飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

唯識所変

2023年08月15日 07時36分17秒 | 人生論
心に響く言葉。

こんな歌がある。

「手を打てば鯉は餌をと聞き、鳥は逃げ、女中は茶と聞く、猿沢池」多川俊英/唯識十章

猿沢の池の畔で、ポンポンと手を打つ。
これを聞いて、いつも餌のことばかり考えている鯉は慌てて池畔に集まり、鳥は鉄砲と聞き違えて逃げて行く。
旅籠の女中さんは、お客が呼べばすぐにお茶を持っていかねばならないから、ポンポンと耳にすると茶をもって走る。
しかし真実はただ畔で手を打っただけなのに。

つまり、失敗したらどうしよう、人に笑われるのではないか、自分はダメな人間だと思われるのではないか人間は考えてしまうが、それが物事の萎縮の原因であるということだ。
だから、上へ上へと目指すより、奥へ奥へと進むことが大事だと。
上へを目指す姿は、他律的で人からの承認欲求を求める姿だが、奥へ奥へと進む姿は、自立した人間が自己実現を目指す姿のように思う。

心さえ変われば、周りのことはうまく回転していく。
自分も、上へ上へ目指すのはなく、奥へ奥へと進むことができる人間でありたい。

saitani

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