写真は先日に早朝、仙台から盛岡に移動の途中、
高速を下りて立ち寄った「中尊寺」の能楽堂であります。
能楽堂というのは好きな建築であります。
人間がある劇的なるものを求めて参集するときの
「歴史的」な経験蓄積の末に出来上がった場所としても興味をそそられる。
20世紀になって人類は映画を開発し、
もっと日常的なメディアとしてテレビも開発した。
この人類史的衝撃というのは、すごいものがあったと思いますが、
まだこのことは対象化されるまでには、時間がかかるでしょう。
いまを生きているわれわれとしては、そのメディアに先行して存在し
そういう視覚装置にインスピレーションを与えただろう空間性の方を
考えるべきなのではないかと思っています。
よくテレビのアスペクト比というのが論じられた。
いまでもパソコンやスマホの視覚比率について、論じられる。
そんな興味について、能舞台のアスペクト比を見てみた次第。
画像は多少は「画像修正」しているのですが、
タテ横の水平垂直をおおむね合わせてみて、
その上で能舞台の主要な画面構成比率を計算したら、
2576対1279という結果が得られた。
おおむね、2:1という比率になっている。
現存のこの能舞台の建築は1853年とされていますが、
それは「再建」であり、歴史的にはそれこそ中尊寺の創建から
能が歴史的な芸能として成立することと並行して
相当古くから存在してきたに相違ないと思われます。
歴史年代で活躍した、それもその時代を代表するような建築人が
その知識のすべてを注ぎ込んで建築したことは明らか。
能というのは人間の挙措動作が極限的に「表現」化したものであり、
その「鑑賞」に最適の「画像解像比率」を考えなかった方がおかしい。
まぁこうした分析自体は専門家ではありませんので
不明ではありますが、この画像比率はなんとも自然ではあるように感じられる。
建築としてはこの主要画像提供部位のほかに、
袖廊下的な付帯建築があり、その接続角度というのも面白い。
また、屋根の掛け方、軒の出の寸法やバランス比率も興味深い。
そのうえで能はふつう夜にやるので
照明としての「薪」の配置場所などにも興味が深まる。
さらに音響装置として、能では舞台の下に音を拡散させる「壷」が配置されたりする。
いわば、「メディア」の組成過程、その不可欠要素をさまざまに教えてくれる。
常時一般公開されている中尊寺・白山神社能舞台、好きな建築です。
高速を下りて立ち寄った「中尊寺」の能楽堂であります。
能楽堂というのは好きな建築であります。
人間がある劇的なるものを求めて参集するときの
「歴史的」な経験蓄積の末に出来上がった場所としても興味をそそられる。
20世紀になって人類は映画を開発し、
もっと日常的なメディアとしてテレビも開発した。
この人類史的衝撃というのは、すごいものがあったと思いますが、
まだこのことは対象化されるまでには、時間がかかるでしょう。
いまを生きているわれわれとしては、そのメディアに先行して存在し
そういう視覚装置にインスピレーションを与えただろう空間性の方を
考えるべきなのではないかと思っています。
よくテレビのアスペクト比というのが論じられた。
いまでもパソコンやスマホの視覚比率について、論じられる。
そんな興味について、能舞台のアスペクト比を見てみた次第。
画像は多少は「画像修正」しているのですが、
タテ横の水平垂直をおおむね合わせてみて、
その上で能舞台の主要な画面構成比率を計算したら、
2576対1279という結果が得られた。
おおむね、2:1という比率になっている。
現存のこの能舞台の建築は1853年とされていますが、
それは「再建」であり、歴史的にはそれこそ中尊寺の創建から
能が歴史的な芸能として成立することと並行して
相当古くから存在してきたに相違ないと思われます。
歴史年代で活躍した、それもその時代を代表するような建築人が
その知識のすべてを注ぎ込んで建築したことは明らか。
能というのは人間の挙措動作が極限的に「表現」化したものであり、
その「鑑賞」に最適の「画像解像比率」を考えなかった方がおかしい。
まぁこうした分析自体は専門家ではありませんので
不明ではありますが、この画像比率はなんとも自然ではあるように感じられる。
建築としてはこの主要画像提供部位のほかに、
袖廊下的な付帯建築があり、その接続角度というのも面白い。
また、屋根の掛け方、軒の出の寸法やバランス比率も興味深い。
そのうえで能はふつう夜にやるので
照明としての「薪」の配置場所などにも興味が深まる。
さらに音響装置として、能では舞台の下に音を拡散させる「壷」が配置されたりする。
いわば、「メディア」の組成過程、その不可欠要素をさまざまに教えてくれる。
常時一般公開されている中尊寺・白山神社能舞台、好きな建築です。