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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

サクラの美しい乱舞、仙台の春

2015年04月10日 05時53分07秒 | Weblog

きのうは朝、2日ぶりに内容を考えられたブログを書いたあと、
朝1番の千歳ー仙台便でスタッフとともに仙台入り。
午前中はびっしりと仙台のスタッフとの会議。
昼食後、仙台の新住協本部で久しぶりに鎌田紀彦先生と面談の機会。
暮れの仙台での会合以来で2時間にもお話しは及びましたが、
新住協の一般社団法人への衣替えを機に、
先生のReplan誌誌面での掲載記事発表について、
その基本構想をじっくりと打ち合わせさせていただけました。
これについては追って、誌面掲載記事をお楽しみに。
面白い情報が提供できるのではないかと、期待大であります。

終了後、ふたたびスタッフとの個人面談など意見交換。
まる2日寝ていたのですが、ようやくクスリが効いてきたのか
途中、咳き込んだりということもなく元気にしておりました。
結局、夜10時過ぎにホテルに帰還しましたが、
なんとか、無事に任務を終えられた次第。
ホッと胸をなで下ろしておりました。
やはり体調を崩したら、徹底して休むのが早道ですね。
で、忙しくしていたのでじっくり見ることはできませんでしたが、
仙台はいま、サクラが美しく満開であります。
サクラの名所、榴ヶ岡公園から当社仙台事務所は近い。
クルマで通りすがっただけですが、
たくさんの花見客のみなさんが楽しそうに宴を繰り広げていました。
まことに春爛漫といった風情で、まことにご同慶の至り。
見ているだけでも、笑顔がこみ上げてきます。
確か、札幌ー仙台間の距離は700-800km。
ここからどれくらい時間がかかるモノか、
まだ札幌は、ようやく木の芽が膨らんできた程度。
それにやはり、北海道のエゾ山桜と、こちらの豪華なソメイヨシノは
まったく別のサクラだといつも思わされます。
まぁ、清楚なエゾ山桜での、遅い春を待ちわびていたいと思います。

さて、本日も元気に用件を片付けたいです。
週末日曜日には、今度は旭川で住宅視察を予定しています。

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日米関係・戦後70年

2015年04月09日 05時27分37秒 | Weblog

さて、2日間、風邪でほとんど寝て過ごしておりましたが、
ようやく体調が好転しましたので、
本日からは、さっそく仙台出張など、がんばりたいと思います。
ブログでも、アリバイ投稿ばかりでしたが、
本日から少しは中身も入れていきます(笑)。
で、しばらくぶりに政治ネタであります。

第2次世界大戦後70年という節目での動きが内外で広がってきた。
今月末には安倍首相が訪米するに当たって、
「日米同盟」を基軸にする日本の立場が世界にアピールされるのだろう。
その他、TPPについての成果が謳われるのかも知れない。
そういうなかで、米国のピュー・リサーチ・センターは、
日米それぞれの国民1000人ずつが対象の調査結果を7日公表した。
わたしが興味を持ったのは以下の3点でした。

・日米国民の相互信頼感は強い
この調査では、米国人の68%は日本は信頼できると回答し、
日本と親密であることを好むとの回答は83%に達した。
一方、日本人回答者の75%が、米国は信頼できると回答した。

・米国人・日本人ともに中国への信頼度は低い
中国を信頼できるとする回答は米国人の30%に過ぎず、
韓国については信頼できるとの回答は49%だった。
日本人の回答者で中国を信頼できると回答したのは
7%に過ぎず、韓国については21%だった。

・原爆投下については見方異なる
1945年の原爆投下は正当化されるかとの質問に、
正当化されると回答したのは、米国人回答者の56%、
日本人の回答者は14%だった。
戦時の行為について日本が謝罪していると思うかとの質問には、
米国人回答者の37%が謝罪していると回答し、29%がしていないと回答、
その他24%は謝罪の必要はないと答えた。
日本人回答者では、日本が十分謝罪していると回答したのは48%、
していないとの回答は28%、謝罪の必要はないとの回答は15%だった。

日米間では、3番目の項目が一番センシティブなのでしょう。
アメリカからすれば、真珠湾攻撃を決して許せないという思いがあり
同時に日本人も、原爆投下は許せないという心情がある。
しかし、そういう部分を超えて1番目の安定した関係がある。
それに対して、2番目の項目が、今日の世界情勢の中でも
特異な東アジア3カ国関係を表徴しているのでしょう。
日本にとっては、アメリカとの関係が最重要であるのに対して
ひたすら日本を攻撃し続けている中韓という構図。
日本の安倍政権は、この戦後70年という節目に当たって
まずは、アメリカとの安定した関係の再構築を誇示し、
その上で中韓と向き合って行こうという戦略なのだと思います。
これから安倍訪米での日米関係のアピールがどのようになっていくか、
それへの中韓の反発がどのようになっていくか、
東アジア情勢は、緊張に向かうのか、安定に向かうのか
目が離せなくなってくる局面だと思っています。


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なんとか快方へ

2015年04月08日 15時38分56秒 | Weblog

ブログを書いていると、いろいろな方が見ていたいただける。
思わぬ方から電話もいただき、感激いたしました。
なにごとも正直に現状を書いているのですが
なかなか風邪の具合というのは、一進一退でわからない。
ただ、昨夜は7時過ぎに夕食を済ませてすぐに寝たのですが
23時半過ぎに目が覚めました。
どうにも喉の痛みがハンパないのであります。
で、悶々として過ごして、朝になって医院に再訪。
事情をお話しして、クスリを変更していただきました。
特に今回は喉の痛みなので、鎮痛作用のある頓服薬を処方してもらって
それがどうやら、効いてくれているようであります。
それから午前午後と、たっぷり寝ていますが、
喉の痛みは感じなくなって、今度は熱も上がってきたようです。
わたしの場合、熱が出てくると、風邪の出口が見えてくる。
という状況で推移しております。
「毎日更新」を謳っているので、これはアリバイとしての更新であります。
なにとぞ、読者のみなさん、あたたかく受け止めていただければ幸いです。
たぶん、明日には、大丈夫でしょう・・・。
あ、前から読みたかった講談社メチエ文庫の
斉藤利男先生「平泉」を、枕元で読み進めております。
これは素晴らしい、最新知見がたっぷり詰め込まれた一冊ですね。
ゾクゾクとする臨場感のある北方日本歴史観に魅せられております。



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本日わたくし、ほぼ休業デス・・・

2015年04月07日 05時32分47秒 | Weblog
ダメであります。
風邪を発症してしまいました。
先週金曜日就寝後、土曜日の朝に、ノドに変調を感じていたのですが、
きのう、日中から風邪の勢威が強大化。
でも、緊急案件もあり、対応していたのですが
今朝は、さらに強勢な喉の痛みになっておりまして、
どうにも、治まらない状況であります。
やむなく、ここのところ開幕ダッシュに成功した
日ハムの応援スポーツ紙を買い込んで、
笑顔でたのしく寝込んでいる次第であります(泣)。
いいぞ、中田・大谷・その他全員!
ということで、応援に力を注ぐためにも、
本日は、ごく一部緊急案件を除いて、
休業とさせていただきます。
日日更新だけが数少ない特徴のブログでありますが、
本日は、このような「更新アリバイ」のみの
簡易ブログとさせていただきます。
読みに来ていただいたみなさんに深くお詫び申し上げます。
しかし、これでまた、更新ネタのプランニングを充実させ
1日後には、全力で更新に当たりたいと思います。
この季節、気温変動が激しいのでみなさんもお気を付けください。
ふ~~~、やれやれ。

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「街並み」問題をみんなで考える

2015年04月06日 06時05分39秒 | Weblog
さて、街並みについての話題、
きのうもさまざまに意見やコメントが寄せられています。
とくに、江戸までの時期についての街並みについて、やり取りが寄せられて
大変興味深い知見についての情報も寄せられました。
以下、要旨を抜粋して掲載いたします。

・日本の古い町並みを見ると、軒の高さが揃っていたり、
屋根の向きや勾配が揃っていたり、ルールがあったと思います。
大工の口伝には、家のプロポーションや
隣との関係を大事にしたものも残っているようです。
おそらく、明治になって変わったのでしょう?
江戸時代の町並みを再現して見たいですね。
・(Shigeru Narabeさんからの情報)近世の街並みについては、京都において
秀吉が京都の伏見に至る街道沿いの町家を二階建にすることを命じています。
これは、平屋が混じると見苦しいという意図があったようです。
江戸においても、1649年に3階建が禁止され、その後、 享保の改革では
「家作り、なるべき成はひきく建て」ることとされ、1806年には、
棟高が2丈4尺に制限されました。これらは、街並み形成が目的ではなく、
身分制度の維持が目的であったと考えられています。
http://www.lij.jp/html/jli/jli_2008/2008spring_p015.pdf
~とくに名前を記したこの(Shigeru Narabeさんからの情報)は
まことに面白い研究論文を見ることができました。
以下、リンク先の興味深い関連部分の引用です。

建物高さの歴史的変遷(その1)
―日本における建物の高さと高層化について―
大澤 昭彦[土地総合研究所 研究員]
土地総合研究 2008年春号より

城下町の街並み
・・・天守閣をとりまく城下町の建築物の高さはどうだったのか。
1590(天正18)年に天下統一を果たした豊臣秀吉は、
京都の城下町化を考え、伏見から京都へむかう「御成道」沿いの
町屋の街並み形成を目的として高さ制限を行った。
この通り沿いには、平屋か農家風の葛屋が多く見苦しいために、
「表は二階造にして角柱に作るべし。家並高下のなきやふ仕候てしかるべし」
と命じた。また、ルイス・フロイスによる『日本史』には、
「暴君関白(秀吉)は・・・都の市(京都)に、かつて見られなかったような
建造物とか豪華な諸建築を次つぎに完成し、日々築造していった。
彼は市に平屋の家が一軒とて存在することを許さず、すべての家屋が
二階建とされるよう命じた」とある。
つまり、2階建て以外は認めなかったことから、統一的な街並み景観の整備を
意図していたことがうかがえる。
しかし、桃山時代から江戸時代初期にかけての京都の風景を伝える
洛中洛外図屏風によれば、関が原の役後、京の町はさらに繁栄した結果、
3階建も出現しており、高さ制限が守られないこともあった。
また、江戸時代に入ると、京都ばかりでなく、江戸においても
3階建てが出現しはじめる。江戸図屏風等において、
日本橋の商家で3階櫓のある町屋が確認できるという。
当時の3階櫓がどのような用途に利用されたかが不明であり、
「どちらかといえば裕福な商人の見栄や財力の
象徴的空間構造物といった性格が強かった」のではないかとされている。
一部の町屋は高層化していたものの、洛中洛外図屏風で
一般市民の家屋を見ると、そのほとんどが板葺きの平屋建て長屋であった。
・・・以上、引用終わり。

・ありがとうございます。昔の町ぶれにあるのではないかと思いましたが、
貴重な研究を拝見しました。
・江戸がこうですから、恐らく諸藩の城下町も右ならえだったと想像されますね。
・美観に配慮した規定ではないにしろ、町並みに与えた影響は大きいですね。
いまこそ、美の基準が欲しいですね。

っていうような次第であります。
この他にも、現代のわたしたちの身近な「街並み」景観についての
やり取りもあり、活発に意見交換されてきております。
住宅メディアの作り手としては、興味がどんどん深まっております。
写真は、昨日に引き続き、飛騨高山の街並み。
こうした街並みは、「飛騨の匠」として京都奈良の首都建設に徴発された
当地の建築技術者たちがふるさとに帰還してきて
首都で身につけた建築デザインを応用して作り続けた木造建築群。
日本の木造建築が純粋培養されたような街並みで
とくに欧米人が珍重して大勢訪れてきています。
こういう「美感」を生み出した日本的感受性を発展させる必要がある。・・・



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持続可能な「美しい街並み」へ

2015年04月05日 06時09分57秒 | Weblog

さて、きのうの「街並み問題」、実に多様に論が展開して
多くのみなさんから、すばらしいご意見が寄せられました。
住宅雑誌を発行しているものとして、これは拡散しなければと
責任感を感じさせられます。以下、発言の要旨をまとめました。

・景観の問題以前にコミュニティの問題。
雪かき(道路への雪だし)、路上駐車、ゴミ出し、
町内会費の不払いなど、景観以前の問題が山積。
街並みをつくるという共同意識から問題が解決するかも。
・暮らしの豊かさは、小さな足下にあるのだと思う。
・サンフランシスコでは、住所番号のプレートすら印象的。
補助金で街路整備した町は人工的で薄っぺら。
ごみの少ない町では自然に家の前を掃除している。
札幌も昔はそうだったが、公共サービスが他人事になって
変わってきたような気がする。
・「他人事になった公共サービス」って、この問題の核心に近い。
日本人は本来、公共へのリスペクトが強い。公共負担としての
租税そのものへの反乱はなかったと網野善彦さんも書いている。
戦後の社会は、その美しい公徳心を忘れさせる過誤を犯した。
肥大化した「個人主義」がねじ曲がって、
自由にはその下に責任があることを忘却してしまっている。
・欧米の街並みでは価値に直結するからルールが相当厳しい。
・分譲マンションは街並みの重要な要素なので
修繕計画・積立金徴収・管理人を雇って街並みを維持させている。
そうさせる重大な決意をもって区分所有法が生まれた。
一方、戸建て住民は自分の住宅の塗り替えもしないで、
日照権や眺望権を言い立てるところが街並み問題の象徴。
「注文」を「わがまま」と解釈した住宅業界は、
街並み破壊産業ではないか。
・日本の戸建て住宅の「街並み無視」問題は、根が深い。
諸外国でここまで無秩序なデザインが放置されているのはない。
責任感の弛緩した自由・権利が、好き放題として錯覚されてきた。
「恥ずかしい」という自己意識くらいは持つ必要がある。
・重要な社会資本を「オンリーワン」の「わがまま住宅」というように
プロデュースしてきたことが「景観・街並みの使い捨て」に
つながった。やがてオーソドックスデザインに回帰するだろう。
・建築協定の第1号が田園調布。しかし相続問題で協定は崩壊。
日本の住宅は不動産。代が変わると、維持できない。<以上>

写真は、飛騨高山の街並みの様子であります。
わたしたちはこのような熟成した街並みも文化として持っている。
まちづくりの基本原理に、なぜこうした良き先例を持ってこないのか。
都市造りについては、明治以前までの日本人の方が
はるかに優秀な結果を創りだしてきているのではないかと
思われてなりません。この点ではむしろ退化している。
たぶん、計画を作る基本的社会システムに狂いがあると思うのです。
さて、日本人の気付きはどのように現れてくるでしょうか?




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日本の「街並み」を考える

2015年04月04日 05時36分12秒 | Weblog

先日「外構のメンテナンス」について書いたら
やはりその先に「街並み景観」の話題がたくさん寄せられました。
以下、投稿コメントやりとりの要旨抜粋です。

昔、サンフランシスコで見たビクトリアンハウス、
住民がセルフで外壁の塗装を楽しんでる。100年経っても輝いている。
われわれには、そんな余裕ないもな~!
やっぱり少しずつでも近隣のみなさんのために、
よきメンテナンスを心がけていくべきだ。
公共からの街並み論議は、上から目線で強制方法しか出てこない。
本当は、街を愛しているひとりひとりが
花でも植える、木でも植える、育てるっていうことでしか、
良くなることはあり得ない。
「街のデザインに参加している意識」は大事。かなりの人が
住みたい街や家のデザイン、間取りについては
寝る間も仕事の間も惜しんで考えるのに、家が街並みとなっている
意識はない。意識の持ち方一つで価値ある地域づくりにもなっていく。
「地域に参加する」というのは大変でもある。
でも大切な「公徳心」に繋がる。雪かきみたいな支え合いが、
きっと「街並み」意識にとって大事なのでは。そうすれば自ずと、
近隣に対して「恥ずかしい」という美意識も生まれてくる。
誰でも当たり前にやれることをやる、ということが街並みに、
いつか、凜とした背骨を通していくのではないか。
しかし、こうしたことはどのように伝承・伝達されるべきか、
現代社会では不明になっていることがらだ。
家に手をかけ続けて美しい家並み、街並みを作り上げているという
欧米の「生活文化」について、日本人はいつもそのことに
リスペクトを払ってきたけれど、欧米などの「美しい街」は、
それを創り、維持管理することで、具体的にも利益がある。
不動産価値が上がっていって、自分たち自身が利益を得る
実利がある。住宅のわらしべ長者システムができあがっている。
こうした「生活文化」が日本でも実現することは
素晴らしいかも知れないけれど、簡単でもない。
どうやって中身としての「生活文化」を作って行くのか、
「想像力」が試される。現実に古い日本の街並みを持つ住宅街では、
そのような「具体的な見返り」のないなかでも
美しい街並みは維持されているところも多い。
そういうものを欧米人が「発見」して、街並み価値が高まっている。
嘆いてばかりいても、なにも始まらないのだ・・・。<以上、抜粋終了>

「家を建てる」と言うこと自体ですでにわたしたちは
「街並み景観づくり」に参加していると思うのですが、
外構のメンテナンスを考えることは、たぶん、
この「街並み」に積極的に参加することについて考える機縁になる。
そんな思いで、書き綴った次第です。
ただ、アメリカはほとんどが「建売」を通した住宅販売が主流であり
新設住宅の内、戸建ての「注文住宅」比率はきわめて少ない。
住宅販売事業者が販売するに際して、
こういった「街並み景観」の基本をしっかり創っている。
それに対して、ほとんどが注文住宅で、各戸の建て主が
自由にデザインを選択しているのが日本の実態。
こういった実態を踏まえた上で、どうすべきかを考える必要があります。


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専門知識蓄積のない報道メディア

2015年04月03日 07時12分54秒 | Weblog
本日は住宅と大手報道新聞メディア論であります。
最近の話題ですが、テレ朝の報道ステーションという番組の中で
異様な展開になってしまった「元官僚」がウリの古賀某さんの件で、
ネットで流れていた論評。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1503/31/news036.html
わたしが関心を持ったのは、
別にこの話題のことではなく、その一部でメディアのことについて
触れていた部分があって、そこに反応したのです。
書いたのは窪田順生さんという方。1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。
在学中からテレビ情報番組の制作に携わり『フライデー』取材記者3年間活動。
その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、
現在はノンフィクションライターという経歴。
以下、わたしが着目したポイント部分です。

「日本のマスコミというのは採用をされると、地方赴任をする。
そこで警察、県庁、地方政治をフォローして、中央へというのが
オーソドックスなキャリアパスなのだが、冷静に考えてみると
ジャーナリストの育成という点で、これほど非効率な方法はない。
2年や3年で担当がコロコロ変われば、専門知識は蓄積されない。
その分野を俯瞰(ふかん)するほどの視野も広がらないし、
なによりも取材に不可欠な人脈も広がらない。
そろそろ、この分野も慣れてきたなというタイミングで配属換えがあるのだ。
そんなもんサラリーマンだから当然じゃないかと思うかもしれないが、
海外のジャーナリストの目にはかなり異様に映る。」~以上、引用終わり。

・・・このこと、以前から強く感じてきています。
というのは、わたしどものように30年近く住宅関係のことをやっていると
そういう専門的な知見を求められて、新聞メディアの「住宅担当」の方々から
「今度、担当になりましたのでよろしく」というような
あいさつをいただくことが多くあります。
で、何年かお付き合いもあるのですが、
ようやく「断熱気密」のことが理解出来るようになった頃には、
「担当が変わりました」というご挨拶をいただくのであります。
そういうことが慣例化してきて、タイアップの意味も感じられなくなってくる。
そういった体験を数多く経験しているのです。
メディア側の事情もわからなくはないのですが、
「健全な世論構築」のために、メディアが本来果たすべき役割を考えれば
どうにも解せない部分があると思っています。
一方でメディアでは、政治記者というのはまた別のようで
メディアでエラくなっていくのは政治畑の人が多いようです。
本来世の中のことが発展していくのに、政治だけが良くなれば良いのではない。
人間の幸せはそれ以外の領域の発展の方も寄与は大きい。
とくに住宅などは、その最たるものではないのか。
住宅のヒートショックで死ぬ人が
交通事故よりも多いというような現状に対して、
「社会の木鐸」を気取る存在が、基本知識をしっかり持っていないのでは
困ったものだと考えるのは、わたしだけでしょうか?
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「民衆革命根拠地」越前・吉崎御坊

2015年04月02日 08時58分06秒 | Weblog

さて本日は久しぶりに歴史探訪ネタであります。
閑話休題をお許しください(笑)。
きのうの北海道対福井県の対戦となった選抜高校野球決勝戦。
すばらしい試合だったと思いますが、
福井県にわが北海道勢は敗れ去りました。
福井県のみなさん、おめでとうございます。
昨年はじめて北陸地方を訪れてから、
すっかり北陸の魅力にとりつかれております。
里山と海のおりなす能登の風景に完全にノックアウトされてしまったのですが、
最近は、NHK朝ドラマ「マレ」もはじまって、
主人公の女の子のかわいらしさばかりでなく、
その風景がテレビ画面でも美しく描かれていて、胸キュンとさせられております。
やはり北陸は海とのコントラストがたまらなくいい。
いまのところ、ドラマでは塩田が舞台になっていて、
やはりみんなあの魅力に惹かれるのだなと、共感できます。
わたしも塩田の様子を、経営されている方から話を聞いた経験があって
ああいう営みがあり得ている風土にいたく惹かれる。

ことし冬に北陸にふたたび行ってきたのですが、
その折りには能登ももちろんですが、南下して東尋坊周辺を走っていたら、
ふと「吉崎御坊」という名前を標識に発見して、
「おお、ここがそうなのか」と、思わず足を止めてしまっていました。
そうなんです、歴史好きにはたまらない、土地としての吸引力を持っている。
戦国とは、武家の天下争奪戦もあったのだけれど、
それと深く関係するように宗教としての天下争奪も進行していた。
北陸加賀国が、「百姓の持ちたる国」になったのは
日本史のひとつの象徴的な事態だったと思っています。
そのころは学生運動に傾斜していたので、
この蠱惑的なフレーズに、心象が激しく反応していた。
その宗教的な運動のひとつの「根拠地」としての
「吉崎御坊」という地名に、忍者武芸帳・影丸伝の世界が投影されて
日本にも、そういった民衆革命の種火はあったのだと
深い憧憬の気持ちを持っていたのです。
まぁさすがに大人になった今は、
そういう心象からははるかに離脱しているのですが、
思春期のうずきに似た、かさぶたの痒さのようなものは今もある。
写真は、宗教教団としての浄土真宗の施設建築ですが、
京にも近く、活発な商業交易拠点としての性格も
この地に来てみれば、ほぼ明瞭に確認することが出来る。
日本では交易活動・商業と宗教もからみあっている部分が強い。
文字や計数と言った情報解析能力の高い僧侶たちが、
日本の対外交易活動において、大きな交渉力になったことは疑いない。
浄土真宗の拠点は、同時にそうした商業立地と見事に重なる。
海運・水運の入り組んだ地形をクルマで走りながら、
そんなことをカラダで感じていた次第です。・・・


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華やかな春をじっと待つ、末っ娘

2015年04月01日 05時53分59秒 | Weblog

いろいろな便りで、関東以南のサクラ満開ぶりが伝わってきます。
まことにご同慶の至りであります。
やはり春と言えば、満開のサクラが日本人を刺激する。
ただ、春の訪れには時間差がある。
北海道には、同じ尺度ではまだ春は1カ月近く先の話になる。
フランス語では、都市は女性名詞とされているそうですね。
だから、都市間で仲良くしましょうと言うときに
「姉妹都市」になるのだと聞かされる。
そういった類推からすると、札幌は日本語文化圏で
いちばん年下の妹である街、ということになるのではないかと
いつもそんなふうな情緒でものを見るクセがあります。
旭川やその他の都市も北海道にはもあるワケですが、
わかりやすく札幌を対日本社会で北海道代表と考えた見方です。
冬になって、白くお化粧する彼女は、
日本中から羨望を持って、その美しさをたたえられる。
いや、いまはすでにアジア中と言った方が良いかもしれない。
中国で放送された人気ドラマが北海道を舞台にしたことで
かれらのエキゾチズムをいたく刺激して、
その風景を体験したいと、多くのひとが来るようになった。
そのように、札幌は美しい冬を持つ街として
多くの人の心に刻み込まれ続けている。
そういう彼女が、しかし、一番年下であることを深く自覚するのが
この春の季節なのだろうと思います。
お姉さんたちは、輝かしくうつくしい衣をまとって
その美しさの咲き誇っている様子を、遠くからじっと見つめ続けている。
「いつかわたしだって・・・」という内語を持ちながら。

まるで、そんなような都市ストーリーに仮託したくなる、
この季節、こんな乙女の心情のような雰囲気に包まれる一時を、
北海道の人々は過ごします(笑)。
なんですが、しかし冬の美しさのせいで遅くはなっても
やっぱり四季の変化は確実に、彼女の表情も変えていく。
北に住むものは、そういった時期の彼女の美しさも発見してあげたくなる。




なんか、変なブログではありますが、
現代は、「都市の快適性」という大きなテーマが
きわだって見えてきた時代なのではないかと思っています。
都市に暮らすと言うことの普遍性と個別性との
両方の価値観から、都市というものの快適性が評価される。
そのことと、人口減少によるコンパクトシティという理念が
同時に進行していって、都市居住の価値観に変化をもたらすのではないか
そんな妄想を徐々に膨らませつつあります。
さて、こんな季節でもあるいていると
独特な美しさも、そこら中に見えてくるものかも知れません。
雪融けの麗水が元気よくとどろく様や、
高低差による季節感のコントラスト、太陽光の微妙な変化による
見え方の面白さなど、
探せば魅力一杯な彼女ではないかと・・・。




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