わたしは戸建ての住宅について考える仕事なんですが、
最近、その建物が建つ「住宅地」というものについて考えることが増えている。
上の表は、北海道の発表している資料からの抜粋。
いわゆる「新興住宅地」として開発された「住宅地」の人口推移。
属する都市の人口と正比例ではなく、場合によっては都市は人口増でも、
その住宅地は人口減というケースも多く見られます。
否応なくそれらの「存続可能性」というものを考えざるを得ない。
そもそも現代のわたしたちが暮らしている「住宅地」って、
歴史的にはきわめて新しい概念だと思います。
少なくとも江戸までは、こういった戸建て住宅の集合という住宅地は
ごく一部の「武家屋敷」街区くらいしかなかった。
あれは信長以来のサラリーマン化した武士の集合街区。
そこに商業支配も兼ねて街を作り、経済も権力が支配下に置いた。
集められた武士以外の階層は、集合住宅としての「町家」に住んでいて
商家などを除けば、基本的には賃貸住宅が主流だった。
明治以降、概念としては個人主義的な「家」概念が導入されたけれど、
庶民意識としては、都市居住=町家住まいが基本だったと思います。
あくまでも生産や経済圏との密着が「住む」ことのベースだった。
多少の距離はあっても「職住一体」が基本だったのでしょう。
戦後70数年の社会発展の中で通勤のための手段も整備されるようになって
生産活動の現場とはやや離れた
居住専門の「住宅地」というものが出現したのだと思います。
その設計としては欧米的な「都市計画」概念で構想された。
日本の伝統的都市に顕著な町家ではなく、欧米の郊外住宅地が
基本デザインプランとして「街割り」されていった。
いまも、基本的にはそういった「街」が住宅地の基本でしょう。
そういった専門的住宅地が、住み手の代替わりを迎えるようになって、
その本来的な意味合いが問い直されるようになって来ている。
結果として、存続の意味が問われ、徐々に人口減少が出来している。
どうもそんなふうに思われるのです。
家を建てると言うことは、かなり意志的に
「そこに住んで暮らしていく」という自己決定だと思うのですが、
時間の経過は、その判断について社会的評価を容赦なく加えてくる。
そこに住み続ける存続可能性が高いという判断で、
ひとは住む土地を選ぶと思うけれど、
社会が進展し選択されてくる「存続可能性」とはズレが生じてくる。
人口減少社会では、こういう選択についても否応ない変化がやってくる。
そういったものごとについて、この場で考えていきたいと思います。