写真は、北海道開拓の村で撮影した石炭ストーブです。
いまや暖房といえば、セントラルヒーティングかオール電化。
地中熱ヒートポンプ、さらには無暖房の実現まで
北方住宅の性能向上の努力は刮目の領域ですが、
ほんの40~50年前までは、
こういうストーブだったんです。
アメリカから北海道開拓の基本的な考え方を導入した頃、
初めて日本にこういうストーブというものが持ち込まれた。
欧米社会では、石炭というエネルギー源が発掘・産業化されており、
暖房熱源が豊富に提供されていました。
それはそのまま、産業用のエネルギーにもなっていた。
かれら社会のシステムを支える基本エネルギーが石炭だった。
そういうことから、日本でも国を挙げて石炭発掘に全力を挙げ、
北海道の夕張を中心とする石炭産業が勃興しはじめた。
当初は黒いダイヤ、といわれ、まさに全産業を支える存在だったのですね。
わたしが3才まで過ごしていたわが家は、
空知地方の産炭地に隣接した地域だったのですが、
流れている川の河原には、石炭が流れてきていて、
そういう石炭を拾い集めてくれば、買う必要がなかったということでした。
まぁ、のどかな時代の話ですね(笑)。
そんなふうに入手できるものだから、
北海道の人の冬場の石炭消費は、相当に豪快だったと言えるかも知れません。
写真のようなストーブに、左側にある石炭箱から
石炭を「くべて」、ガンガン、鋳物製などのストーブ本体が
真っ赤に変色するくらいに、盛大にエネルギー消費するのが一般的。
その後、札幌での都市生活に移転したわけですが、
生活文化的には、エネルギー多消費というのが、
寒冷地では当然である、という考えが強かったと言えますね。
いま、こうして石炭ストーブを眺めていたら、
こういう時代も、また一瞬にすぎない歴史のなかのワンシーンだったのだ、
というような思いが強く起こってきますね。
もちろん、これからの時代はエネルギー消費を押さえる方向に進むべきであるのは当然ですが、
しかし、この石炭ストーブを囲んで、
冬の寒さをともに過ごす隣人たちや、
家族全員で、燃える炎の力強さに勇気づけられて
乗り越えてきた、というのも事実だったのです。
そういう北国らしい、おおらかな人間関係を育む側面もあったと思います。
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