オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

饐えて冷めきった鉄を叩いて延ばして粘りを与える。

2009年02月14日 23時13分39秒 | 今日の、エウクストロネラ

せっかく始めたのでまとめページ。

2009年1月6日 6:12
今日の警言 「ライオンは生まれついての怠け者。食料さえ十分にあれば、怠惰な生活をいとも簡単に受け入れ、木陰なんぞでこれ幸いとばかり、いくらでもうたた寝にふける。トラはそうはいかない。彼らには求めるものが遥かに多いのだ。神経系統が無為を嫌い、長時間くつろぐことを許さない。どんなにたらふく食べさせようと、駄目なものは駄目なのだ。檻に入れるとすぐに退屈して落ち着かなくなり、中をうろうろと歩き始める。それだけに、檻で飼うのが困難をきわめる動物だ。動物園では気を使う」(ライアル・ワトソン『ネオフィリア』)
 
2009年1月6日 5:57
今日のポオ 「これに対してなんと言っていいかわからなかったので、僕は大きな声を張り上げて、「エジプト人が蒸気のことを知らないのは遺憾だ」と言った。エジプトの伯爵は驚き呆れて僕を見たが、何とも答えなかった。だが例の無口な男が肘で僕の肋骨をぐいと突き、おい、これでお前は自分の程度をすっかり暴露してしまったのだぞと言い、現代の蒸気機関はソロモン・デ・カウスを通じてヘロの発明から借用したものに他ならぬことを知らないほど、お前は実際馬鹿者なのかと言った」(『ミイラとの論争』)
 
2009年1月5日 0:04
今日の弘法大師 「魚という動物は、みな心にむさぼりの心があり、怒りの心があり、とてつもない愚かさがあり、かつ欲深い生活をしています。魚の王は鯤という怪物で長さ数千m、海中を我が物顔に泳ぎ回り、大口を開けて食べ物をあさっています。彼らが吐き出す波は離欲の為に船出している者や慈悲を求めて航海をしている者も沈めてしまいます。魚類は気ままで、泳いだり潜ったり、志に一定の決まりがありませんし、貪婪で心根も素直ではありません。彼らは後の世で受けなければならない地獄の苦痛をまるで考えずに、この世の価値だけを追い求めているのです。次に鳥たちはどうでしょう。鳥という動物は、おもねりといつわり、ざんげんとへつらい、そしりあいと陰口、おしゃべりとかまびすしさに満ちていて、常に周りの顔色ばかり見て取り入ったり、平気で悪事をはたらいたりしています」(空海『三教指帰』)
 
2009年1月4日 23:32
今日のサン=ジュスト様 「道徳的な自然は、革命を遂行するに当たって肉体的自然より多くの顧慮を図るべきだろうか? 理念というものも物理法則と全く同じく、その法則に逆らうすべてのものを破壊していかなければならないのであろうか? そもそも道徳的自然、つまり人類を総体的に変革していく大事件というものが、血によって行われてはならぬわけがあろうか? 世界を動かしていく精神は、物理的な領域において火山の爆発や洪水を必要とするのと同じように、我々の腕を必要としている。人々が疫病で死のうと革命で死のうと、それは大したことではないのではないか?」(ゲオルク・ビューヒナー『ダントンの死』)
 
2009年1月2日 9:01
今日の名将軍 「テーバイのエパミノンダスの言ったことだが、敵勢の思惑と兵法と自らの情勢を的確に見抜くことほど必要で重要なことはない。エパミノンダスほどの人をもってもそのような洞察は難しいものだったが、しかし彼はその能力では賞賛に値する人間だった。というのも歴史上何度も起こったことだが、合戦が長引いて夜になって小休止に入ったとき、勝っている方が負けたと勘違いし、負けた方が勝った気になったりするものだからである。かような勘違いのおかげでせっかくの幸福を失ってしまうことがある。ブルートゥスとカッシウスの場合がまさしくこれで、ブルートゥスは戦いの上で勝っていたのに味方のカッシウスが押し込まれているのを見て、自軍が総崩れになったと思い込み、武運が尽きたと勘違いして自ら命を縮める始末になってしまったのである」(ニッコロ・マキャベリ『ローマ史論』)
 
2009年1月2日 8:27
今日の警言 「劇場で人気役者が舞台から引っ込むと、観客は次に出てくる役者には目もくれず、そのセリフも退屈なおしゃべりとしか思わない。それと同じように、いやむしろそれ以上の軽蔑でもって、人々は誇り高いリチャード王に対して眉をしかめてみせたのだ。彼の名を叫ぶものはおらず、彼の帰国を歓迎する声はもちろん無かった。それどころか彼の聖なる頭上にごみが投げつけられ、彼はそれを寛容な悲しみをもって払い落としていた」(ウィリアム・シェイクスピア『リチャード2世』)
 
2009年1月2日 0:48
2度離縁された妻 「呉起は妻に組み紐を編むように頼み、その編み方を詳しく指示した。妻が編み上げた組み紐は、それは素晴らしい出来だった。呉起は妻に尋ねた。「なんと素晴らしい。本当に私の言ったやりかたでこんな物ができたのか?」 妻は答えた。「材料の使い方は同じはずですが、やり方に私なりの工夫を加えてみたんです」。それを聞いて呉起は悲しそうに「私の命じたやり方でやったわけではないんだね」と呟いて、妻に離縁を告げて丁重に実家に送り返した。妻の父は驚いて呉起に考え直すことを訴えた。それに対し、彼は「私の家では嘘は申しません」と答えた」(『韓非子』)

2009年1月1日 23:52
今日の名宰相 「のちに楚の宰相となる呉起が妻に組み紐を編ませた。出来上がった紐は呉起が指示した寸法に足りなかったので、彼は妻に作り直すように命じた。妻は素直に「わかりました」と答えてやり直し始めたが、できたのはやはり寸法が足りない物だった。呉起がなじると妻は言った。「だって最初に縦糸を掛けてからそれに合わせて横糸を編むんですから、途中で直すことなんてできないんですっ」。呉起は激怒して妻を離縁した。彼女は憤然として自分の兄に訴えた。するとその兄は答えた。「呉起は法律を学んでいる。それは国を救うためにである。彼はまず自分の妻で統治のやり方を測ってみようとし、そしてお前は応えられなかったのだ。お前ももう復縁しようなどとは思わないことだ」(『韓非子』)

2009年1月1日 8:18
今日の警言 「侯爵夫人、あなたが面白半分に、もしくは慈悲の心から、世間からやくざと呼ばれている連中を身の回りに集めたとして、このやくざが貴女に卑劣なことをし始め、やがてあなたにもそれを無理強いし、結果、貴女がまじめな人々から爪弾きされそうにしたとしても、この場合悪いのは貴女の方ですよ。まじめな人々は自分のしなけりゃならないことをしているんだし、やくざどもにしてもやはりそうなんです」(ドニ・ディドロ『ラモーの甥』)

2008年12月31日 10:15
今日の名宰相 「孔子は聖人ですが、弟子の子路は師をまわりくどいと批判しました。孟子は賢人ですが、当時の人々はやはり孟子の言うことをまわりくどいと評しております。まして司馬光となれば、そうした印象を帝に与えてもいたしかたありますまい。物事をより深く考える人ほど、まわりくどいように見えるものです。どうぞそのように考えて、陛下も司馬光に接してくださいますよう」(北宋の神宗の側近・呂公著が司馬光を評して)

2008年12月29日 9:52
今日の警言 「あなたの敵は、攻略し、自分の欲しいものを略奪するために、司令官のように振舞います。野戦の指揮官が陣を張り、城と兵力をよく偵察し、最も手薄なところから攻撃するように、人類の敵もまたわれわれの周囲を廻って、われわれのすべての徳、対神徳や枢要徳や倫理観を順々に調べ上げ、永遠の救いのために最も弱く無防備なところを見出し、そこからわれわれを攻撃し、われわれを虜にしようとします」(イグナティウス・デ・ロヨラ『霊操』)

2008年12月28日 9:15
今日の大往生 「きちんと座って正しい心で己を観察し、大きな慈悲の心を持って巨大な家のようにし、智慧を鼓となし、覚悟の念を杖のようにして鼓を打ちながら、自分の中のもろもろの煩悩に言いましょう。おまえら、知れ! すべての煩悩は妄想なのだ。もしわが身に善事が起こってもそれは法王(=仏)のおかげであり煩悩の結果ではない。速やかにオレの身から出て行け。出て行かないのなら殺してやる。・・・こんな風に言えば、どんな煩悩の賊だって、自ら消滅してしまうはずです。あとは自分で自分を防護する心を起こし、放逸しなければいいのです」(源信『往生要集』)

2008年12月27日 0:03
今日の名宰相 「自分の軍隊が災禍に遭っている場合と同盟国が災禍に遭っている場合、どちらがより重大事か。「同盟国を救うほうが大事である」とヴァータヴィヤーディは言う。「信頼に足る友邦というものは、遠くにいても無報酬で我々のために働いてくれる。背面の敵・見えない林住族長に対しての牽制は、窮地においての最大の助けなのだから」。「それは正しくない」とカウティリヤは言う。「征服者が強大な力を持っているときのみ友邦は友情を示すのであり、そういう時は敵ですら友情を示すふりをする。だが、切羽詰った戦争や、捕虜や宮廷内部の謀反の場合は同盟国の力は全く当てにならない。大災害が同時に起こったときや敵軍が多方面に展開したとき、普通は誰もが自己の利益を追求するのである」。」(紀元前4世紀チャンドラグプタ帝の宰相チョーナキヤ『アルタシャーストラ(実利論)』より) 
 
2008年12月25日 22:28
今日の真言 「おん べいしらまんだや そわか/あり なり となり あなろ なび くなび」(多聞天の真言)。意味は「名声のある尊天に帰依復命したてまつる。めでたいね♪」「富める者よ、芸に秀でた者よ、讃歌によって踊る者よ、火の神よ、歌の神よ、醜い歌神よ、めでたいです♪」。多聞天とは別名毘沙門天ですが、武神・軍神です。読みによってヴァイシュラヴァナになったりマイシラマナヤになったりベイシラマンダヤになったりするらしい。名前の意味は「みんながよく知ってる偉い人」という意味で、それを縮めたのが多聞・普聞ですってさ。有名人。上杉謙信が崇拝したことで名高いですが、謙信がかぶっていた兜の前立てになっているのは毘沙門天じゃなくて飯綱権現。飯綱権現は別名飯綱の三郎という天狗で、三尺坊大権現と同じ狐に乗って憤怒の表情で剣を握る姿をしているんですよ。でも謙信の飯綱信仰も名高いですが、知切光歳によると「謙信は飯綱山よりも戸隠山への尊崇のほうが厚かった」といいます。でも戸隠山の守り神も飯綱大権現なんだそうです。
 
2008年12月25日 21:05
今日の捻ってしまった文章 「・・・このように西洋開闢以来5840年間の学問の興廃と得たもの失ったものの流れを見てきました。しかし諸学科が興ったと言っても、概するところその種類は五種類です。その1は「レイデンキュンデ」といいます。自然作用の原因を規則立て、その真偽虚実を知る学問で、仮に「知理義学」と訳します。その2は「ゼーデンキュンデ」といいます。禍福報恩のことを知る学問で、道徳・宗教学・政治学の総称です。第3が「ナチウルキュンデ」で、諸物の性質を知るための方法を探る学問、即ち視学・分合学・称水学・器械学等を含みます。その4は「ボーヘンナチウルキュンデ」。五感では感じ取ることの出来ない諸物の性質を知る学問です。ウェーゼンキュンデ(←?)。精神学・世界学・鬼神学がこれに属します。第5が「ウヰスキュンデ」といい、諸物の形状・距離を測る学問です。算学・度学・ホーケテレキュンデ・星学を含みます。総称して「数学」と訳します。その他にも文章学・物産学・年代学等さまざまな分野がありますが、すべて上の五学のうちの一派と分類できます。ヒーストリア(歴史学)は事物の外表を記す学問ですが、それと合わせて内面のことも記すならば、すべての原因を明らかにできるのだから、ゲシキイニデスといい、もしかしたらこれを6つめの学問とすることができるかもしれません」 (高野長英『西洋学師ノ説』)
 
2008年12月24日 14:12
今日のあれっと思った警言 「ルソーの権威がどんなに私に尊敬の念を引き起こそうとも、おお、偉人よ、死刑を正当化した点で私は汝を許さない」 (サン=ジュスト『革命の精神』) ・・・“死の大天使”サン=ジュストって死刑には反対の論者だったんですね。・・・って、すんません、サン=ジュストのふたつ名って”死の大天使”じゃなくて”革命の大天使”でしたね。うろ覚え。有名な演説「人は罪無くして王たりえない。国王こそ反逆者であり主権の簒奪者である。従ってルイは王として統治するか、死ぬかのどちらかなのだ」の文章はレトリックに満ち解読に労力が必要なのに、日本語で全文を読める資料は無い、と誰かが言ってました。確かに中央公論社版世界の歴史ではその部分は「ルイは人民を謀反者として告発した。しかし革命と人民は彼こそが謀反者だと明らかにした。従ってすでにルイは既に裁かれており、この裁判こそが無意味である。あらゆる王は謀反者であり、権力強奪者である。国王が罪無く統治することなどありえない。ルイはそれ以前も以後も市民ではなかった。彼を裁くということは彼を市民扱いするという重大な過ちを犯すことでないか」となってます。ここは本によって表現がかなり違いそうですね。市民扱いもなにも、ルイは革命後はシトワイヤン(市民)カペーとなっていたはずですけど。そもそも”恐怖時代の大天使”サン=ジュストが有名なのは日本と限られた周辺だけみたいで。ベルばらにサン=ジュストが登場し重要な役を占めたのは池田理代子と親しかった木原敏江が大プッシュしたからだと聞いたことがありますが、その木原敏江がサン=ジュストの生涯を描いた漫画『杖と翼』が昨年文庫化されました。しかしその頃わたしは金欠の極みにあったので2巻までしか買ってないや(全4巻)。
 
2008年12月22日 7:26
今日の変なヤツ 「・・・13歳で私はバイロンを理解するだけに成熟していたのだ。『マンフレッド』があるのに『ファウスト』などという名前を口に出せる人間には言うべき言葉はない。ただ流し目をくれてやるだけだ。ドイツ人にはおよそ偉大さということを理解する能力が無い。その証拠はシューマン。私はこの甘ったるいザクセン人に対する憤懣から、これに対抗するマンフレッド序曲を自分で作曲してやった。それを見てあのハンス・フォン・ビューローは言ったものだ。このようなものはまだ見たことが無い。これは音楽の女神への暴行だ」 (ニーチェ「なぜ私はこんなに利発なのか」という文章より)
 
2008年12月22日 7:11
今日の警言 「権利の問題として主張されている世襲制は子孫に対する侮辱であり、詐欺である」「王位の世襲権の愚劣さを示す最も自然な証拠のひとつは、自然がこれを認めないということだ。事実自然はしばしば人類に対してライオンの代わりにろばを与えて、世襲制を笑いものにしようとしている」 (トマス・ペイン『コモン・センス』)
 
2008年12月20日 9:30
今日の警言 「戦争は早く終わらせようと急ぐほど長くかかる。なぜなら、一番必要なことは準備を万全に整えることだが、それを惜しむと簡単だったことも困難になってしまうからである。節約しようとした1日の代わりに1ヶ月以上失われることがままある。仮にそうならなくても、作戦の省略化はより大きな混乱の原因となる」 (F.グイッチャルディーニ)
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