三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【いまは画家になった高校同期友人の軌跡】

2016年06月21日 07時53分54秒 | Weblog


高校同期の友人たちとの交友っていうのは、
たぶん人生でも最もセンシティブな時期の出会いでもあり、
良くも悪くも、大きく人間関係を規定すると思っています。
ただ、最近の子どもたちなどを見ているとそうでもないかも。
わたしたち年代(1950年代生まれ)的には、人生60年くらいという
そういった漠然とした人生設計期間を想定していたけれど、
いまは、人生80年くらいが相当している感じがあって、
社会人になってからも、まだ人生探しを続けているような、
モラトリアム期間が伸びているような印象があります。
わたしたち年代は、高校生活はその後の人生のための最終決断時期とでも
認識していた部分があったように思います。

わたしたちの年代ではちょうど70年安保の時期で
わたしの学んでいた高校でも、そういった時代の影響が強かった。
いまでこそ、やや右っぽいと言われているわたし自身も(笑)
高校当時は、そんなデモに行ったり活動を行ったりしていた。
そのころに友人たちの中でいちばん先端的に活動していた友人の一人。
かれはアジテーターとして、いちばん目立って活動をしていて、
友人たちの中でももっとも過激リーダー的な立場だった。
しかし運動が最高潮になる時期、10月に佐藤栄作首相が訪米して
沖縄返還交渉をまとめ上げる、運動にとって大きな結節点の直前、
8月の夏休み時期に、当時バリケード封鎖していた札幌医大の
活動拠点から、かれは忽然と消え去っていった。
多感な感受性を持ったヤツで、その「あばよ」文が、ある教室の壁一面に
ヘタな活動家文字で、殴り書きされていた。
タイトルは「現代の散華」だったと記憶している。
ケータイもない時代なので、写メも撮りようもなく、
そこで書かれていた青春期の心情の殴り書きの内容は、記憶も無く
また再現のしようも無いけれど、学生運動からの離脱の生々しい感性が
綴られていたことが、わたしにとっても鮮明な青春期の一ページになっている。
そんな風変わりな人間だったので、その後も孤独な生き方を選択して
友人たちとの交友もほとんど没交渉だった。
まぁ、かれの仕事生活の開始時期には、その業種選びで
わたしが当時勤務していた広告会社の職場を訪ねてきて、
「おまえ、面白そうな仕事しているな」ということから、
わたしとは若干の仕事上の交友が生じた時期はあった。
その後、出版関係で仕事して、写真雑誌「写楽」の創刊に関わったりしていた。
有能なヤツなので若くして独立したりしたようだけれど、
結局、その後仕事を辞め10年間にわたって、世界中を歩きまわる暮らしになり、
路上アーティストのような暮らし方を選択していたようだ。



共通の高校の友人がそんなかれの最近の「画家」としての活動の様子を
写真PDFで送ってきてくれた。
いまや聖書に書かれたイメージを表現する画家になっている。
友人としてその生き様がなんともいえず、伝わってくるモノがある。
名は浅香良太。いま、千葉県内陸部に住んでいるようです。
別に宣伝ではありませんが(笑)、
こういう生き方もあるのだと、ときどき気になっている次第です。
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【50棟未満工務店・在来工法シェア 全国53%北海道63%】

2016年06月20日 06時42分46秒 | Weblog
先日、住宅金融支援機構さんの講演を聞く機会があった。
支援機構には、住宅市場調査的な外郭法人もあって、
そこの調査員の方の講演もあって、調査資料から上記のアナウンス。
この基本的なデータについて、講演後、詳細にデータ根拠も伺いました。
根拠は瑕疵担保保険の加入者分析からのものだそうです。
それら、有意義なデータについて教えていただけました。
表では全国のデータのみ表現されていたのですが、
北海道は同様の調査データで、工務店のシェアが63%ということ。

便宜上、50棟以上のビルダーは範疇をはずれるそうですが、
現実的にその経営規模の企業の実態はどうであるのか、
そのあたりの線引きも微妙ではあると思いますが、
おおむね実態を表している数字だと思います。
ただし、この数字も地域偏差が大きく存在して、
北海道ではたしかに、いわゆる「ハウスメーカー率」が低い。
一方で、中国地方西部ではハウスメーカー率がぐっと高くなるそうです。
これは以前から指摘されていたことですが、
その根拠はなんであるのか、まだきちんと論じられていません。
地方では、こういったマーケット調査がまだ行き届いていない。
大学の研究機関でも、建築工法、環境性能的な解析は進んでいますが、
こういったマーケティング研究については、そのニーズが乏しいと
みなされているからか、どうも反応が鈍いモノがある。
全国的にもこういった住宅のマーケット調査に大学研究機関が
大きな興味を持って取り組むと言うことは寡聞にして聞かない。
いわばミクロマーケティング論、個別マーケティング論になるのでしょうが、
一方で工学部系の事業分析というような側面もあろうかと思うのです。
このあたり、大学研究機関の研究領域アイデアでも、
既存の考え方ばかりではない発想が求められるのではと思っています。

鎌田紀彦先生は、「システム工学」という専門領域が
室蘭工業大学に開設されたことから、東大研究室から来道されたそうですが、
そこで木造構法のシステマチックな解析を基本にしながら、
いわば大工の手作業まで踏み込んだ工法研究に取り組まれていった。
その部分が、それまでの大学研究者にはなかった発想とされて
多くの中小工務店が注目し、具体的な「暖かい家づくり」の研究を求められた。
現場大工さんへのリスペクトのある姿勢が、かれらのバリアーを除去し、
具体的手順としての、高断熱高気密手法が解析されていった。
どうもこんな先例が、いま求められているように思います。
現実にこれからの日本の木造住宅でのニーズを考えたとき、
既存建築の利活用がある程度、中心領域にならざるを得ない。
その基本はやはり在来工法だろうと思います。
ハウスメーカーの「特殊」な工法は、その会社の存続に依存している。
現場的にはやはりオープンな工法が支配的であり、
また「特殊工法」に対しても柔軟に対応できる可能性が高い。
そういった日本の「製造業」の重要な資産としての在来工法の存続性を
経営面からも考えるというのは、重要な研究テーマではないか。
いつもそんな思いを持っております。
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【新建築住宅特集・記事がテーマの6.16討論会】

2016年06月19日 09時38分09秒 | Weblog
既報のように、先週16日に東京で表題のような「討論会」が行われました。
建築知識ビルダーズの木藤さんにお願いして、その又聞きですが
討論の様子を断片的ながら知ることができました。
まことに身に余ることながら、わたしのブログ記事に対して
大きく反応していただいた様子を知ることができました。
もとよりわたしは、誌面での記事や写真でしか確定的な情報を受け取れず、
またこの「討論会」の様子も自分の目と耳で得た情報ではありません。
その前提をご理解いただいた上で、再度感想を書かせていただきます。
結論として、わたしが書いた、川島範久さんの巻頭記事への違和感については
それ以降の文章において、注意書きをつけているということでした。
わたしが大きな論旨の「飛躍」と感じた以下の部分、

「一方、自然と一体化し、自然のリズムが実感できる環境は、
その変化によって時折、環境工学的に不快になり得る。しかし、
その変化を楽しめる度量をもてた時、それは歓び(Delight)にも
なり得るのである。それは他者と共に暮らす歓び(と苦労)と等しいと思う。
そして、その歓びと苦労を通して自身の価値感を見直し、自身も変化する。
その人間の変化こそが現在求められているのである。」
という記述に続いて、確かに
「しかし、自然との結びつきを認識できる建築と言ったとき、
ただガラス張りにして外に開け放てば良いわけではない(中略)ある一定の
快適性と省エネ性が担保されていなければ、自然を楽しもうにも楽しめない」
というように記載され、建築家と環境工学者の協働云々と書かれています。

しかし、前段の断定性の強い記述に対して、後段の部分は
「ある一定の」というような、必ずしも明瞭ではない論旨になっていて、
前提としての意味合いに乏しいと、わたしには受け取れた次第です。
単純に、無断熱の壁でも単板ガラスの窓でも「ある一定の」要件は満たすのか。
違和感を持たざるを得ない前段の断定調に対し、もしこれを
前提的意味合いとして追記的に書かれたのだとすれば、
この「ある一定の快適性と省エネ性」について、
詳細内容の開示・論述が不可欠ではないでしょうか。
まさに北海道・寒冷地では、いやいまや全国の多くの志ある住宅の作り手が
この「ある一定の快適性と省エネ性」について
真剣にそのレベルを日夜問題にし、ユーザー利益を考えて格闘している。
これは日本建築にとって画期的な「ユーザー利益」ファーストの
地域としての建築の努力の結果なのだと思うのです。
そしてそのような建築技術の営為が国の住宅政策に大きな起動力を与え
今日のような基準義務化の流れになってきているのだと思います。
ことは「ある一定の」というレベルのことではないと思われるのです。

そういうことから全体記述としては、先述前段の記述が以降の記事展開の
起点であり、結論になっていると読み取れたのです。
そして、環境住宅という特集の記事にもかかわらず、
北海道における高断熱高気密住宅技術発展について触れていないという
最大の問題ポイントと合わせ、疑問を呈させていただいた次第です。
寒冷気候と対峙して生き延びてきた北での先人の苦闘を思うとき、
高断熱高気密住宅技術への無視・スルーは看過すべきでないと考えました。

ただ、このようなわたしの疑問・意見は新建築住宅特集に掲載された
巻頭「記事」についてであって、以降の討論において、
川島氏は「ヒート20」に準拠するように住宅設計を進められていると知り、
同意できる姿勢を持たれていると情報も受けました。
そういった志向をもった建築家というリスペクトは十分に持っております。
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【特集:家と家具/Replan北海道最新号先行予約販売】

2016年06月18日 06時10分18秒 | Weblog
いきなり、編集後記の要旨抜粋からご案内スタートです(笑)。

【巻頭特集/家と家具の幸せな関係】
家は、ひとにやすらぎをもたらしてくれる空間です。
現代人にとって直面している外界とは、どんな世界なのでしょうか?
そしてそこから「離脱」し、個人としての自由を満喫するわが家で過ごすとき、
わたしたち自身のいごこちの良さとは、さてどんなものでしょうか?
そこでどんな空間性・機能性が求められるのか?
手ざわり、寸法、カラー~身体感覚までの「いごこちの良さ」ってなんだろう?
今回はこういったテーマについて、考えてみました。
そうです、これは個人の自由ということが試されていることでもある。
家での時間をもっと自由でいごこちのいいものにしていくために
わたしたち自身の想像力が問われてくる。
そう考えたときに、家具と家とのステキな関係というテーマが見えてきました。
土地を決め、方位を考え、空間の大きさを考え、窓の開け方を考える。
空間の目に見えない空気感「品質」までをも、じっくり検討する。
暮らしのキーポイントにはやはり家具があって、そこでの人間行動がきまる。
家具は人間の生活機能性が、長い歴史を経てかたちとなって存在するモノ。
家での行動の基調トーンを、家具は彩り、演出してくれているのです。
家づくりと家具の密接な関係が、暮らしの豊かさと快適さを生んでいる
そんなお手本となるような実例から、
家と家具の幸せな関係を一緒に考えてみませんか?

Replan北海道 VOL.113
2016年6月28日発売・2016年夏秋号・A4版
本体価格463円(税込:500円)
contents
●巻頭特集/家と家具の幸せな関係
●省エネ住宅特集〈日高編〉
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス6 <東京大学准教授・前 真之>
●連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●パッシブデザインの家づくり
●暮らし豊かに。Re・home
●新築ルポー住まいのカタチー
●連載・ STORY OF ARCHITECTURE
 vol.14 おばさんち
●北の建築家
 「鷹栖の家」 藤森 仁之
 「北光の家」 杉山 友和

●先行予約販売のお知らせ
6月17日~23日までにご購入された方は、
一部地域の方を除いて、28日までに配送致します。
Replan北海道版113号の書店発売は、6月28日です!
WEBでのお買い求めはこちらから

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【寒いエゾ梅雨の6月とヤマボウシ】

2016年06月17日 06時42分00秒 | Weblog
会社事務所には玄関前に「ヤマボウシ」を植えてあります。
造園屋さんにすべてお任せだったので、
出来上がってからステキだなぁと思うだけのズボラな楽しみ方なんですが、
こういう受動的な歓びのありかたというのもいいのでは。
出会いの運命を、天に任せて受容するという生き方もある。
と、勝手に納得させながら、毎年の四季変化を楽しませてもらっています。

とはいっても、毎年ちゃんと観察はしているつもりなのですが、
ことしは、花が咲いてきてから異変を発見。
これまで15年間、花の色はずっと白だけだったのですが、
ことしはポツンと2枚ほど、ごらんのようなピンクの花が咲いた。
ヤマボウシは白で、赤くなるのはハナミズキと
乏しい植物知識でそう思っていましたが、
真っ赤な間違い(笑)だったと知りました。
ハナミズキはたまたま見たヤツが赤い色だっただけで、
基本的には白が多いということだそうで、
また赤い色のヤマボウシというのもたくさんあるのだそうです。
でも、わたしの事務所のヤツのように、
1本の木に白いのと赤いのが咲くというのはどうなんでしょうか?
WEBで閲覧する範囲では、どうもあんまり目にしない光景であります。

沖縄から帰ってきて、
寒暖差の激しさに体調がイマイチというところであります。
一年でいちばん良い季節なハズですが、ことしの北海道の6月は
どうにもエゾ梅雨模様の日が続いています。
朝晩は気温低下も結構で、いまだに暖房を入れたりする始末。
沖縄にいた4日間もずっとときどきのスコール的な豪雨もある
典型的な梅雨空でしたが、きのうは「梅雨明け」宣言だとか。
どうもわたしの行くところに雨の運がとりついているかのようで、
雨男のようで、申し訳ない気持ちでいっぱいであります。
はやく天候が回復して貰いたいものだと思います。
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【LINEスタンプ文化と日本の神さま】

2016年06月16日 06時24分35秒 | Weblog
みなさんLINEは利用されていますか?
って、まぁだいたいの方は使っているのでしょうね。
わが家でも家族の連絡などにはたのしく使っています。
現代では、実際に集まるのとはまた違った体感として
LINE上での家族での「会話」があると思います。
このコミュニケーションにおいて「スタンプ」の役割は大きい。
コミュニケーションをすべてコトバでは置き換えられないのが実際でしょうが、
そのコトバでは伝えきれない、感受性のある部分にとって、
このスタンプ文化って、面白いものだと思います。
で、最近、LINEが世界進出を果たしていく上で
この「スタンプ文化」が、むしろブレーキ要因になるのではという
経済分析記事が出ていました。
スタンプは、たしかに日本人社会ではわかりやすく流通するツールだけれど
ではインターナショナルかというと、
どうもそうは言い切れないのだなと、ふと気付いた次第。
スタンプというバーチャルなコミュニケーションは、
それを受容する文化基盤があって、そこに世界と日本の違いがあるのではと、
そんな気付きがあった次第であります。

スタンプ自体は日本のマンガ文化をベースにしていることは明白。
マンガ文化は、たしかに全的に欧米社会に普遍的かといわれれば、
やはり少しく、違いがあるのだろうと思います。
じゃぁ日本人はなぜマンガ文化を生みだし、活用できているのか、
そんな疑問を抱きながら、毎朝の散歩に出掛けて
きのうからお祭りの始まった北海道神宮に。
で、お祭りの期間中、というか、御神輿が出発準備を整えて
これから札幌市内を神様たちが練り歩くという光景に出くわしました。
日本という社会に特異的に存在するバーチャルなるものが、
ここにあることが実感された。
日本の「神さま」って、それがスタンプのようなものであることは、
多くの日本人は共通の常識として認識している。
心性で理解するものであって、実態的存在であるとは誰も思っていない。
けれど、そういうものを尊崇する心を日本人は習慣的に持っている。
神社信仰の場合、その聖域である境内は一種の自由公共空間、
アジールでもあり続けてきた。
21世紀の今日でも、バーチャルな共同幻想に対して、
さも実態があるかのように、お伽噺と現実が混淆して存在している。
たぶん、こういう心性を持っているのは日本人的とはいえる。
どうもこういうことを受容する心性の中に、
LINEのスタンプで強く成立するようなコミュニケーション領域を
日本人は涵養し続けてきたのではないか、
そんな妄想的な着想にとらわれている次第であります。
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【米軍返還用地活用 POPなアメリカンビレッジ】

2016年06月15日 05時50分12秒 | Weblog


所用の合間に、沖縄でのスポット観光。
沖縄では、徐々に米軍関係が占有利用していた用地が返還されてきている。
いまは欠かせない中心地になりつつある
「おもろまち」那覇新都心(なはしんとしん)は、沖縄県那覇市の
北部に位置する再開発地区のこと。1987年(昭和62年)5月に全面返還された
米軍牧港住宅地区の跡地を造成したもので、
大型ショッピングセンターや総合運動公園などが設置されている。
きのうも紹介した沖縄県立博物館もここの中心施設。
そして、本島中部に位置する北谷でも用地が返還されて
この「美浜アメリカンビレッジ」が賑わいを見せている。
このエリアの跡地利用に当たって、どんな経緯があって、
こういった運営構想が出てきたのかは、よくわかりませんが、
現代の沖縄の若者気質の中に、こういうアメリカンPOPを受容する
気分はたっぷりあるのだと思われます。
政治的なスタンスはどうであれ、現実的には
沖縄の人たちと、米軍の若い兵士たちとのコミュニケーションはある。
住宅政策一つとっても、米軍施政下でもコンクリート住宅化が
沖縄の現代の住宅文化の基底を形成していることは事実。
否応なく、アメリカン文化はこの地に根付いていることは否定できない。
同じような米軍基地文化との融合を、青森県三沢などでも見ることができる。
戦後すぐから必要性に迫られて米軍の旺盛な住宅需要がまずあった。
地域の住まいの作り手にして見れば、政治スタンスは別にして
経済の問題として、積極的に米軍の規定に従った住宅建築に取り組んだ。
三沢では「見よう見まね」でツーバイフォー建設に邁進した。
今現在でも、こうした建築文化の残滓が三沢には色濃く残っている。
規模としてその比ではない沖縄では今後の基地用地返還を超えて
どんな住宅文化が形成されていくのか、興味は尽きない部分があります。



このアメリカンビレッジでは随所にPOPカルチャーが満ちていて
いかにもアメリカンな脱力を経験させられます(笑)。
米軍基地という特異な民族的体験を生きなければならなかった沖縄が
これからどんな文化を発信していくのか、
ウォッチして行く必要はあると思っています。



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【沖縄の建築美・琉球石灰石のたたずまい】

2016年06月14日 13時36分39秒 | Weblog


さてきのう沖縄から帰還しました。
今回の沖縄滞在は3泊4日でしたが、ずっと梅雨空。
きのうも書きましたが、沖縄をベースで特徴付けている建築素材として
琉球石灰石の創り出す空間美が挙げられます。
写真は首里城外壁と、琉球石灰石を外壁素材として使った沖縄県立博物館。
この時期らしく水分をたっぷりと含んだ素材感が
独特の景観を形成してくれています。
ウェットで、ひとの情念にしっとりとからまってくるような
そんな質感を感じさせてくれます。
沖縄は日本のなかで建築的にも、きわめて独特な地域景観を創っていますが
その主役はやはり間違いなく、この素材が作り出す魅力。
北海道でも、同じような多孔質の火山灰ブロック建築が一部の住宅で
素材として活用された歴史がある。
わが家はそうした地域文化も継承したくて建材として選択しましたが、
とくに2重壁を構成して外部にもブロックを露出させた住宅建築の場合、
この沖縄の景観美と似たような視覚効果は得られていました。
わが家周辺にも、こうしたブロック外壁の住宅が数軒見られますが、
残念ながら徐々に木造建築に駆逐されつつあるのが現状でしょう。
なにやら、地域文化の象徴のように思われる次第ですが、
沖縄では、こうした造形美が今後とも長く継続する実感がある。

沖縄の建築の歴史を見ていると、その建材に特徴が明瞭です。
琉球王朝時代には、建材利用が身分制による制約を受け、
とくに木材には使用制限が加えられたりしていた。
狭い土地利用、森林資源管理の両面から、
フクギなどが「禁制」の対象とされたりしてきたと言われます。
アメリカによる支配の時代、木造で米兵のための住宅建築などが
活況を呈したとき、はじめは木造で多く建てられたけれど、
それが台風で被害発生が多発して、
コンクリート建築に置き換わっていった。
それが地域の「在来工法」となっていった。
知人の家は、北谷の70坪ほどの土地の「建て売り住宅」でしたが、
今から35年ほど前のコンクリート造り・平屋建。それにツノを生やしたように
2階を増築しやすくする「柱」だけが建てられていたそうです。
見させてもらったら、約20坪程度の1階床面積。
沖縄らしくブロックで塀が回されていて、
いまは、中庭がちょうど外の居間のように使われていて
沖縄の住宅文化変遷も感じさせてくれます。
そのうち「沖縄Replan」でもはじめたら、こういった地域住宅文化を
もっと深く掘り下げていってみたいなと思っています(笑)。
さて、本日からまったく温度・湿度の違う北海道での
日常生活再開であります。がんばるぞと。
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【沖縄そば・古民家・琉球石灰石大好き】

2016年06月13日 05時47分13秒 | Weblog


沖縄に滞在しておりますが、時間を縫って和みの時間を。
やっぱり沖縄に来ると沖縄そばを食べたくなる。
最近はフツーのラーメンやら、日本そばなども食べられますが、
わたしとしては、好みはあくまでも古民家風の沖縄空間で
正調でシンプルな沖縄そばが、たまらない。
この写真のような素の状態に紅ショウガや沖縄独特の香辛料を
加えて、好みの味に仕上げて食べますが、
やっぱりベースの出汁がいかにも沖縄っぽくて、風土に似合っている。
もちろん沖縄に住んでいる人も、沖縄そばばっかり好きな人ばかりでないし
それ以外の食べ物にもお箸は進みますが、
わたしは、金曜日夕方に来てから、
ホテルでの朝食時も含めて、沖縄そばは3日間食べ続けている。
気候風土、空気質がこうした食味を求めるような気がします。

そしてやはり沖縄らしい古民家。
多孔質な琉球石灰石がこの時期の梅雨の湿気をたっぷりと含んで
その陰影感、暗くノスタルジックな素材の表情が
いかにも沖縄っぽい街の印象のベースを作っています。
琉球石灰岩は、今から数万年以上前に海中の珊瑚や貝殻などが
堆積してできた多孔質の堆積岩。
沖縄本島中部、南部、また宮古島、多良間島、久米島など
沖縄諸島全域に存在しており、保湿性、通気性に優れている特長と、
珊瑚等の化石模様が織りなす味わい深い素材感により、
沖縄では古くから城壁・石垣・階段など、さまざまな場所に使用されます。
下の写真は、けっこう好きな沖縄県立博物館ですが、
真ん中には高床式の建物がありますが、
その背景になっている左右の外壁には琉球石灰石が使われていて、
それが四季折々にこの地の表情をあらわしていてくれる。
その佇まいが、街のなかでひときわクッキリと地域性を表現している。
沖縄と北海道の共通性として、
日本に対して「内地」という表現を使うことがあげられます。
沖縄は独自の時間を長く持ち続け、北海道は日本人の歴史としては
比較的短期間の時間蓄積。
でもわたしとしては、日本国家に対する立場として
やや第3者的な視点もあって、沖縄に来るとそういう意識が高まる。
もちろん日本ではないと思うわけではないのですが、
「地域性」という文化の多様性が迫ってくる気がするのです。
日本のかけがえのない「地域性」というものの素晴らしさを
沖縄は深く教えてくれているように思うのですね。
そんな空気の質感をたっぷりと楽しませていただいた4日間でした。
さて本日沖縄を離れ、北の地に帰還いたします。ふ~~。
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【中央と地方の「格差」意識】

2016年06月12日 06時59分56秒 | Weblog
週末を沖縄で過ごしております。
どんな時代にも、日本的中華思想では常に
都や中央は上位であり続けたいものであり、鄙、地方は、その下に
位置すべきだというように、無意識に自縄自縛的意識を持っている。
その実態である権力内の人間それ自体の出自が鄙・地方であっても、
いったんそういうヒエラルキーができあがると、
その秩序構造に人間は、保守の側に回ろうとするのが常。
それは、そういうふうに保身した方が有利だということに由来する。
そういう「押しつけ」に直面させられたとき、
鄙・地方の側の絶望感、無常観はハンパない。
ほとんど中身のない上位意識の押しつけに、マジマジと見返してしまう。
ある醜さをそこに見てしまって、たまらなくなる。

しかし歴史は一方では、果てしのない「下降」であることも確か。
この下降というのは、鄙や地方が「発展」して
それまでの中央意識を破綻させ、あらたな「体制」に移行するプロセス。
日本史ではそういった社会の中での「対流」が、活発になる時期がある。
戦国時代や幕末の時期などがそれに相当する。
その時代の生産力が乏しい時代には、国全体として
創成させうる「文化」は、都にしか存在しないとされたけれど、
それが行き詰まってくると、「下剋上」の風潮が高まって、
独自の地方文化の発展が自然になってくる。
そしてその時間的積層が、中央とはまったく違ったかたちでの
地方文化を創造してくる。
沖縄に来ると、いつもそうした文化性を強く感じさせられる。
写真は、沖縄の地方染色文化である紅型の布。
紅型(びんがた)とは、沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つ。
14世紀の紅型の裂が現存しており、技術確立の時間を考慮すると、
その起源は13世紀頃と推定されている。
「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われる。

こういう美には、上下関係はないのではないか。
単純に美しいものは美しいし、いいものはいい。
たとえ王様が「これは美しくはない」と意識を強制しても、
やがて「王様は(知的に)裸だ」と、たくましく宣言する鄙の立場が出てくる。
結局は、ひとびとの意識が自然に発露するようになる。
だんだんと、知的貧困をさらけ出す中央が下剋上にさらされる。
いま、1億以上の人口が暮らしている社会が実現した日本。
平安時代には総人口が800万人程度で、
しかも末期には、奥州藤原氏という地方王権まで成立していた。
地方での文化発展と言うことについて、
中央でその権力の側に立っている人たちは、それを無視せず
大いにそれに注目して、自己革新を心がけなければならない。
そんな思いをここ数日、強くしています。

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