オセンタルカの太陽帝国

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柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

目に見えるけど目に見えないもの(わさびは2)。

2008年11月06日 23時13分33秒 | 伊豆の歴史

無事帰宅しました。
あらかじめ言っておきますが、目に見えることなど何一つ起こらなかったのだと申しておかねばなりません。また、「冷川の浪人さんに携帯でメールを送っていつでも動けるようにしておく」と言ったのに、いろいろ追われてできなくなっていたことも申し添えねばなりません。すんません。

…仕事が完了して飛び出したのがきっかり12時。仕事の遅い私は1時過ぎまでかかることも多いのに、珍しいことでした。一路東へ駆けます。なんでこんなに焦っていたかというと、中部静岡を通る時は必ず寄りたい藤枝のあのお店に入りたかったからです。昼は2時半までですからね、2時までには店内に入っておきたい。道路は思いの外スムーズで、順調に2時2分頃に藤枝市に到達するも店の前まで来て唖然。「お休み」の貼り紙が。なんてこったい。呆然としながら代わりのお店を探したのですが、藤枝ってラーメン屋多いですね。一番近くにあった「来来亭」というお店に入りました。店外ののぼりに「関西ウォーカー京都編で栄冠に輝いた」とか書いてあって興味を惹かれ、駐車場に車を入れたのはいいのですが、店頭に「あっさりスープにコクある背脂」という文字が躍っていて「うへえ」と思いました。こういうコピーで私の好みだった試しが無いのですのよね。一瞬出ようと思いましたが、おばさまが店の中から出てきて私の車を見つめていたので、やっぱり入ることにしました。気の弱い私。

席に座った時に店内の異様な雰囲気に気付きます。店員は若いにーちゃんがほとんどなのですが、みんな大声で不思議な呪文を唱和しているのです。ブックオフで「いらっしゃいませこんにちわー」とか牛角で「はいよろこんで~!」とかいうやつのもっと不愉快なやつ。果てには時間ではけていくバイトの人が「今日は充実した一日を働かせていただいてありがとうございました!」とか(厨房に向かって)大声で叫んでいく。なんだかカルトチックで「こういうの苦手だなー」と居心地の悪さを感じていたのですが、ふと、目の前にいる若者たちが、決められた言葉を叫んでいる時以外は普通に雑談しているのを見て、笑みを感じてしまいました。なんだこの変な店。

「こってりラーメン」もありましたが、普通のラーメンのチャーシューメン(800円)を注文。上の感じでいろいろ選べるのですが、注文時にこれを指さしながら「あなたのこだわりを教えてください」などと言われたものだから、むっときて「全部普通でいいです」と答える。背脂少なくしてもらいたかったんですけど。なんか仕事的に使われる「こだわり」って言葉、嫌いなんですよね。なんでワシのラーメンに対する秘密の思いを他人なんかに気安く教えねばならん。人に言える時点で碌なもんではないわい、そのこだわりとやらは。

来たラーメンは上のような感じ。背脂いっぱい。説明書きには「基本的に唐辛子が入っています」とあります。なんか見たことある感じだな。「横綱」に似ているのかしら。一口啜ると、あっさりどころではない鋭いスパイシーな味。悪口を言いましたが、うん、これはなかなか好みだぞ。

赤みがかったスープに醤油の味が綺麗な感じに収束していて、舌の上でまとまる感じ。これは美味い。当初の戸惑いとは逆に、非常に好みな一杯でした。ごちそうさま。

…そこから宝探しに向かうのですが、その前に立っておきたい場所がありました。
焼津市石脇にある石脇城。われらが“伊豆の大英雄”北条早雲が、どこからともなく西の方からふらりとやってきて、駿河の国主・今川義忠の家臣となってから、初めて賜ったというお城です。彼の伊豆への野望の原点。
で、事前にグーグルマップで場所を調べてちゃんと地図帳に当たりをつけて向かったんですが、迷うこと迷うこと。あれですね、ロードマップってなんだか大雑把なんですよね。パソコン無しにグーグルマップを持ち歩ける技術が開発されたらいいのに。…ようやく辿り着いた場所は、私が迷い始めた入り口の所にあった小山でした。なんという大回り。東名の日本坂パーキングエリアの近くです。

ぬおーー、感激。でもこれ、登れるのかしら。
写真にある小道をあの黒い小屋のあたりまで歩いてみましたが、どうも個人の敷地みたいですし、道のこの先があるような気がしません。引き返しました。早雲様はどこに住んでいたのかしらね。あの白い小屋のあたり?

新人物往来社の『北条早雲のすべて』にはこう書いてあります。

「尾根つづきを空堀で切断した丘陵上に、大体3つの曲輪を配置してあるが、特にすぐれた構造とはいえない。後の北条氏の城に比べて、ここは未完成の城郭で早雲の在城期も短かった、と見られている。早雲は、その甥龍王丸(=今川氏親)の家督継承まで10年以上、主としてここにいたのではなかろうか。
ここの北方直線距離で2里にも満たぬところに丸子城があり、龍王丸とその母で早雲の妹北川殿が文明8年以降10年以上ここに隠棲していたのである。早雲には彼らを陰に陽に擁護する義務があり、丸子を後詰するには石脇は恰好のところであろう」

在城期間は短かったのに10年以上もここにいたって、どういうことじゃい。
あー、早雲は88歳まで生きた(?)人なのでその基準で見ると10年は短かった、ってことですね。
ともかく、登ってみても見る物は少なそうです。

が、改めてグーグルマップを見てみると、やっぱりあの道から登れるみたいじゃん。あ、あそこで人の気配さえしなければ。ぎりぎりぎり。
主郭は左側のミカン畑等で切り開かれている方でなくて、右側の木が生い茂っている方みたい。

二の丸の斜面には早雲が遺した堅牢な石垣が現存していました。(ウソ)

山の反対側から。…小さな丘です。
ま、何も見なかったですけど、秋の風がとても心地良いお城でしたよ。
地図的に見ると、静岡市と焼津市の間には「大崩海岸」という通過困難な地形が広がっておりまして、その山塊の南側の海岸近くの独立した小丘に位置するこのお城は、西側からの攻撃から静岡市を守護する役割を担っていたのだと思う。「丸子城」には早雲の「奇貨」が眠っていて彼はその守護役だったのですが、西の方を向いている振りをして早雲が常に東だけを注視していたという状勢がおもしろいですね。そう、(この時点では静岡市だけですけど)北条早雲は常に東にしか興味が無かったのです。
北条早雲バンザイ!

 

…そこから宝探し一発目へ。
その場所を探すのは石脇城探しより遥かに簡単でした(^-^)
グーグルマップで「ここしかありえない」って場所を探してあったので一直線。私の手持ちの10年前のロードマップにもばっちり載ってました。

宝探しの問題文については、会員登録しないと読めませんのでここで無断にコピペ。

「☆ぼくたちの宝箱
早春の週末、久しぶりに妻と静岡の田舎に帰ろうと思い立ち、ういろうを土産に五年ぶりの我が家に帰ってきた。家についたのは午前10時過ぎだったが、空は抜けるように青く、小春日和ということばがぴったり来る陽気で 母も二人でどこかデートでも行って来たらと進めてくれたこともあり、車で見晴らしのいい場所にでも行こうか、という話になった。
さて、何処に行こうかと思いを巡らした時、頭の中に懐かしい思い出が蘇ってきた。
『連れて行きたい場所があるんだ。僕の宝箱の隠し場所』
妻も何故か少女のような笑顔で直ぐに同意してくれたので、僕は古い記憶をたよりにあの思い出の場所に車を走らせた。

その場所は平安時代の東海道とされる『やきつべの道』の要所として知られた集落で 高草山と満観峰という峰の間に挟まれていて、沢の始まる地と呼ばれていたらしい。僕が始めてこの地を訪れたのは18歳の春で、僕が東京の大学へ行く前に友人3人で焼津の駅からバスにのってこの集落に訪れた。
まあ、よくある話だけど『これからばらばらになるけど、またみんなで集まろうぜ』と集落のはずれにあった神社で誓い合い、誓いの印ということでそれぞれ持ち合わせていた私物をビンに入れて集落の東屋の隅に誰にも見つからないように置いて帰った。それから僕は大学の休みの度に田舎に帰ってきては、誓いの印がなくなっていないかどうか、確認しにいったものだ。時にはあの時の友人と、時には1人で。

最後に確認してから既に10年以上の時がたっていた。今でもあの集落のあの場所にあったら奇跡だな、と妻に昔話をしながら宝箱のストーリーを語っていた。車もあの集落につき、僕らはゆっくり歩き出す。
妻は『なんか、どきどきするね』と少し早歩きで集落の小道を僕より早く進んでいく。道端の梅が時期には少し早いが満開だ。今度来るときは、きっとこのシーンを懐かしんで、この場所に来るんだろうな、と考えている内に妻があの東屋から顔ののぞかせて、笑顔で叫んできた。
『あなた、宝箱あったわよーーー!早くーー』
その瞬間、宝箱があった喜びよりも、また何年後かに妻と一緒にまたここにこれるきっかけが出来た喜びを感じている自分に気づいて、恥ずかしくなったのを覚えている。

それから毎年。あの梅の季節にぼく達はあの場所に宝箱を発見しに行っている。宝箱を見つけることでこんな気持ちになれるという奇跡を皆さんにもお伝えしたくて、今回は筆をとりました。是非ぼくたちの宝箱をみなさんの宝箱にもしてもらえたらと思います」

問題文を読むと「なんだか難しいな」と思うかも知れないですが、これがまた地図で捜してみると意外と難易度は低めなんです。まだ「水のクリスタル」の方が難しく感じましたもん。単純明快なものより、こういう「なんだこれ?」と思わせる文章もなかなかいいですよね。

が、「場所は簡単に見付けられた」とは言ってはみても、実際にその場所に向かってみると「ほんとにこの道で合ってるの?」と言いたくなるような微妙な怖い道がうねうねと延々続いていまして。なかなか面白い場所でした。

道の先に鄙びた里があって、「なかなかいい雰囲気だなあ~」と感じ入っていたら、ほどしないうちに「これはどうやらテーマパーク的な光景らしい」と知る。写真じゃあまり分からないでしょうけど、町の随所にワンポイントツーポイントが込められていまして、統一感を形作られているのです。「おっ!?」と思って車を停められる所を探し、(でもほとんどの場所が駐車禁止で狭い有料駐車場ぐらいしか無かったのですが)、適当に車を停めて出てみたら、目の前に宝箱があった(^_^;) 思わず油断していて、灰皿か何かだと思っちゃいました。ともあれ無事に任務終了。そのあと30分ぐらいかけて里の中を歩き回りました。

写真に撮ってこなかったことが悔やまれるのですが、実はこういう「表通りに面した部分」よりも、その内側に一歩入った部分の光景の方が面白くて、目を見張ったのでした。表通りとは言ってもこんな小道なのですが、黒い板壁で統一してあってしっとりとした風情がある。壁には随所に陳列スペースがわざわざ作ってあって、野菜や花が並べられていたりしましてね。でも、壁は壁、この黒壁は内部と外部を圧倒的に遮断する役割も果たしているのです。その内側は普通の民家。ここの里はがっちりと囲んだ中に桃源郷のような内庭がある作りなんですよね。とはいえ、その向こう側だってこういう場所ですからある程度「見せる」ことを意識した作りになっていまして、そういう「目に見えるところと見えないところ」の差が私的には興味深い所になっていました。もちろん「のぞき」が好きな私だって本当のプライベートな部分は見ないことにしますよ。そんな意味ではなく、見える所だけでももっと写真をいっぱい撮ってくおけば良かった。そう後悔するような里でした。表側も、細部もとても凝っていたです。でもまだ午後4時なのに既に光量が厳しくなっておりましてね。この里は、いったいどれほどの昔からあるんでしょう。

面白かったのは、随所に元三大師(良源)のお札が貼られていたことで。
一体この里とどんな関係が? 妖怪好きの私は心ときめきます。

この里は焼津と静岡を結ぶ「やきつべの道」の基点であるということでした。
別名「日本坂」とも言います。
なんとも仰々しい名前ですが、これは「日本尊命」(ヤマトタケル)に因んだ地名ですね。静岡県人でも「日本坂」(=焼津)と「日本平」(=静岡)はよく混同してしまいます。

 

そこから150号線を通って静岡市街へ。
あれですね、1号線バイパス愛好者としては150号線ってなかなか情緒ある道ですね。静岡・清水の街並みってのは伊豆・浜松とはこれまた違う。久能山を廻って行くと大回りになってしまうので、一号線にぶつからないように道の合間を縫って東へ東へ。
由比のあたりで1号線に合流。

そこから、富士市の「富士川の戦いの平家越えの碑」か「浮き嶋ヶ原」へ行こうとしてたんです。でも段々辺りが暗くなってきてしまって、薄闇の中でカメラを構えてもアレなので、諦めて夕飯を食べに行く事にしました。
今回は、長泉町にある「じぇんとる麺」へ。

長泉町で迷うこと迷うこと。私にはこの町のつくりがよく分からない。来るたびに迷っている気がしますよ。ようやく辿り着いて食べたいっぱい、特製スペシャルの「じぇんとる麺」(1000円)。うわーーーい、うまーーい。
定義もいろいろありましょうが、本当の家系を食べるのは久し振りです。山岡家などとは全然違う。今日のはしょっぱさも味の濃さもやや控え目な感じもしましたが、その分マイルドな感じにいろいろな物が溶け込んでいて、心の底からうまかった。
そして生キャベツとほうれんそう! この太いモニモニの麺!

昼食を食べたのが2時半で、この時点で7時だったので、食べ切れるかどうか心配だったのですが、あっさり完食。

眠くなったので、明日に備えて寝ることにします。
伊豆の国市の道の駅に移動して仮眠。まだ8時頃なので朝6時まで寝たとしても10時間睡眠です。それだけ眠れば体調は万全でしょう。
・・・が、ここでハプニングです。
なんだか息苦しくて途中で目が覚めてしまった。
これは、喘息だーー
「寒いかも」と思って家から持ってきた布団がいけなかったようです。一度起きたら苦しくて苦しくて、どうしようもないのでドライブを開始することにしました。予定外ですが丹那盆地へ行ってやれ。深夜2時の盆地は完全に暗闇の世界。なかなか良いです。

心霊写真のようになってしまいましたが、人里に近い所で2頭の巨大イノシシ発見。いや、伊豆ではイノシシ目撃なんて珍しいことではありませんが、あまりに巨大だったのでにっこり。え? あなたの目にはイノシシが見えない? じゃやっぱり心霊現象だったのかも。
実はこの直後すぐにトイレに行きたくなってしまって、スカイラインを通って箱根の道の駅まで行ったのですが、スカイラインでは猫を何匹も目撃して笑った。盆地の底にはイノシシがましまし、空の上の道では猫が笑っている。それが伊豆。函南猫おどり。


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