飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

一生懸命の意味

2006年11月04日 23時58分39秒 | 授業論
教師が研究授業をして、必ず検討会がもたれる。
そこで違和感のある言葉を耳にする。
「私なりに一生懸命努力しましたが、うまくいきませんでした。」
仮にも社会に出た以上は、一生懸命やるのは当たり前で、プロは結果がすべてなのだ。
「一生懸命やりました。」と言う言い訳は教師の世界でしか通用しない。
どんなに一生懸命やろうと子どもたちが成長しなかったら、すべて自分の責任なのだ。

一般の社会ならば、結果がでないことをお客様のせいにするだろうか。
相手を責めても相手が怒らないのは教育の世界だけである。
教師という職業はそういう意味で非常に怖れのある職業であることを自覚する必要がある。
勉強しに関しては、すべて自分の責任と思って指導し、工夫し、自分自身が精進することが専門職としての誠意ある態度だと思う。
子どもたちが何か失敗したり、できないことがあったとき、「指導はしているんでですが」「注意は日頃しているのですが」という言い訳は責任転嫁にほかならない。
指導しても実行されなかったと言うことは、教師である自分の力不足が原因だと考えるべきだと思う。

saitani
この記事についてブログを書く
« 研究授業の意味 | トップ | 組織の戦術 »

授業論」カテゴリの最新記事