先日のラスコー展、その余韻はしばらくは知的興奮として、
ながくカラダに刻み込まれて沈殿していくのでしょう。
そういうプロセスもまた、「肉体化」のプロセスとして楽しんでいきたいと思います。
クロマニョンの人々のことをインスピレーションのレベルで受け止めることで、
人間の居住環境を考えるということに
大きな気付きが得られ、ひとつの判断基準ができると思うのです。
ラスコー展を見終わった後、展覧会の展示をダイジェストした
図録を買い求め、いまも繰り返し反芻しながら読み続けています。
そんな余韻のなかで、会場の東北歴史博物館に併設されている
「今野家住宅」を久しぶりに再訪しておりました。
この建物は石巻市北上町、多くの子どもたちが東日本大震災の時に
津浪被害で命を失った大川小学校の近くに建っていた。
母屋は1769年の創建ということなので、築210年ほどの古民家。
宮城県の有形文化財に指定され、この地に移築されたもの。
万年単位の考古のクロマニョンと比べたら、
その建てように示される息づかいはわれわれ現代人として理解しやすい。
ムラの「肝煎り」を務めていたということですから、
自治的行政の中心的存在であった家です。
仙台藩は、表高は62万石とされていますが、どう考えても過小認定。
江戸市中で消費された米は、ほぼ仙台潘からの移入に頼っていたとされる。
貞山堀などに見られる活発な荷の移動交通手段確保の様子など、
伊達藩というのは江戸の中央権力と深く結びついて
江戸期を通じてかなり安定的な農業経営を営んでいたと推定されます。
他地域では頻繁にこうした「肝煎り」や庄屋などの階層が
打ち壊しなどの被害に遭っていますが、
伊達藩領では、そう多くはなかったとされている。
そんな住宅ですが、建坪が72坪という大型建築。写真は土間の様子。
目に飛び込んでくるのは曲がりの柱を上手に組み合わせた壁造作。
ユーモラスなお面が装飾されていて、面白い。
調理のスペースの床には、水仕舞いも考えて竹が敷き込まれていて、
曲がりの柱といい、それぞれサイズにムラのある材をあるがままに生かして
自然に添って建築を考えている様子がうかがえて、まことになごむ。
構造から仕上げまで融通無碍に、材のあるがままを活かして使う姿勢。
どうもこういうことが、いごこちというものに大きく関係しているのではないか、
いつも古民家を見ていて、気付かされることです。