七浦海岸沿いを相川へと車を走らせると、米郷(よなごう)の集落が見えると、その次が稲鯨集落である。民宿の「敷島荘」や「一福」などがある集落だ。やがて右手に寿司角さんが見えてきた、これを過ぎた辺りに清水があると言う事だったので、徐行しながら右手を探したら、ガードレールの手前あたりに、祠らしき物が見えた。階段を降りて行くと、「清水権現」の額が確認でき、その袂に、ちょろちょろとした清水の湧き出る音がした。間違いなく権現清水である。
当ブログの人気の高さの秘訣は、歴史的事実や言い伝えを分かり易く解説している事だ。清水権現の由来について説明しておこう。能登の石動山の天平寺の修験者が来島した折、稲鯨の高野家が一晩の宿を提供した。そのお礼にと、修験者が湧き出る清水の場所を教えたと言うのだ。霊験あらたかなる清水ゆえ、いつしか眼病に効くと言う話になり、この水で目薬を製造したこともあったそうだ。先に紹介した橘の権現清水と稲鯨の権現清水とは地下で繋がっていると言い伝えられている。そんな事は検証不可能なので、大風呂敷を広げたような壮大な作り話をでっちあげるのはいとも簡単である。外海府の岩谷口の洞窟と小木の宿根木の洞窟が繋がっていると言う言い伝えもこの類であろう。この二つの清水は、田畑の灌漑用水、生活用水、信仰の対象などに利用され、現在も細々と湧き続けている。
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