佐渡の翼

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津村節子文学碑      投稿者:佐渡の翼

2018年05月21日 06時00分33秒 | 佐渡金銀山世界遺産候補関連史跡

佐渡金山第5駐車場に大切山坑があり、その手前に大立公園がある。この公園内に津村節子文学碑がある。文学碑は二つあり、それらには、昭和四十年に講談社から出版された佐渡鉱山を題材にした、水替無宿の青年と遊女の愛を描いた長編小説『海鳴』の一節と取材時の作者の所感が刻まれている。一つには、「慶長六年に三浦治兵衛ら三人の山師に発見された鉱脈は、鮎川の渓谷をさかのぼり、鬱蒼とした茂みをぬけたところに、燦然と、その露頭を現していた」と言う小説の一節が刻まれていた。山師と言うのは「試験で山をかける」と言う言葉があるように、ばくち打ちのようなものだ。のるかそるかの大勝負に出て、一発逆転を狙う勝負師の事だ。当たれば一攫千金だが、はずれれば、奈落の底に突き落とされる。佐渡金山を発見した三浦治兵衛らは、その独特の嗅覚で、濁り川の上流に金脈が存在する事を嗅ぎ取っていたのだろう。鶴子銀山の鉱脈が途絶えると、彼らはその北方に必ず金脈があると信じ、相川に辿り着いたのだ。大した執念であるし、鉱山学の基礎知識なども乏しい時代によくぞこれだけの鉱脈を発見したものである。そしてその掘削技術は現代の最先端技術に比較すれば驚くほど幼稚で拙かった。だから、あれだけの悲哀の歴史と掘削技術の蓄積伝承が形成されたのだ。

もう一つの石碑には、「望郷の念に駆られながら、若い命を相川に埋めた無宿人たちの、かすかな声が、石や草の蔭から、聞こえてくるような気がする」とした取材時の所感が節子直筆の文字で刻まれていた。現代に置き換えれば、その日暮らしの日雇い人夫とソープランドのソープ嬢との悲恋話、道ならぬ恋物語である。左手前方を見上げると、道遊の割戸が真近に迫って来る、物凄い迫力である。過酷な鉱山労働に耐えかねて、若いみそらで世を去った無宿人たちの無念で悲痛な叫びが切々と伝わって来る、この地こそが佐渡の原点である。様々な階層の、様々な職種の人々が織り成す歴史絵巻、それが金山華やかなりし頃の相川の街そのものだ。佐渡金銀山へは、幸田露伴や与謝野鉄幹・晶子など多くの文人が訪れており、それらの文学碑はそこかしこにある。是非とも歴史文学散策のために相川の地を訪ねて頂きたいと思う。

文学碑

標柱

文学碑から見た道遊の割戸

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