ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

秋の古都

2012年11月01日 | 巡礼者の記帳
11月になると、風の冷たい古都は静かに月見坂の紅葉が輝いている。
この月見坂には例年5月におこなわれる、義経が弁慶たちと平泉に落ち延びたシーンを歴史絵巻に再現した行列は、沿道の観光客の感動的に賑わう藤原祭であるが、いまはまぼろしのように静まり返っている。
どこからあれほどの人が集まったか、つかのまに、祭の行列はアッピア街道のローマの祭のように行進し、体格の優れた駿馬のなかにはダダをこねて行列から抜けようとする馬もいて、騒ぎが祭を盛り上げるのがいっそう素晴らしかった。
芭蕉も、現代に居合わせれば、このときばかりは行き交う旅人の多さに驚いて、違った俳句を詠んだか。
同じ5月に、京都御所を出る葵祭りの牛は、牛車を引いて8キロを賀茂川路にそって上鴨神社へと行進するが、この賑わいも年の暮れに行ってみたら、誰も居なかった。
葵祭りに行列の出発する御所は、歴史的に紫式部や清少納言の勤務していた建物である。
源氏物語の「雨夜の品定め」には、雨の夜に宿直の衆がふと思い出を回想するくだりが千年の昔をいまに伝えて、意外に深刻な内容に驚かされる。
「石上私淑言で宣長は、見る物、きく事、なすわざにふれて、情の深く感じることを阿波礼と言うなりと。小林秀雄はこの心の動きを「思うに任せる時は心は外に向かい内を省みることは無いが、心にかなわぬ筋の時は心は内の心を見ようと促される。これを意識という。宣長のあわれ論は感情論であるというよりは認識論とでも呼べるような色合いを帯びている」と松岡正剛の千夜千冊にあって、森鴎外、夏目漱石は源氏物語を完全に無視して感想の記録が残っていないそうである。これはこれで意外に雄弁だと思う。
この静かな秋に、長野県から男女の客が北の八百年の古都を訪ねて、ベンツのカブリオレで登場した。
いなせな御仁は視線を水平よりややうえに向け、6時間走ってきたが車のクッションが硬いと言い、きょうは市内に宿泊して、あしたは『平泉』に落葉を踏みに行く、と。






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