飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

知識・見識・胆識

2020年04月09日 08時41分45秒 | 人生論
人間は単に知識を学ぶだけでは意味がない。
そんなことを考えさせる言葉である。

識にもいろいろある。
単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は、知識と言ってこれは本を読むだけでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも出来る。
しかし、この人生、人間生活とはどういうものであるか、というような思慮、分別、判断は、単なる知識ではできない。
そういう識を見識という。

けれども、如何に見識があっても、実行力、判断力がなければ何もならない。
その見識を具体化させる識のことを胆識という。
先哲、先賢の学問をして得た見識を実際生活の場において練らなければ、胆識とならない。

saitani
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