オセンタルカの太陽帝国

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アキロニアはコナジョハラを失ったのだ。

2008年06月11日 04時09分20秒 | 伊豆の歴史

6月4日~5日に行ったドライブの記録の続き。

小休止して、韮山図書館へ向かいました。韮山の図書館は、「韮山時代劇場」という一風変わった見た目の建物の一角にあるのですが、写真撮るの忘れました。また、この時代劇場の前には、源頼朝・北条政子・北条早雲・江川太郎左衛門のステキで巨大なステンドグラスがあるのですが、こちらも写真撮るの忘れて来ちゃいました。一度ここでも写真を載せたことがありますね。この前を通るたびに、「韮山はなんと偉人の町なんだろう」、と感嘆してしまいます。
さすがにここには頼朝本が充実しています。一般書ばかりで専門書はなくて10冊程度なので「頼朝コーナー」とまでは呼べないものの、ぜひとも欲しい素敵な本ばかり。ちょっとの休憩の予定だったのに、加藤景廉本を読みふけってしまいました。今一番気になっているのは、「加藤父子の宿敵である“伊藤某”(←源平盛衰記による)とは本当に上総介忠清なのか?」ということです。「おもしろいな」とは思っているのですが、それをそうと断言しているのは手持ちの本では上松和彦著『戦争の日本史6 源平の争乱』(吉川弘文館、2007年)だけなのです。何かの史料があるのでしょうか。上総介忠清はその能力の評価に毀誉褒貶はありますが、実質的に「平家軍の参謀」及び「力のある遊軍」の立場にあった人です。彼の本国である伊勢の国でその“伊藤五”(=忠清)と“加藤五”(=光員=加藤次景廉の父)に何らかの対立があったと考えるのはとてもドラマティックで楽しい。最終的に文治元年に忠清を捕縛し首を刎ねたのは加藤五光員。…さらにまた、同じ“上総介”を名乗る平広常とはどんな確執があったのかを考えるのも楽しい。

時計を見ると12時半だったので、あわてて一匹の鯨に向かいます。

時代劇場は蛭ヶ小島の近くにあります。
蛭ヶ小島の遠景。水浸しになっているように見えますね。やっぱり蛭ヶ小島の光景を楽しむなら、この時期(田に水が入る時期)が一番でしょう。残念ながら今日も蛭は見ず。
どこが蛭ヶ小島か分かります?

さてさて、本日のメインイベント、一匹の鯨!

平日ですが、さすがにお店は満員になっていました。
お店に入って、R30ラーメン(700円)にチャーシューを2枚(130円×2)付けて注文。
うんまいいいいィィィィィ~~!
風味が凄く豊かなのです。基本の鶏汁の淡くて暴れん坊将軍のようなのと共に、生姜の香りがプンプンと力強く攻め込んでくる。なんと美味しいラーメンなのでしょう。もう、私はこの一杯を食べに伊豆まで来たようなもんだ。大好きなチャーシューもいつにも増して絶妙。
今日はいつものおねーさんはおらず、店長さん直々に接客していました。顔を覚えていてもらえた!(^^) のみならず「引っ越ししたんですってね。心配していました」と言って貰えました。こっちの方こそ(ブログの更新が無いから)心配していますのに。とても忙しそうです。
店長さん店長さんって常々言っていますが、本当はこのお店の店長はいつもラーメンを作っているお兄さんで、店長さんは本当はその上の経営者らしい。まあいいや。この方は、ラーメン食べ歩きを熱心にして進化を追い求めているのです。逆に「浜松って美味しいラーメンはありますか?」と聞かれました。さすがに「たくさんありますよ」と答えるわけにもいかず、ウーーンと唸っていると、店長さんも苦笑いをしていました。どうやら浜松という土地に(ラーメンに関しては)あんまり芳しい印象を抱いていないようです。
「5匹目の鰻あたりを浜松に是非に作って下さい」と願うと、「行くんなら東の方に行きたいんです」と言っておられました。あははははは。

お店を出て向かったのは、韮山城。
そろそろ住んでいた頃に行ったことの無い場所にも向かってみないとわざわざ伊豆まで来た甲斐が無い。


韮山城内部の城池から望む韮山城本城。

そおです!!
わたくしは「お城好き」を名乗っていながら、伊豆を代表する素晴らしいお城である韮山城に、まだ一度も行ったことがなかったのです(爆)。こんな記事も書いたことがあるのにね。改めて見ると、韮山本城はとてつもなく小さいのですが、それを取り囲む支城を絡めて見れば、とてつもなく巨大で堅牢となる。

私は以前の記事で、「“豊臣勢5万を3ヶ月に渡って食い止めた堅城中の堅城”という評価と、“構造がとても単純な平山城で、どうしてこれであんな見事な戦いを繰り広げる事が出来たか不思議”という評価が並立している」と書きました。やっぱり地図上で見る韮山城本城の領域はそんなに大きくないし、韮山城を下から見上げた時の圧迫感もそれほどではないのです。ただ、「位置的な存在感はなかなかのものだな」と思うだけであって。
そういったもろもろの疑問点を抱きながら山の中を歩き回ったので、すごく楽しい散策となりました。
一番のポイントは、「この城で北条氏規は5万の大軍を2500の手勢で食い止めた」ということですが、5万というとんでもない数字はさておくとしても、北条側も本当に2000人も詰められる程の包容力があったのかということです。それほど大きくなく見える。…でも実際のところ、小山の部分だけでなく現在の韮山高校のある部分が“御座敷”として出丸的な役割を担っているので、そこに兵の大部分は詰めていたんでしょうね。あとは熊野神社のある部分と、城の反対側、城池の側にあるポケット的なスペースと。
また、登ってみてビックリしたんですが、下から見るより崖は切り立っていて鋭い。こりゃ、下から攻めるのは容易ではないなと納得した次第です。たくさんのものが綺麗に残っていて、大満足なお城でした。
このお城についてはコチラのサイトさんが一番分かりやすいので、参照なさってください。


北条早雲が伊豆経営の為に戦略的に使おうとした熊野神社。城内ではこの付近が一番広く、篭城時にはここに兵がひしめいていたんでしょうね。


土の遺構が巨大でとても見事。在りし日の姿を想像すると、ワクワクしてきてしまう。
もちろん、お城だった頃には木なんて一本も生えてませんよ。


特に驚嘆したのは、権現曲輪から主郭?に登るための巨大な土壁でした。あまりの神々しさに見惚れた。……が、デジカメの写真だとあの堅固さが全然撮れてない。


曲輪と曲輪を仕切るための堀。素晴らしい。お城の中で一番重要な部分なんですよ。


天守曲輪?付近から見た北条の守山。その手前に蛭ヶ小島もあるんですけど、分かります?


南の曲輪に通じる通路。
南の曲輪は微妙な地形ですが、地図を見る限り大軍で攻めるにはこちら方面から攻めてみようと思うに間違いなく、その分こぢんまりとしながらなかなか複雑な造りを見せています。ここから土手和田砦、もしくは天ヶ嶽砦へ行く通路は無いかと一生懸命に捜したんですが、結局諦めました。行けないはずはないんですけれども。

さてさて、お城を辞して、ちょっと疲れてしまったので休憩の為に御用達にしていた本屋さんへ。そこで海音寺潮五郎の『武将列伝』と島本和彦の『吼えろペン』を買い込んで、車中で数時間読みふける。…せっかく遠くまで来たのに何でそんなことしてるんだ、と思わないでもないですが、いいんです。この好きな土地でただ漫然とまったりとだけする、てのだって今の私にはかけがえのない心の洗濯なんですよ。
午後5時頃、おねえさまから「やっぱり今日も無理っぽい。またの機会に」というメールが入り、ちょっと悲しく思いながら伊豆を離れることとしました。「夕食は長泉町のじぇんとる麺にしようかな」と思って車を発進させたのですが、どうしてもさきほどの美味しい鯨が舌に甦ってきてしまい、ついふらふらと再び一匹の鯨に車を停めてしまいました。今度は塩トンコツにしてみようかと。店長さんもまた入ってきた私を見て苦笑い(したように見えた)。
すかさず塩トンコツを注文すると、 「実は新作でR45ラーメンがあるんですよ」と。なぬッッッ!!??
このお店ではR40が辛いラーメンで、R50が酸っぱいラーメンなのですが、R45は「ちょっと辛い塩トンコツ」だとのこと。もちろんそれを注文です。

ほんのり赤い。
僭越にも感想を述べさせていただければ、本当に、もっともっとと啜り続けたくなる絶妙な辛さでした。辛さはメインではなく、添え物になっているのがいいんですね。R40ラーメンのときも辛過ぎなくR30ラーメンの様々な味が、辛さの中で上手く溶け合っていることに感動したものですが、こちらの方はさらにクリーミーな豚骨のおかげで、マイルドで辛さと楽しさに満ち溢れた一杯になっていました。この味わいは、女性に大人気になるんじゃないでしょうか。春菊も茗荷も入っているし。今メニューの中に無いのが不思議になるくらいの完成度です。すばらしい物を味わわせて貰った。
…と胸がいっぱいになりながら食べ終わったのですが、いざ店長さんとお話をしようと思うと、私の口から出た言葉は「おいしかったです」と、ただ一言だけ。おいおいおいおいっ、それじゃ店長さんの何の参考にもならないじゃんかよ。口ベタでごめんなさい。

それで大満足してしまって、じゃんとる麺に行こうという気持ちは無くなってしまい、一路家を目指しました。藤枝バイパスで、いつも前を通っては気になっているラーメンショップがあって、でもいつも閉まっているんですが(だってここはいつも深夜に通過しているから)、今日はそれが開いていたので、そこに入って夜のおやつにしてみました。ここ、「梅の家」と言う名前の店ですって。チェーン店だろうか。

うん、まあ、こんなものだろう。
奇しくもここは前日訪れた諏訪原城のすぐ近くだったのでした。
…というわけで、今回のドライブ行はおしまい。
とっぺんぱらりのぷう。

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