さて、きのうの番屋の続編です。
写真は出稼ぎ労働者のヤン衆の寝床と食卓。
わたし、結構、このヤン衆のための空間が好きです。
見学に来られる方たちは、よく「タコ部屋みたい」という感想を述べられるのですが、
右側写真の「寝所」だけをみればそうかもしれません。
しかし、この畳分だけ、人数がびっしりそろえば確かにすし詰めですが、
いつもそうとは限らなかっただろうし、
第一、この究極的な寸法感覚がいいと思うのです。
日本の建築の規格である、畳の広さというのが、
たいへん合理的な寸法であるということを、教えてくれる気がするのです。
ヤン衆のひとたちは、行李(竹や柳で網かご状に組んだ物入れ)ひとつに
身の回り品を入れて担いでこの番屋に来て、
写真右の窓下側にある収納部分に行李を入れて、
支給された布団や寝具に身を横たえて休んだ。
「頭寒足熱」的な建築的な配置になっているので、健康にもよさげです。
朝になったら、外にある厠で用を済ませたあと、洗面し、
寝所スペースと、通路土間の反対側の大きな板敷きの囲炉裏付きの広間で、
ごらんのような据え膳で、腹一杯、米の飯と食事を楽しんだ。
動物性の栄養は目の前で取れた新鮮なさかなを、
串焼きなどで遠赤外線的にあぶって、おいしく食べられた。
食事の給仕は、飯炊き女たちがこまめに用足ししてくれた。
大人数の食事を大量に料理するわけで、一般的にはおいしく料理できます。
東横インの朝食よりは(笑)、はるかに豊かな食卓風景。
そういう日常的なことに想像力を働かせてみると、
農家の2男、3男にとって、こういう暮らしは、働いても自分の身になるわけでもない、
やがては家を出て行くことを宿命づけられていただろう、自家での労働の日々よりは、
かなり魅力的だったのではないか?
なにより、現金の収入も得られたのも大きいと思う。
場合によっては、飯炊きの娘とのロマンスのようなことだって、
夢見ることが出来たかも知れない(笑)。
さて、寝所スペースですが、
本当に「立って半畳、寝て1畳」とは、良く表現したものと思います。
布団を敷いて、ぴったり1畳で、用が足りるギリギリが
「個人用スペース」なんですね。
しかし、この番屋での暮らしの場合は、そのほかに
生存のためのくつろぎの食事スペースも開放的に用意されていたのです。
そういう意味で、確かにプライバシーは究極的にないわけですが、
案外、居心地という意味では、いい環境とも言えるのです。
みなさん、どう感じられますか?
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