飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

仕事の値打ち

2006年12月30日 23時12分43秒 | 授業論
我々教師は何のために教育という仕事をしているのだろう。
こんな文章がある。

あるとき、新聞に梅の花についての記事がのりました。
梅の花は他の木から花粉をもらわないと、花は咲いても実は結ばないとかいてありました。
やがて梅の季節、白い梅がたった一輪咲いていました。
何とも言えない、いい香りで、私は「たった一輪友達もいないのに咲いているんだな」と思いました。
この花は、他から花粉をもらえなくて実を結ばないのだろうな、でも、早春のすがすがしい朝の喜びと、素晴らしい香を私に与えてくれたのだから、この美しさは変わらないのだろうなと思いました。
人の仕事もそういうところがあるのかもしれません。
一生懸命やった仕事がたとえ実を結ばなくとも、咲く美しさだけ、仕事をしたことが値打ち、というものもあると言えるのではないでしょうか。

教育の結果や教えたことの正しさは時間がたたなければ分からないことも多い。
頑張って努力したけれど実を結ばないこともある。
それでも今を精一杯生きることが大事なのだと思う。

saitani