飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

教師自らが楽しむ

2006年12月16日 00時45分54秒 | 授業論
昨日研究授業を行った。
数人の先生が参観にいらっしゃった。
今回の授業は、時間の都合もあったが通常の授業そのままを見てもらった。
そんな中でこんな風な感想をいただいた。

「先生の授業は、子どもたちがすごく楽しそう。
 それ以上に、先生本人が子どもたちとの授業を楽しんでいるという感じがする。」
授業は本当に楽しい。
技量の低さから子どもたちに迷惑をかけることばかりだが、毎時間勉強のしたくをして教室に子どもたちが来てくれるだけで私は感謝の気持ちで一杯になる。
そして、教室を出て行くときには必ず、「ありがとうございました。」と口々にいいながら自分のクラスへと帰って行く。
私は幸せだと思う。

子どもたちに何かを教えたいと思ったとき、教える人間が楽しくなければいけないと思う。
子どもたちは、先生は本当に教師として仕事を楽しんでいるかを見ている。
子どもたちは暗い先生をお手本にして学ぼうとは絶対にしない。
楽しそうに授業をしている先生の言うことは、たとえ厳しいことでもちゃんと子どもたちはきく。
子どもたちは厳しいことを言うから聞きたくないと思っているのではない。
厳しいけれど楽しそうに生きて、うらやましいと思える人の話は真剣にきく。
幸せな人は未来のある人でもある。
未来に対して挑戦し続ける人は輝いてみえる。
成長し、自ら学ぶ教師のみが「先生」と呼ばれるにふさわしい。

教育が夢を語り、未来を語る営みである以上、まず教師がチャレンジすることで成長し、学んでいることを見せなければならない。

saitani


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