さて、あちこち出没していますが、
東京にも行っておりました。
写真は先日来、気になっていた江戸情緒を残す地域の景観のひとつ。
江戸は江東区深川付近から、永代通りを永代橋方面への道すがら、
途中に、隅田川からの運河水路があります。
名前を確認すると、「大島川西支川」というのだそうです。
隅田川から、大横川という運河が導かれており、
これは、さらにそれから枝分かれしているものだそうですが、
立地的には隅田川からもすぐ近くにあって、
利便性では相当にいい立地と見受けました。
あ、立地的な判断基準は、水運関連事業者としてという意味合いですね。
江戸という街、というか、近世までの大都会は必ず水運の便というものが
まず経済発展の第1義的なポイント。
秀吉が武蔵の国の海浜地帯であった江戸の立地に着目して
家康に対して、関東経営の中心地に推奨したのは、
まさに経済の天才、秀吉ならではの慧眼だったのでしょう。
簡単な土木工事で、縦横に運河水路を開くことが容易で
物流の基本であった水運が発展可能であると見えたのでしょう。
その基本が隅田川であり、
童謡にも謳われるような、活発な水運産業の活況を生み出した。
で、この大島川西支川では、そうした産業従事者が
ひとつの集落を形成していたようなのですね。
たぶん、戦前くらいまでは、ほとんど船の上で暮らすのが基本の
「水上生活者」だったのではないかと推測できます。
それがすこしづつ、陸の家の部分が増えていった。
でも、それは最低限の生活装置であり、
水上と陸上の両生的な生き方だったに違いないと思います。
現在残っているのは、300m弱ほどの水路左右に張り付くような住宅群。
ちょうど、トラックを駐車させるように船を係留させて
そのごく近くに住宅が密集的に配置されています。
密集ぶりはかなりで、京都の町家並みの間隔のなさであります。
きっと現在では「既存不適格建築」ばかりであり、
建て替えるに際しては、新築はできないので、
増改築に次ぐ増改築だったに違いありません。
しかし、今日になってみれば、まさにこうした暮らしと生き様が一体となった
人間痕跡とでも言えるような住居は貴重な存在だと思います。
現代の住宅は、近世までの経済と一体となった住居から、
そういう生活感痕跡を消したような、つるっとした住宅になっている。
まぁ、多くの人間が「会社人間」になって、
背広とネクタイで「出勤する」生活になってしまえば、
「どこに、どう住む」という部分は弱まってこざるを得ない。
以前は、やむにやまれず、そこに張り付いての生活だったものが、
どこに住んでも別にいい、労働の場所までの時間的距離さえ受け入れ可能ならば、
っていうように、土地と生活が切り離されてきたのが現代社会だったのですね。
逆に、この写真のような生活ぶりから、
現代住居の異常さの方に思いが至ってしまうのは、おかしいでしょうか?
ちょっと気になって、ファインダーにいろいろ、
見えやすい生活ぶりを収めてみたくなってしまった次第です。
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