先日行ってきたアルテピアッツァでの展示作品。
これは確か、白っぽいコンクリート製の作品だと思うのですが、
作者である彫刻家・安田侃さんの了解を取って(だろうと思うのですが)
このように被覆されていました。
一種の冬囲いというように考えれば、
全国にある「大名庭園」の樹木の雪囲い風景とダブって
これはこれで、面白みが発生するのではないかと思いました。
北海道では、冬場の気象条件が厳しすぎて
素地のままの状態では、劣化は避けられない。
野外に設置するのが趣旨の作品であれば、このようなことについて
相当議論された上で、このように被覆しているものと思います。
そう考えてみると、きっちりと作品にピッタリの被覆材がしつらえられていて
好感ももてるものと思います。
芸術作品においておや、であります。
やはり寒冷地住宅(建築)ではコンクリート素地表しは難しい。
どうしても素地表しにしたいと考えれば、
この作品のように冬期の被覆材を考えるべきだと思います。
やや違いがありますが、
明治期くらいの建築とおぼしき余市の漁家では、
漆喰壁の蔵に、冬期だけ被覆させる木造壁を工夫していました。
わたしから見ると、あの建築は日本伝統の建築が
北海道において生きていくために工夫した最良のデザインであったと思っています。
明治においておや、であります。
意匠性を優先させるのであれば、
このような延命装置を同時に考案すべきだと考えるのです。
そうではなく、「やりたいことをやる」という幼児的な発想を
そのまま認めることは、間違いではないのでしょうか。
設計として、一番基本になる「土地を読む」という意味で
その土地で、住宅建築を考えてはいけないのではないかと思うのですね。
環境に対する態度、というように敷延して考えれば
こういう事はきわめて大きな問題だと思っています。
こうした基本的な態度が通用しないひとも、残念ですが多いのも現実です。
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