佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

小川の円葉車輪梅(佐渡市相川)   投稿者:佐渡の翼

2024年01月07日 06時00分40秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

外海府地区の集落の家々は寒さを凌ぐために、どこもぴったりと肩を寄せ合うように建っている。冬になると、黒く盛り上がるようなうねった波が押し寄せて来る。その荒々しさは人々を寄せ付けようとはしない。そして波の花とも称される白や黄色のしょっぱい泡を吹きつけて来る。外海府の人々はこの厳しい冬をひたすら耐え続ける。そうする事により暖かい春や光輝く夏の到来を無事に迎えられる。5月3日の小川集落はそんな安心した華やいだ雰囲気に満ち満ちていた。筆者は小川集落とファミリーオ相川の敷地との境目付近にある岩場を目指していた。そこには天然記念物のまるばしゃりんばいの花の群落があり、間もなく開花を迎えようとしていたからだ。このまるばしゃりんばいには隠された秘話がある。相川金山が隆盛を極めていた頃、全国の山師達は奉行所の許しを得て、領主に運上金を納めた後自身で鉱山を開発し、その経営に乗り出すようになった。鉱山は相川以外にも外海府地区の各所に点在しており、小川集落近辺には羽祢(はね)ガ山鉱山と言うのがあった。そこへ加賀の国から乗り込んで来た「金次」と言う名の若者金穿大工がいた。彼は国元に残した婚約者と所帯を持つための資金稼ぎにと佐渡へ渡って来た。金次は鬼気迫る形相で昼夜を分かたず掘削に邁進し、その掘削作業量は常人の2~3倍に達した。だが、換気が不十分な坑道での過酷な掘削作業がたたり、金次はわずか3年で珪肺に罹り死亡した。 src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/20/80bd1530d4fe4549ffb5f43c405ea51b.jpg" border="0width="600" height="450">

まるばしゃりんばいの説明看板

花はまだ蕾であった。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿