ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

謎のカナダ人

2012年08月01日 | 巡礼者の記帳
夕日を背にして、Royceに外国人が入ってきた。
「わたしはカナダ人です、妻は日本人ですが」と、外人は言い、むかしビッグバンドを背にジャズ・ボーカルを唄っていた、とのたまったうえ、カウント・ベイシーもカナダの生まれであると言った。
カナダ人は、たしか、オスカー・ピーターソンもそうである。
ビールを飲みたいと注文をいう外人は、ソフアに寛ぐ横顔がどうも記憶の誰かに似ており、完璧な日本語をあやつりながら折り目正しくフランクに、テーブルの冷気で曇った瓶を傾けて、おだやかに会話を楽しんで「一緒にどうですか」とまで言っている。
返事の代わりに女性ボーカルのLPをターンテーブルに置いて、安全運転のカートリッジ針を慎重に乗せた。
ついでに、似ている誰かを棚のジャケットからしらべると、それは、アンディ・ウイリアムスではなく若き日のトニー・ベネットであった。
グラスを傾けながらタンノイを聴いている外人は、ジャケットを手にとって、
「めずらしい。よくこんなものがありましたねえ」と喜んでいる。
あなたの日本人の奥さんはトニーのフアンだったかもね、と偵察をいれると、カナダ人は困ったようにご機嫌で、折り目正しく、スピーカーから聴こえている歌手の絶妙な喉越しが日本女性であることを知ると、おやまあ、と言い
「英語の上手なひとだ」と一緒にサウンドを心中で伴奏している様子であったが、突然、あれっ!と言った。
「この人は、ひょっとして、素人なのかな?」
発音は異常に上手であるが、プロならやらない唄い方であるようなことを言って、唄う外人が言うからには、そうなのかもしれない。
「わたしも日本に来たとき、言葉の意味を知らずに日本語を楽しんで聴いていたので、わかります」
そのカナダ人は日本に永く住んでいるのか、日本人より日本人ぽいといっては意味不明かもしれないが、まあ、ドナルド・キーン氏のような例である。
この御仁がステージで唄う時にカナダ人に変身するところを、ぜひ聴いてみたいものだ。
ちまたに有名な『カナダの夕日』という曲は、ヘィウッドが作曲した、バンクーバーの西公園から眺める太平洋の異常に鮮烈な赤い夕日のことである。
あの絶景は、見たひとにしか伝わらない気温や地形のなせる自然現象であるが、当方が初めて寮住まいした鷹番町の窓から良く見えた近所の工事現場の夕日も、なかなか良かった。
空腹のせいであったか、アンサンブルから鳴っていた「カナダの夕日」が印象的だ。
羽田から飛んだルフトハンザは、しばらく地平線の太陽を追いかけるように千島列島の上を飛んでいたが、やがて機内にポーンと音がして、機長が「長旅お疲れさまです。まもなく左の眼下にマッキンリー山がみえますからね」と言っていると通訳があった。
そこで大勢で左の窓に寄って覗いたが、白い尖った峰が、まことに小さく見えて、まもなく地上はアンカレッジやバンクーバーである。







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