さて本日からお盆休暇であります。
ここんところ、やや疲れが溜まっているのか、
いくら寝ても寝たりません(笑)。
たくさん本を買い込んでいるのですが、
休暇中にどれだけ読破できるか、はなはな不安。
横になるとすぐに睡魔が襲ってきて、読書がサッパリ進まないのです。
ということですが、
先日のいわきの取材の帰りに脚を伸ばして
水戸偕楽園を見学して参りました。
いわきからは常磐道を南下すること約100kmなのでごく短時間。
前から一度は見ておきたいと思っていたのですが、
なにせ「梅の名所」という知名度が高いので、どうも他の季節に行くと
損なような感じがして、やや縁遠く感じてもおりました。
意を決して(オーバー)見に行った次第ですが、
さすがに素晴らしかったのです。
偕楽園という大名庭園だと思い込んでいたのですが、
ほかのたとえば岡山・後楽園のような人工庭園のような感じではない。
自然の起伏や景観を生かしながら、庭園にしている。
そういうことなので、この数寄屋建築・好文亭の意味合いが非常に高い。
案内書き。
『好文亭』という名前は,中国の故事「文を好めば則ち梅開き,学を廃すれば則ち梅開かず」により,梅の異名を「好文木」(こうぶんぼく)といったことから,命名されたという。
水戸藩の第9代藩主・徳川斉昭公により,偕楽園内に詩歌の会や茶会などを催すために建てられた。1945年の水戸空襲により焼失ししたが,1955年から3年かけて復元された。
造り
2層3階の好文亭と北につながる奥御殿からなる。一般に全体を総称して好文亭と呼ばれる。
派手さのない質素な,質実さと優雅さが調和した建築です。
尊皇攘夷思想の本家のように言われた
水戸斉昭さんが、ひろく民衆と意見を交わらせるための交流の場とした、
っていうようにいわれています。

ちょうど、水戸斉昭さん没後170年と言うことで
入園料・入館料ともに無料になっておりまして、
そのうえ、殿様が民と親しんだという写真の東塗縁広間(ひがしぬりえんひろま)では
ふるまいの茶も行われておりまして、
ありがたく楽しく、頂戴して参りました。
なんでもこの水戸では、石洲流という武家の茶道のみなさんが多く、
ありがたくも、亭主のような方からいろいろお教えいただきました。
おいしいお菓子と冷茶をみなさんといっしょに楽しませていただいた次第。
作法とかはまったく知らないのですが、
でも、茶って、たいへん楽しいものであることは感じられます。
いろいろ質問していたら、実にご親切にご教授いただけました。

茶室の床柱には
屋久島に自生するツツジが使われているのだそうです。
茶って、信長や秀吉の頃にその文化的成長期があったなかでは
海を渡ってくる舶来の事物・情報が交わされたように聞きます。
ここでは、鎖国の時代の茶室ですが、
可能な限りの「世界性」をそこに見いだそうと考えたのでしょうか?
いっぱい写真は撮ったので、明日も紹介いたします。
ここんところ、やや疲れが溜まっているのか、
いくら寝ても寝たりません(笑)。
たくさん本を買い込んでいるのですが、
休暇中にどれだけ読破できるか、はなはな不安。
横になるとすぐに睡魔が襲ってきて、読書がサッパリ進まないのです。
ということですが、
先日のいわきの取材の帰りに脚を伸ばして
水戸偕楽園を見学して参りました。
いわきからは常磐道を南下すること約100kmなのでごく短時間。
前から一度は見ておきたいと思っていたのですが、
なにせ「梅の名所」という知名度が高いので、どうも他の季節に行くと
損なような感じがして、やや縁遠く感じてもおりました。
意を決して(オーバー)見に行った次第ですが、
さすがに素晴らしかったのです。
偕楽園という大名庭園だと思い込んでいたのですが、
ほかのたとえば岡山・後楽園のような人工庭園のような感じではない。
自然の起伏や景観を生かしながら、庭園にしている。
そういうことなので、この数寄屋建築・好文亭の意味合いが非常に高い。
案内書き。
『好文亭』という名前は,中国の故事「文を好めば則ち梅開き,学を廃すれば則ち梅開かず」により,梅の異名を「好文木」(こうぶんぼく)といったことから,命名されたという。
水戸藩の第9代藩主・徳川斉昭公により,偕楽園内に詩歌の会や茶会などを催すために建てられた。1945年の水戸空襲により焼失ししたが,1955年から3年かけて復元された。
造り
2層3階の好文亭と北につながる奥御殿からなる。一般に全体を総称して好文亭と呼ばれる。
派手さのない質素な,質実さと優雅さが調和した建築です。
尊皇攘夷思想の本家のように言われた
水戸斉昭さんが、ひろく民衆と意見を交わらせるための交流の場とした、
っていうようにいわれています。

ちょうど、水戸斉昭さん没後170年と言うことで
入園料・入館料ともに無料になっておりまして、
そのうえ、殿様が民と親しんだという写真の東塗縁広間(ひがしぬりえんひろま)では
ふるまいの茶も行われておりまして、
ありがたく楽しく、頂戴して参りました。
なんでもこの水戸では、石洲流という武家の茶道のみなさんが多く、
ありがたくも、亭主のような方からいろいろお教えいただきました。
おいしいお菓子と冷茶をみなさんといっしょに楽しませていただいた次第。
作法とかはまったく知らないのですが、
でも、茶って、たいへん楽しいものであることは感じられます。
いろいろ質問していたら、実にご親切にご教授いただけました。

茶室の床柱には
屋久島に自生するツツジが使われているのだそうです。
茶って、信長や秀吉の頃にその文化的成長期があったなかでは
海を渡ってくる舶来の事物・情報が交わされたように聞きます。
ここでは、鎖国の時代の茶室ですが、
可能な限りの「世界性」をそこに見いだそうと考えたのでしょうか?
いっぱい写真は撮ったので、明日も紹介いたします。