最近、とくに強く思うようになってきたのですが、
現代建てられているような住宅って、
いかにこれまでの時代の住居と隔絶があるか、ということ。
やはり、近代的合理主義というか、
西欧近代文明の及ぼした到達点というか、すごいものだと思ってしまうのです。
洞窟住居や竪穴住居の昔から、
人間が居住すると言うことについては
いろいろに工夫され、知恵が凝らされてきたものと思いますが、
それでもつい百年くらい前までは、
その進歩のスピードというのは、比較にならないくらいゆったりしたものだった。
江戸のころの庶民の賃貸住宅は、独り者の場合、約8畳程度。
もちろんトイレもなく、水道もなく、電気もなく、なにもない。
そういった生活インフラは、長屋共同の施設として
共同生活を余儀なくされていた。
江戸の街で一軒家を構えられるなんて言うのは、
相当にレアなことがらだった。明治から戦前までそう大きくは違いがなかった。
そういうほんの少し前までの人間の住宅体験からすると
今日の「快適性進化」はまさに驚異的だと思う。
ちょっと前までは、王侯貴族も想像すらできなかったような暮らし方を
わたしたちは一般庶民に至るまで享受している。
写真は取材の時のワンシーンですが、
寝室からこんなにも開放的な眺望を得られるような暮らしが
当たり前のように実現している。
まぁ、その結果、資源やエネルギーの大量消費がともなっている。
そういうインフラ的な部分の維持すら、すごい高コストになっている。
こういう西欧近代の快適性優先の考えが、
いま、広く世界全体に資本主義の拡大という形で広がっている。
中国などでも、不動産・住宅への投資がレベルアップして行っているそうです。
ただ、こういう進歩の方向性の真ん中には
社会や家庭の共同性よりも、個人の欲求の方に大きく着目する文化性があったと思う。
個人の欲求拡大って、さてこのまま進展し続けていくものかどうか、
そのあたりが、わたしには少しわからなくなっている部分があります。
こういう方向だけが、幸せなのかどうか、
どうもわからなくなってきている気がしているのです。
ちょっと、変な考えでしょうか、ね?
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