三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

古物への愛着心

2013年04月20日 07時23分26秒 | Weblog



旭川市の中心市街地を貫く4条通りに面して
昔から古物商があって、そのたたずまいに目を引かれ続けている。
時間の経過を拒否するかのような、
そうしたモノたちの集積が、なにかを訴求するのだと思う。

で、先日の旭川訪問の折、
ちょっとだけ、覗いてみることにした。
カミさんは拒否反応が強烈で、同行しないというので、
やむなく、わたしひとりで敢然と(笑)、店内に入ってみた。
古物というのは、そのものズバリ、実用性で考えればまったく無用に近い。
ほかのどんなものにも反応しなかったけれど、
唯一、「これは能面ですか?」と思わず聞いたモノには、
どうもこころが動かされた。
ずっと直立していた店主とおぼしき方が
「いや、それは能面に似せた飾りで陶器製です」と教えていただいた。
こういった店では、たぶん、訪問客が反応しない限り
働きかけてもムダと知り尽くしているかのような
聞かれて初めて語る、という反応方法を取っているに違いない。
「能面に似せて、陶器を作っているの?」
という疑問が湧いてくる。
ということは、能面にはそのようなモノとしての力があったということか。
確かに言われてみれば、そのようなシチュエーションの
室内飾りを想起させられる。
能面というのは、ひとつの造形でいろいろな感情表現をするモノで
中間的でいて、しかし、劇的には高まった場面では
象徴的な「表情」である必要性がある。
そのなんとも言われない「寸前」とでも言えるような表現力が
作者の力量として伝わってくる部分があって、
室内の飾りとして考えたとき、
能の好きなひとには、需要があったに違いない。
ある種の劇的な要素がそこに凝縮されている力なのだろう。
ただ、そこに展示されているモノたちには、
そこまでの力は、わたしには感じられませんでした。・・・が、
案の定、わたしの性向を察知しているカミさんからの
「早く帰ってこい」ケータイコールが来て(笑)
それ以上には進展せず、古物商店舗を後にせざるを得ませんでした。
まぁこのあたりのタイミングも、見事でしょうか(笑)。
「こんな分けわかんないモノを家に置かれたら困る」という
カミさんの危機感もよくわかる次第であります(笑)。
ということで、ややこころに残るモノはあったのですが、
一応、どんなモノが展示されているかの
情報だけは得られたので、今回はここまでとさせていただきました。
こうした体験は、その後、心の中で
ある発酵期間を経て、何かの拍子に出てくる瞬間もあると思います。
なんとなく、ややあぶない感じがしたお店訪問でした。

まる1日の休養とお薬が効いて、
おかげさまで、風邪の症状は劇的に緩和されてきています。
やれやれ、であります。ふ~~よかった。
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風邪にて本日休業

2013年04月19日 13時14分36秒 | Weblog



いやぁ、やられました。
今週は月曜に札幌から仙台に移動し、用事を片付けた後、
住田と陸前高田での取材を行ってから、
仙台に戻って用件をこなしていたのですが、
どうも旅の空で風邪菌をノドにキャッチしたようで、
猛烈にノドが痛くて堪らなくなりました。
仙台滞在中、時間を縫うように病院を探していたのですが、
以前も行ったことのある医院はどこも「水曜定休」ばかり。
どうもこういう定休が多いようで、
その間も時間に追われてのスケジュールだったので、
ホテルでの休息もままならず、
きのう帰りの仙台ー札幌便搭乗時には、
待合で爆睡状態になってしまって、あやうく乗り遅れるところ。
で、カミさんが飛行場に迎えに来てくれて、
ノドが痛くてしゃべれなくて、辛い時間を過ごしておりました。
でもまぁ、仙台では面接を十数人こなしていたので、
無理してしゃべっていて、それもノドをもっと痛めたのかも。

ということで、本日もかかりつけのお医者さんで看てもらって
点滴と投薬を受けてきまして、
本日は、このまま爆睡したいと思っております。
幸いあすからは週末・土日なので、用件だけ済ませて、寝ます。
こういう体調の日には、やはりブログのネタも浮かんできません(笑)。
またあしたには、シャキッとして
書きたいと思いますので、本日はお許しください。ではでは。
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旭川の旧家探訪

2013年04月18日 06時23分16秒 | Weblog



先日の日曜日、カミさんの母親に頼まれて
旭川にある古い賃貸住宅を見に行きたい、という願いを叶えてきました。
まぁ、こういった類のことはが嫌いでないことは
このブログの読者のみなさんはご存知でしょうか(笑)。

カーナビはまことに便利で、
目的の家はすぐに発見できました。
母親の年齢を考慮すると、この建物は少なくとも畜80年は超えている。
たぶん、100年も越えているのではないかということ。
徐々に、この写真の左側に向かって沈下を見せている。
基礎は礎石なので、それが徐々に不同沈下して、
地面に落ちていって、建物に傾斜をもたらしているのだろうと思われる。
そもそも賃貸用の建築物で、
とくに立派な建物というわけではないのだろうから、
まぁ一般的な造作であったことは明瞭だと思われます。
この建物を使って、床屋さんを営んでいたそうです。
建物の一部、1階右端には別の間借り人がいたそうで、
コメの配給施設として利用されていたという記憶。
今、こうしてみてみると
よくこういった家で住んでいたものだと思われますが、
しかし、寒冷地でもこのような住まい方が一般的だった。
冬の朝になれば、布団から出ている顔だけが寒さでこわばっていて、
かなり強烈な意志力を持って布団を跳ねあげて起き上がっていた。
そしてすぐに居間のストーブに着火して
とにかくも暖を取らなければならなかった。
「断熱」という概念そのものがなかったのですね。
しかし、それにしても
こういう建物、それも賃貸用物件が今日まで存在しているというのも
社会的に見て、非常に面白い現象だと思います。
朽ちるがまま、そのまま「現状有姿」が、まだしばらくは続くのか。
人間だけではなく、建築・建物もそのまま、高齢化していくのか?
活発な設備投資ではなく、
むしろゆったりと朽ちていくような方向に、
社会は向かっていくのでしょうか。
そんなような、印象を受けながらその滅びの様を見ていました。
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岩手県気仙・住田の木材産業

2013年04月17日 09時04分08秒 | Weblog



ようやくリアス式海岸地域でも、高台移転のための「防災集団移転」の
メドが立ってくる地域が出てきています。
きのうはそういった動きを取材してきました。

そういう動きのひとつの起動力になっているのが、
住田町の動きです。
大船渡と陸前高田に接した山間の町として、住田は
「気仙地域」という広域圏を上記の2市と形成しています。
震災後、いち早く木造での仮設住宅に取り組み、
全国的に大きな衝撃も与えました。
なぜそういった動きが現実化したのか?
それは、長く消費地としての2市、あるいは昭和40年代までは
関東の大消費地まで、町の森林資源を供給し続けてきた歴史があったのです。
きのうは「住田住宅産業」の佐々木社長のお話しを伺わせていただきましたが、
興味深いお話しばかり。
とくに感銘を受けたのは、
「木挽き棟梁は、大工棟梁よりもえらかった」という部分。
古民家などで、根曲がりの木を梁に活用している現場を見ることが多いのですが、
それは、具体的にはそういった目利きをする「木挽き棟梁」という存在がいて、
大工棟梁に、どの木をどのように組み合わせるか、
指示を出していたというのです。
確かに、山を巡り歩いて木を選び、
そのそれぞれに適切な役割を割り振っていくというのは
木造での家づくりの核心ポイント。
木の生産地である住田には、そうした職種が存在して
社会的にも高い位置を占めていたと言うことだそうです。
いわば木造建築生産システムの中核であり、基本部分でしょう。
また大工棟梁は年間に2棟建てるだけでも十分な所得を得ていて、
しかも社会的に弟子を取るまでの高い位置を保つことが出来たそうです。
それは一方では、「建ててやる」という傲慢な意識ももたらした。
それがいつしか「伝統」にまでなってしまって、
昭和40年代以降の高度成長社会の中で
非効率の代表のように指弾され、社会的な地位を失ってしまった。
しかし、とはいえ、
生産システムのすべてが非合理なわけではない。
今日的に活かさなければならない大きな知恵もそこにはあった。
そんな強い印象を受けた次第です。


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日ハム大谷君契約のホテルへ

2013年04月16日 06時12分00秒 | Weblog



きのう仙台に入り、ひと仕事片付けた後、
本日の取材のために、岩手県奥州市水沢まで来ております。
で、プラザイン水沢というホテルに泊まっていますが、
このホテル、以前にも講演会をやらせていただいたりしている場所。
ということで、勝手も知っているのですが、
実はそれ以外にも、昨年末頃には気になっておりました。
大リーグ挑戦を明言していながらも、北海道日本ハムが敢然とドラフト指名した
大谷君と、球団が何回か契約交渉したホテルが、
その背景写真を見ていて、どうもこのホテルのように感じていたのです。
で、きのうホテルに入ったら、正面に誇らしげに
大谷君のレプリカユニフォームなどが置かれていまして、
「やっぱり」という次第でした。
一昨日の試合で先制の殊勲打を放ってくれたのですが、
その後、外野守備の時に芝生の切れ目で足をねんざしてしまった。
プロ野球選手というのは、ケガがつきものですが、
まだ若くて、体が十分に成長しきっていない大谷君、
ちょっと神さまがブレーキを掛けてくれたものかも知れません。
オープン戦などの投手としてのパフォーマンスを見ていると、
しっかりと育てば、オールジャパンクラスの投手になる可能性は高いという評価。
一方で打者としては、天性の柔軟性のある打撃を見せてくれていて、
どっちも夢を感じさせてくれる。
その上、受け答えを見ているとクレバーな感じが強く感じられ、
笑い顔がなんとも若者らしい清々しさがある。
なんとか順調に成長していって欲しいなぁと強く思わされる選手です。
どうも、ファン層は日ハムファンばかりではなく、
それこそ、スーパースターを待ち焦がれている
他球団ファンも含めて全国の野球ファンに支持が広がっている感じがします。
それだけに北海道日本ハムファイターズの責任は大きい。
ことしは、WBCは残念な結果になりましたが、
でもわがチームの中田クンや、わがチーム出身の糸井君など、
ジャパンの中心選手として活躍できたことは大きな財産になった。
とくに中田クンの今シーズンは、この経験が大きく成長に繋がっているようです。
やはり、日本の野球界にとっても、
スーパースターは育てていかなければならない。
そのひとつの大きな可能性を、わが大谷君は持っている。
球団の責任は重いし、また焦ることなくじっくりと育て上げて欲しいと思う次第。
天衣無縫に、投げて打って走って、というスーパースターの形を
オリジナルに作り上げてもらいたいと思います。
やっぱり野球の魅力はものすごいスターの輝きだと思います。
プロ野球球団は、そういった存在を育てながら、
同時にファンのために、勝つ野球もしなければならない。
栗山監督、今シーズンは先発投手陣戦力の整わないなか、
苦肉の戦いが続くだろうと思いますが、
中田クンの調子がいいのが、最悪の状態の投手陣の危機をなんとかしのいでいる。
で、なんとか勝てる試合をものにしていきながら、
投手陣の回復を待つしか、当面はなさそうであります。
たいへん難しい舵取りを強いられるペナントの展開ですが、
栗山監督には頑張ってもらいたいと思います。
ケガに負けるな、大谷君!
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!!
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現場を伝えるIT活用

2013年04月15日 05時32分29秒 | Weblog



っていうほど大袈裟な話ではありませんが、
スマホやケータイの携帯が常識になって、
いつでもどんなときにも、今起こっていることを人に伝えることが
いかに容易になっているか、を実感させられます。
写真は、わたしが関与したカミさんの実家壁面のモルタル剥離の現場写真。
ことしの多雪での影響がこんなかたちで出てきたものか、
その様子を写真に撮って、すぐにその写真をメールに添付して
工事を依頼した建築会社に送信しました。
写真はきわめて大量の「情報」を余すところなく伝えてくれます。
この場合は、剥離の部位・剥離の状況などが明確に特定されます。
工事のプロにしてみたら、まずは状況の把握と、
場合によっては、おおまかな対処方法も特定できるハズです。
こうした情報がすぐに伝えられることで、
建築のプロセスがたいへん合理的に進行していく。
「現場管理」ということが、
情報化の進展と共に、大きく変わっていくことは明白ですね。
これまでなら、建物の異変に気付いた住まい手が、
電話で状況を建築会社に伝達するとき、
建築的な語彙の少なさから、正確に事態を把握することが難しかったに違いない。
そうしたことが、相互の関係性の離反に繋がったりもしたと思われます。
写真を送信してしばらくして、建築会社からメールが来て
「了解しました。週半ばには行きます」という連絡。
作ったプロセスを正確に把握している建築会社にしてみると
この写真情報から、対処方法もすぐに起動できるものと思います。
実際にこうしたことを伝達してみて、
時代はほんとうにすごい進化を遂げているものだと、
あらためて、驚愕させられる次第であります。

さて、先週末、青森往復の出張が終わったばかりですが、
きょうからは仙台から、岩手県住田町、さらに陸前高田の復興住宅関連など、
4日間の日程で出張であります。
こういうふうにあちこちと飛び回れるのも
パソコンやスマホなどを持っていればどこでも仕事がフルに出来る、
ということが安心感を広げてくれている。
人間の仕事と言うことについての進化は、どこまで進展していくのか、
テクノロジーが進化していくわけですが、
さてその内容はどこまで進化していくのか、
まぁなんとか今のところは時代にそう遅れることなくついて行けていますが、
体力の涵養と、情報活用への深耕作業には
つねに細心の注意を払って取り組んでいかなければなりませんね。

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下北半島まで

2013年04月14日 06時28分07秒 | Weblog




青森県はご存知のように大きく3つの地域に分かれています。
人口密集度でいえば、津軽地方・八戸南部地方とは比較にならないけれど、
「むつ」市を中心にした下北地域も独自性を持っています。
ただ、どうしても津軽や南部に比べて、
訪問する機会は限られてしまう。
とくに出張などで訪問している人間には、やや縁遠い。
青森市内の人に聞いても、「むつ、遠いよ」という声が聞かれて
そうか、遠いんだ、と諦め続けておりました。
青森県地方は、古くは縄文時代まで人跡をたどることが出来る地域で
遺跡も石器時代まで遡れるという亀ヶ岡、﨧森市内から発見された三内丸山、
太平洋岸では、先日のブログでも触れた、まるでタイムスリップしたかのように
保存状態が良好な是川遺跡などなど、きわめて豊か。
ということは、人間の生存にきわめて好環境であったことは疑いありません。
その後も、県内至る所でアイヌ語地名が散見されるように
北海道島からの移住民も多く痕跡を残している。
異民族制覇のためにこの地まで遠征してきた坂上田村麻呂の伝承から
「ねぶた」の起源も起こったとされるように、
歴史そのものが多くの事実に突き当たる地域性を持っている。
そういうなかでも、下北半島部はまるで取り残されたように
痕跡もほとんど知られていない。
たぶん、恐山の民間信仰くらいが日本の歴史に関与しただけだったように思います。
その地に、明治維新戦争の敗者である会津藩が、
追いやられるように移住を強制されて入っていった。
コメは採れず、山林は豊かだと聞かされたけれど、
来てみたら、まったく利用は出来なかったというのが現実だった。
そういう苦難の歴史がここ百数十年積み重なってきた。
そしていまも、多くの原発や六カ所の関連施設などに立地を提供してきた。
国が求めた無尽蔵なエネルギー生産を引き受けたけれど、
その豊富なエネルギーの受容者たちから、
掌を返すような視線を浴び続けている。
会津の苦難はいまも続いているのではないかと思わされる。

まぁさすがに時間はそんなにないので
ほとんど通りすがりという感じに近いのですが、
クルマで往復してみました。
なんとなく、稚内にいくような感じですね。
半島地域で、風が強いというような雰囲気がそう感じさせるのでしょうか。
地域振興策や原発立地によるさまざまなお金が落ちているのでしょうが、
なかなか地域としての活力のようなものは感じられました。
神楽や能楽などの定期公演も行われているそうで、
むむむ、見に来たいなぁ・・・。
ということで、時間を見つけてぜひ再訪したいと思いました。
さて、そういう日は訪れてくれるでしょうか?
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青森ー札幌往復方法

2013年04月13日 06時23分18秒 | Weblog



きのう青森から札幌まで帰還しました。
青森って、北海道から行くとすると2通り。
ひとつは飛行機ですが、これはフライトが45分くらいで
値段がほぼ正規料金で21400円。パックなどの「包括旅行割引」料金はまずない。
したがって、往復すると43000円くらい。
これはどう考えても東京に行くよりも、場合によっては沖縄に行くよりも高い。
秋田も、花巻もまぁ大体同じような料金になっています。
札幌ー東京のような大量輸送路線では考えられない割高ぶり。
で、時間は千歳までの列車と、青森空港から青森駅前までのバス移動を含めると
待ち時間を含めると、おおむね3時間半は見ておかなければならない。
便数は1日3往復なので、時間も制約を受ける。
10:20札幌/千歳発で11:05青森到着という便が便利なんですが、
大体札幌出発は、2時間前を目安にしているので、8時半くらいに家を出る。
で、青森の駅前に到着は大体12時くらい。大体3時間半という次第。
もうひとつは、JR利用でのもの。
こちらはなんといっても、JR北海道が往復で17300円というパックを出している。
北東北なら、一定期間内どこまでも列車移動も出来る割引付きでお得。
時間は、朝7時札幌発で青森到着は12時7分。大体5時間。
家を出るのは30分前ですから、まぁ5時間半でしょうか。

この違いで、料金は往復で42800円:17300円となっています。
まぁ、わたしの経済感覚からすると、この差額25500円は承服できない。
たぶん、多くのみなさんがそう考えていると思われます。
その他、景色を見たりの快適性と、
運行の正確さや安定性などを考えると飛行機の選択はまずない。
そのうえ列車は、多少時間は長いけれど、
その間、パソコンやスマホでビジネスを片付けたりすることも出来る。
移動中も連絡が頻繁に可能というのは、たいへん便利です。
まぁ、札幌から青森というビジネス利用自体、あんまり少ないでしょうが。

そんなことで、近くて遠い、というのが実感なのですが、
だんだん訪問の回数が増えてくると
駅で言葉の訛りを聞くと、うれしくてしょうがなくなる(笑)。
なんていうのか、とにかくくだけていて、
他の地域とはまったく違う親近感が募ってきます。
北海道にも青森の訛りはかなり入っているので、
どうしても他人とは思えないものを感じさせられるのです。
先日も地元の方と軒先の氷柱で子どもの頃に遊んでいた話で盛り上がっていましたが、
こんなことで盛り上がれるのは、青森と北海道人だけではないでしょうか(笑)。
あ、秋田の人も加われるかなぁ。
まぁ、近くて遠い現実なんですが、
やっぱり一番近いことは間違いないので、
地域経済交流の花をいっぱい咲かせたいと思っております。

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青森県立美術館にて

2013年04月12日 05時56分25秒 | Weblog



古民家とか、遺跡とかの方の興味が強い男なので
三内丸山遺跡には行きたいとは思っても、その隣接する青森県立美術館には
一度も足を向けておりませんでした。
建築に関連する人間として、これではまずいなぁと思っていて、
ようやく今回、見学して参りました。

美術というものは、なかなか定義が難しいと思います。
わたしは、自分自身では土偶とかの手触りの感覚、
人間くさい、俵屋宗達の風神雷神、
青森の風土を感じさせてくれる棟方志功さんとか、
そういったものに強く惹かれるタイプの人間であります。
サイズが、どれもが比較的小さめのものを凝視するような体験が好ましい。
なんとなくそんなふうに思っていたものですから、
建物としての、というように興味はあまり持っていませんでした。
ところが、この青森県立美術館では、いきなり美術鑑賞の寸法がまったく違う。
導入されて最初に入る常設展示スペースでは、
高さが21mあるという広大な空間が広がり、
シャガールの「舞台背景画」が3面の壁面に展示されている。
ちょっと、スケール感の違いに目眩に似た感覚が引き起こされます。
で、どうも落ち着かない。
なぜかというと、スペースと作品が巨大すぎて、
見るものと作品との「対話」がどうも成立しないと感じられるのです。
それには、四方に配置されている美術館職員さんの視線を
痛いほどに自分一個に感じるということも大きいと、あとから気付く。
「え、そんなにジロジロ見ないでください。悪いことはしませんから」
というような心理的圧迫に圧倒されて、
一刻も早くこの場を立ち去りたい、という気分にどうしても駆られる。
巨大空間とジロジロ。
引き続く「青森イヌ」コーナーは、やや落ち着くかと思ったのですが、
やはりイヌの巨大さに圧倒され続けて、
どうも空間感覚が回復させられない。
そういえば順路も迷宮的で、それを一々館員の方たちから指示されるのも
自由を奪われていると感じざるを得ない。
まず、この居心地の悪さが、印象を覆い尽くしてしまって、
平常心が回復しないまま、予定した時間よりもずっと早く、
美術館を出たいという気持ちにさせられ続けていました。
正直に言って、建築はいろいろに面白い空間を見せてくれているのでいいのだけれど、
美術を楽しく見られた、という印象にははるかに遠い。というか、まったく印象に残らない。
大好きな棟方志功さんのコーナーもあったのだけれど、
じっくり鑑賞すると言うよりも、ここでも館員さんの視線が厳しくて
「え、っと、次はどこに行けばいいのかな、館員さんに怒られないかな」
というような気がしてならない。
美術館建築って難しいのだろうな、とは思わされましたが、
終始、こうした印象のまま、この建築を後にした次第です。
最後、エレベータに乗ろうとして昇降ボタンを探したのですが、
ここには身障者用のサインだけがあって、
どうもこれは一般健常者は乗ってはいけないのではないかと不安にさせられました。
ショップで、建築家・青木淳さんのこの建築解題のような本を購入してきましたが、
建築としてはたいへん面白い空間体験をさせられたけれど、
どうもそこにどんな美術があったかは、不思議なほどに印象に残りませんでした。
棟方さんの作品すら印象がない。

先般行ってきた上野の近代美術館での
モネの作品コーナーでの「ずっと見ていたい」という体験余韻のようなものが、
わたしには懐かしく思われました。
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芽吹き

2013年04月11日 05時57分24秒 | Weblog



写真は6日と9日、わが家の庭先にて。
残っていた雪があっという間に融けてしまって、
今度は雪の下で芽吹いていた緑が、あっという間に成長しはじめた。
めまぐるしく、いろんな胎動がいっせいに始まります。
寒さと雪の多さが強烈だった分、
今年の春の訪れは格別であります。

仕事の方でも、いろいろな動きが始まっていて、
やはり時代と世の中はどんどんと変化に向かって流れていく。
そんなことを実感させられます。
友人たちは、けっこうリタイヤしているひとも増えてきましたが、
わたしの場合は、これくらいの歳になってむしろようやく仕事と自分のペースが
シンクロし始めたかな、と思える次第。
歳とともにより小さい部分で気付くことが多くなってきて、
それを反映させながら、よくなるように修正を試みつつ牛のような歩みを続けています。
まぁ、中小零細出版企業で、
もう30年を超えてきているわけですが、
日々の変化も激しく、生き残りを必死に工夫していく毎日で
そういった環境の中では、立ち止まることは許されません。
リタイヤした友人たちを羨ましく横目でまぶしく感じながら、
あくせくと走り回っている現状であります。
そういうなかにいても、
こういった小さな身の回りで、なにか力を感じさせられるものがある。
いろいろと困難は持ち上がってくるのですが、
日々、すこしずつ継続し続けることしか、凡人にはできません。
毎日すこしづつ、
小さなことを心がけたいと思っています。
ということなんですが、
けさはうっすらと雪化粧であります(笑)。
そのすこしづつも、なかなか順調には進めさせてはもらえません(泣)。
本日は青森まで出張であります。
さてさて頑張るぞ、っと。

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