飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

コントラフリーローディング効果

2023年12月18日 05時37分55秒 | 教育論
東京大学教授、池谷裕二氏の言葉。

仕事柄、連日ネズミの行動を観察します。
通常、餌は、皿に入れられいつでも食べられる状態ですが、レバーを押すと餌が出てくる仕掛けに変えると、すぐに学習し、上手にレバーを押すようになります。
このネズミに二つの餌を同時に与えてみましょう。
ひとつは皿に入った餌、もう一つはレバー押しで出る餌。
得られる餌はどちらも同じです。
さて、ネズミはどちらの餌を選ぶでしょうか。
試せばすぐにわかります。
レバー押しを選ぶ率が高いのです。
苦労せずに得られる皿の餌よりも、タスクを通じて得る餌のほうが、価値が高いというのです。
これは「コントラフリーローディング効果」と呼ばれ、イヌやサルはもちろん、鳥類や魚類に至るまで、動物界に普遍的にみられる現象です。
ヒトも例外ではありません。
とくに就学前の幼児は、ほぼ100%の確率でレバーを押します。
同じおもちゃでも、ガチャガチャなどの仕掛けを通じて手に入れることに喜びを感じます。
成長とともにこの確率は減っていき、大学生になると選択率は五分五分となります。
入手効率を重視するようになるものの、完全に利益だけを追求することはありません。
こうした実験データを眺めると、労働の価値について考えさせられます。
「左団扇の生活」には誰もが憧れますが、仮にそんな夢のような生活が手に入ったとして、本当に幸せ でしょうか。
団塊の世代が一斉に定年を迎えるようになった2007年以降、突然仕事を奪われた手持ち無沙汰さからストレスを溜めこんでしまう、いわゆる「定年症候群」が話題に上がります。
働いて得た給料と、何もせずにもらえる年金では、おなじ一円でも価値が異なるのでしょう。
ちなみに、コントラフリーローディング効果が観察できない唯一知られた動物がネコで ネコは徹底的な現実主義です。
レバー押しに精を出すことはありません。
《「左団扇の生活」は幸せか? 》

この話を読んでいて、学級経営でも同じことがあると感じる。
学級内でイベントを開く。
よく言われるお楽しみ会もその一つだ。
このお楽しみ会を何かのイベントの打ち上げに開くこともあるだろう。
また、定期的にレクの一つとして開く学級もあるかもしれない。
しかし、学級経営が教育活動の基盤であるのなら、その活動に意味をもたせる必要がある。
その意味とは子どもたちここが個性を伸ばすことができるか、また、学級集団として成長していけるかどうかという意味である。
何も意図せずして、ただ楽しければいいという考えも否定はしない。
学級経営の中には、意味がないこともあることは確かだ。
しかし、それはごく一部である。
もしくは、そのときには意味はないと思っても後日大きな意味をもつようなこともある。

このイベントを開く時にハードルを設定する。
あるタスクをもたせるのである。
それは、ある行為が自分の成長につながったり、学級文化の向上に貢献できるような場合にポイントが入るというものだ。
そして、そのポイントの区切りでイベントを開く。
ただし中止すべきことは、このポイントを「にんじん」的なご褒美として扱ってはならないこと。
たとえば、全員が宿題を忘れなかったらポイントが入る、チャイム着席が守れたら、授業中に無駄話をしなかったらというように志の低い、当たり前にやらなければならないことはタスクに入れない。
あくまでも自分を成長させてくれるプラスアルファ、自分がファーストペンギンとなって集団を引っ張っていけるようなタスクに対して評価を与える。
こうして小さなタスクの積み重ねによって、個々と集団が同時に成長していく。
そのことによってハードルを超え、イベントが開ける。
だから、このイベントを子どもたちは大事に意味のあるものにしようと考えるし、思い出に残るのである。

さらに実行委員制でこのイベントは開かれる。
立候補してやりたいものが企画運営にあたる。
だから、そのスタートの時点からモチベーションが違う。
やる気がある。
ここでも超えるべきタスクを与える。
企画書の提出である。
日時、場所、役割分担はもちろんのこと、当日を迎えるまでのタイムスケージュールを詳細に立てる必要をある。
しかも開催日が先に決まるので、逆算して最低でも三日前には、担任の承認をえる必要がある。
1度で通ることは絶対にない。
よくて3回、通常は5回は修正を求められる。
実行委員のその姿を周りの子供達もみている。
何度提出しても担任から突っ返される様子をみているのである。
あえて見せるということもあるが。
だから、そうやって実行委員の努力の結晶として開かれるイベントに感謝するし、ふざけたり勝手なことを言うような子もいなくなる。
あえて苦労や困難を伴う道を選ぶ。
そうすることにより学級集団が成長する。
そういうシステムを担任はつくり、これから先の生活の中で安易な道をよく考えることをせずに意味のあることなら茨の道を選ぶということも教えていく必要がある。

今考えてみると自分も似たようなことを思い出す。
大学浪人をすることになったときの予備校選び。
書類だけを出せば入れる予備校がほとんどだった。
また、自宅から通える予備校という選択肢もあった。
しかし、なぜか自分は東京の有名予備校の選抜クラスに入ることを望んだ。
当然、選抜クラスなので選抜試験に合格しなければ入学できない。
両親に経済的には多くの負担と迷惑をかけたが、自分は理由はよくわからないがその道を選択した。

池谷氏はこんなことも言っている。

『たとえば、こんな実験例があります。
 ある団体に所属するときに、希望すれば誰でも入会できる場合と、厳しい試練を経て仲間入りできる場合を設けます。
 すると、たとえ根拠のない無駄な儀式であっても何らかの入団基準があったほうが、入会後に、その団体への帰属感や愛着が強くなるのです。
 脳は労せずに手に入れた(フリーローディング)ものよりも、何らかの対価を払って入手したものを好みます。
 これがコントラフリーローディング効果です。』(現代ビジネス)より

『結局、人は一生涯、努力を続けること、しかも楽しく努力することこそ、すなわち人生であると、徹底的に悟らなければならない。』(本多静六/林学博士)
生まれてから死ぬまでに、少しでもましな人間になってあの世にいくことこそが、我々の人生における究極の使命。
そのためには、世の荒波という磨き砂で自分の魂を磨き続けること。
そして、大事なことはそれを楽しむこと。

saitani