルーズは、「なぜあなたは毎週末、美術館に行ったり、映画館に行ったりするのか? その努力はいったいどこから来ているのか?」という質問に答えてこう言ったことがある。「私は待ち構えているのだ」。
 ドゥルーズは自分がとりさらわれる瞬間を待ち構えている。〈動物になること〉が発生する瞬間を待っている。そして彼はどこに行けばそれが起こりやすいのかを知っていた。彼の場合は美術館や映画館だった。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』太田出版、2015年、366頁。

同感する。私は「思考の対象によってとりさらわれる」ことを待ち構えている。

memorandum 506 汗をかく

2017-05-27 23:16:50 | ことば
私は日毎に酢っぱくなる
古漬のきゅうりのように。

家には玄関も台所も窓もある
けれどそれらは
どこに向かってひらいていたろう。

私は絶望した、
運命ではない
けれど私ひとりの非力でもない
ここには、のがれられないものがあるのだ。

旧式な漬物桶のように
日本の家庭の隅に置かれてある
手を入れればクサくなる
ぬかみそのようなもの。

しかも日常
食事にはかかせないという
アジのあるもの
愛と呼ぶにはみすぼらしく
ギセイというには大げさな
常にこねまわされ、慣らされた
陰湿な、この重たさ。

桶の上には石がひとつ。
私の生活を圧してくる。

それなら味を出します、
私が生まれてきたのは
何ひとつ得るためではなかった、と。
みんな失うために
あげるために
生まれてきたのだと。

きゅうりはやせる
しょっぱい汗をかく。

伊藤比呂美編『石垣りん詩集』岩波書店(岩波文庫)、2015年、250-252頁。

私は古漬けのきゅうりの味をだせているだろうか。



memorandum 505 それから

2017-05-26 11:28:39 | ことば
私はハンドバックに
種苗会社から送ってもらった
花の種をいくつかいれている。

これを持って満員電車にゆられ
職場へ通う
紙袋に刷られた五色の花の色どりは
明日ひらくものを約束している。

昨日考えた私の未来は
今日、このようにみすぼらしく
丸の内の石だたみの上
人間の足の下に頭をおさえられて
自分を生かしようもなく
使い果たされているけれど、

ここに種がしまってある
ということを
私は時々サラサラとふって
たしかめてみる。

それはハンカチのように
財布のように
それよりも、もっと必要な携帯品である。

花の名は
百日草
貝細工草
アスター
松葉ぼたん
それから。


伊藤比呂美編『石垣りん詩集』岩波書店(岩波文庫)、2015年、238-240頁。

私が花の種だったら、未来に咲けたのに。


memorandum 504 白いものが

2017-05-25 23:30:46 | ことば

私の家では空が少ない
両手をひろげたらはいってしまいそうなほど狭い
けれど深く、高い空に
幸い今日も晴天で私の干した洗濯物が竿に三本、

ここ六軒の長屋の裏手が
一つの共同井戸をまん中に向き合っている
そのしきりのように立っている六組の物干場
その西側の一番隅に
キラリ、チラリ、しずくを飛ばしてひるがえる
あれは私の日課の旗、白い旗。

この旗が白くひるがえる日のしあわせ
白い布地が白く干上がるよろこび
これはながい戦争のあとに
やっとかかげ得たもの
今後ふたたびおかすものに私は抵抗する。

手に残る小さな石鹸は今でこそ二十円だが
お金で買えない日があった
石鹸のない日にはお米もなかった
お米のない日には
お義母さんの情も私の腕に乏しくて
人中で気取っていても心は餓鬼となり果てた、

その思い出を落とすのにも
こころのよごれを落とすのにも
やはり要るものがある
生活をゆたかにする、生活を明るくする
日常になくてはならぬものが、ある。

日常になくてはならぬものがないと
あるはずものまで消えてしまう
たとえば優しい情愛や礼節
そんなものまで乏しくなる

私は石鹸のある喜びを深く思う
これのない日があった
その時
白いものが白くこの世に在ることは出来なかった、

忘れられないことである。


石垣りん「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」伊藤比呂美編『石垣りん詩集』岩波書店(岩波文庫)、2015年、34-36頁。

石鹸はからだのよごれを落とすだけではない。



memorandum 503 言葉だって、

2017-05-24 09:52:50 | ことば
言葉だって、絵の具と変わらない。ただの語感。ただの色彩。リンゴや信号の色を伝える為だけに赤色があるわけではないように、言葉も、情報を伝える為だけに存在するわけじゃない。

最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年、94頁。

「言葉」を「絵の具」と考えると、「言葉」はまだまだいろいろできる。

memorandum 502 時間旅行

2017-05-21 10:40:27 | ことば
きみをしあわせにする人が、世界にいる。そのことをぼくは知っています。
言い出せない悪いこと、見つからない小銭、ぼくたちがやり残した、たく
さんのいびつな過去が、しわ寄せをして、未来の模様を作っていく。
なにもせず死んでいくきみが好きだ。つなひき、なわとび、考えることを
やめて、宇宙の写真ばかり集める。きみに、名前なんてきっといらない。
いつかきみに価値が出ること、
いつかきみを愛する人があらわれること。
きみは犬みたいに信じて待つけれど
こない 未来に 約束されたさみしさが美しさというものです。

幸福やほほえみはいつだって地続きだ。
劣情や焦りに、逆転などありえない。
ぼくはきみになれないし、きみは永遠にぼくにならない。
美しい世界だ。
きみに愛を約束などしない。
きみを愛する人はどこにもいない、そんな予感が透明な色を空に塗って、
きみは今日もぼくのすばらしい友達。
恋に、最後の希望をかけるような、くだらない少女にならないで。


最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年、68-69頁。



memorandum 501 ヘッドフォンの詩

2017-05-19 10:38:01 | ことば
音楽がなくても生けていける
恋をしなくても友達がいなくても
夢がなくても才能がなくても生きていける
獣みたいに餌を食べて体育をして生きていける
私の名前 それをノートに書いて くりかえし自分で読んで
読んで 読んで はい、と答えて 私

最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年、49頁。

私はヘッドフォン人生かもしれない。


memorandum 500 きえて

2017-05-18 23:37:53 | ことば
かなしくはないけれどさみしい、という感情が、ひとの感情の中で
いちばん透明に近い色をしているってことを、知っているのは機械
だけで、わたしは名前を入力しながらなんども肯定の言葉を抽出し
た。ゆめのなかで死んだひとが生きていることや、愛が実在してい
ること。都合のいい世界は破綻していつだってこわれていくことを、
音楽みたいにきいている。朝から夜までだれも迎えになどこない。
でんわがなると、そこに機械音が、きこえてくる世界で、わたしは
ともだちというものを探して歩いている。
ぼくらの星のてんさいたちは、全員生まれてくるのをやめて空の上
で料理を作っている。生きる前からしんでいるかれらはそのうち分
解されて酸素になるんだろう。70億人ふえたって、だれとも肩す
らふれあわないから、大勢が死んだニュースに涙すらこぼれない。

わたしが悪魔になったのはみんなが悪い。あかいろやあおいろの信
号しか見ていない。夜。昼。ともだちができなかった。それだけが
原因だった。ゆめのなかの幻覚に、つれさられて殺されたいと、願
うぐらいにさみしくて、かなしさだけが足りなかった。


最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年、32頁。

私の存在は信号の点滅みたいに、消えてなくなるだろう。


memorandum 499 純未満の関係性について

2017-05-17 21:50:39 | ことば
もうわたしのことなど忘れてしまっているだろうけれど、と、言えばき
っと「そんなことはないよ」と言ってくれるだろう。けれどそう言うま
では忘れられているのと同じなのだから、これは、縁が切れたというこ
となのだ。簡単につなぎなおせるけれど、だれも動こうとしないから、
ぷちぷち切れていく縁というものが死と同じぐらいの頻度で地球上で起
きていて、それは、喧嘩よりもたちが悪い。永遠でないのに、臆病さ
が一瞬を永遠にしてしまっている。

純未満の関係性が今日もどこかで、絆に変わる。愛情のことや友情のこ
とを語りながら、簡単に、わたしたちだけの距離が、規格化される。乱
暴をされる。中途半端に空いていたお互いの距離に、それまでサンドイ
ッチを置いていたね。だれも理解できないことだった。だれもこの味を
知らなかった。わたしがかみさまなら、あなたとのこの関係性にあたら
しく名前を付けて、友でも恋人でもなく、あなたの名前をつけていた。
わたしがかみさまなら、あなたのことを、好きとも嫌いとも大事とも言
わず、ふと出会ったそのときに、いっしょに食事をとっていた。


最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年、18頁。

かみさまだったら、いっしょに食事ができたのに。