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A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 498 きみはかわいい

2017-05-16 09:47:59 | ことば
みんな知らないと思うけれど、なんかある程度高いビルには、屋上に常時ついて
いる赤いランプがあるのね。それは、すべてのひとが残業を終えた時間にな
っても灯り続けていて、たくさんのビルがどこまでも立ち並ぶ東京でだけは、
すごい深い時間、赤い光ばかりがぽつぽつと広がる地平線が見られるの。

東京ではお元気にされていますか。しんだり、くるしんだりするひとは、きみ
の家の外ではたくさん起きるだろうけれど、きみにだけはそれが起きなければ
いいと思っています。ゆめとか希望とかそういう、きみが子供の頃テレビから
もらった概念は、まだだいじにしまっていますか。それよりもっと大事なもの
があったはずなのにと、貧乏な部屋の中で古いこわれかけのこたつにもぐって、
雪のニュースを見ながら考えてはいませんか。
きみが無駄なことをしていること。
きみがきっと希望を見失うこと。
そんなことはわかりきっていて、きみは愛を手に入れる為に、故郷に帰るかも
しれないし、それを、誰も待ち望んですらいないかもしれない。朝日があがっ
てくることだけが、ある日きみにとって唯一の希望になるかもしれず、死に
たいと思うのも、当たり前なのかもしれませんね。
当たり前なのかもしれません。
しにたくなること、夢を失うこと、希望を失うこと、みんな死ねっておもうこ
と、好きな子がこっちを向いてくれないことが、彼女の不誠実さゆえだとしか
思えないこと。当たり前なのかもしれない。
きみはそれでもかわいい。にんげん。生きていて、テレビの影響だったとして
も、夢を見つけたり、失ったりしていて。
きみはそれでもかわいい。
東京のまちでは赤色がつらなるだけの夜景が見られるそうです。まだ見
ていないなら夜更かしをして、オフィスの多い港区とかに行ってみてください。
赤い夜景、それは故郷では見られないもの。それを目に焼き付けること、それ
が、きみがもしかしたら東京に、引っ越してきた理由なのかもしれない。


最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年、10-11頁。


赤い夜景を見に行こう。





memorandum 497 もっと動けば

2017-05-15 09:23:37 | ことば
 もっと動けばもっと良くなると、ひとはしばしば思いがちである。ひとは動きすぎになり、多くのことに関係しすぎて身動きがとれなくなる。創造的になるには、「すぎない」程に動くのでなければならない。動きすぎの手前に留まること。そのためには、自分が他者から部分的に切り離されてしまうに任せるのである。自分の有限性のゆえに、様々に偶々のタイミングで。
千葉雅也『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』河出書房新社、2013年、52頁。


何ごとも「すぎない」程度に動きたい。

memorandum 496 生きていくというのは

2017-05-14 23:33:41 | ことば
人生というのは、上から泥の塊が振り続けるようなものだろう。その泥は、実にさまざまで、ありとあらゆる種類の泥が降りかかってくる。人生を生き抜く鍵は、体に泥がかかったらそれを振りおとし、振り払った土を足の下で踏み固めて、しっかりと上にあがっていくことなのだ。誰の人生にもたくさんの問題が待ちかまえている。その問題のひとつひとつが、踏み固めて行かなくてはならないものなのだな。
北山耕平『地球のレッスン』筑摩書房(ちくま文庫)、2016年、166頁。

涸れ井戸に落ちたロバが最後まであきらめなかったインディアンの村の話から。短いながらも本書中で最も素晴らしい一編。
中国あたりの神話で同じような話があったが、土で埋まってしまう教訓話だった気がする。
人生を生き抜く鍵は、土をかぶるか、振り落とすかでかなり異なる。

memorandum 495 草

2017-05-13 08:03:15 | ことば
たとえ踏みつけにされようと、いつでも立ち直り、にこやかにそこに還ってくる緑の草。わたしたち人間も同じように他の人間を踏みつけにしたり、踏みつけにされたりすることがあるだろう。たとえいかなるときにも、自分と自分以外の人に対しての優しさを失うことなく、常に緑の草のごとく立ち直り続けなくてはならない。わたしたちが互いに面倒を見合わなければならないように、同じように緑の草を育て、肥料を与え、世話をする。草の葉の一枚一枚に裏と表があるように、わたしたち人間にもなめらかな面とがさがさしている面とがある。ときには鋭利な葉っぱの縁で手を切ってしまうこともあるだろう。わたしたちはそのことをしっかりと認識し、自分や他人を傷つけたりしないように誰に対しても優しくあらねばならない。
北山耕平『地球のレッスン』筑摩書房(ちくま文庫)、2016年、154頁。

草は、たとえ踏みつけられても、何度でも立ち直れる。

memorandum 493 もし自分はひとりぼっちであると感じたら

2017-05-11 23:54:05 | ことば
もし自分はひとりぼっちであると感じたら、そのひとりぼっち感の向かう先を、すすんでひとりになることにかえて、意識的にある時間をひとりきりで過ごしてみる。ひとりでいる時間を、自分の内側をのぞいてみたり外側を観察してみたりすることにあてることで、建設的に使うことができる。
北山耕平『地球のレッスン』筑摩書房(ちくま文庫)、2016年、116頁。

ひとりぼっちはいろいろできる。



memorandum 492 「思う」

2017-05-10 08:33:47 | ことば
人は、何でも、「思う」ことができる。これは本当に不思議なことだ。これが自由の原点だ。人生はつまらないものだと思えば、人生はつまらないものになり、人生は素晴らしいものだと思えば、人生は素晴らしいものになる。何もかも、思った通りになる。人生は、自分が思った通りの人生になっている。人は、思うことで、人生の運命を自由に創造することができるんだ。これは、なんて素晴らしく、かつ、なんて厳しいことだろう。
池田晶子『14歳からの哲学 考えるための教科書』トランスビュー、2003年、189頁。

つまり、人生は思ったことしか叶わない。日頃なにを「思う」のかが問われている。

memorandum 491 存在

2017-05-09 09:30:06 | ことば
存在するということは、存在が存在するということは、これ自体が驚くべき奇跡なんだ。存在するということには意味も理由もない、だからこそ、それは奇跡なんだ。
 自分が、存在する。これは奇跡だ。人生が、存在する。これも奇跡だ。なぜだかわからないけれども存在する自分がこの人生を生きているなんて、なんて不思議でとんでもないことだろう。

 人生が存在するということ自体が奇跡なんだから、そこで味わう苦しみだって、奇跡だ。なぜあるのかわからないものが、なぜかあるんだから。そんなふうな、あること自体の驚きの感情を失うのでなければ、苦しみの意味や理由を求めて悩むことは少なくなるだろうし、人生が空しいだなんて思うこともなくなるだろう。なぜか宇宙が存在して、星々が永遠に生成消滅を繰り返しているなんて奇跡的な出来事が、どうして空しいことであるはずがあるだろう!

池田晶子『14歳からの哲学 考えるための教科書』トランスビュー、2003年、183頁。

奇跡を生きている。

memorandum 489 精神の自由

2017-05-07 08:41:53 | ことば
そう、精神の自由とは、何よりもまず「怖れがない」ということだ。怖れがあるところに自由はない。わかるね。「したいけれどもできない」と言う時、したいことをできなくしているのは、その人の怖れ以外の何ものでもない。言いたいことを言えないのは、他人にどう思われるかということへの恐れだし、イヤな仕事を辞めたいのだけれど辞められないのは、生活できなくなること、つまり死ぬことへの怖れだ。
 死への怖れが、人間の中では一番大きな怖れだ。これが人生を最も不自由にしているものだ。死ぬことを怖れて、人がどれだけ人生を不自由にしているかを想像してごらん。生き「なければならない」、食べ「なければならない」、みんなと合わせ「なければならない」、あらゆることがこの怖れから出てきているとわかるだろう。でも、死は怖れるべきものではなかったのだったね。考えれば、人は必ずそのことに気がつく。そのために精神というものがあるんだ。精神は、考えて、自由になるためにこそ存在しているんだ。

池田晶子『14歳からの哲学 考えるための教科書』トランスビュー、2003年、169-170頁。

毎度これまで私は死を恐れてどれだけ不自由な人生を生きてきたのだろうか。死は怖れるものではない。