三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

古い街並みのなかでー1

2006年10月24日 06時28分29秒 | Weblog
先日の「東北住宅大賞」で候補作としてノミネートされた住宅。
大変興味を覚えたので、取材に訪れました。
というのは、東北の古い街並みのなかに、あえてそこでの暮らしを継続させようという、
建築家としての強いメッセージ性を感じたからなのです。
建築された街は、福島県の白河市。
古くから要衝の地として知られたこの街は、
であるだけに、古くからの城下町としての街割りがされています。
いわゆる「町家」としての土地割りになっています。
間口が狭く、奥行きが長いという典型的な日本の前近代的な街割り、都市計画。
前近代的な、と書きましたが、これは現代の側からの専横な物言いであるかも知れません。
正しく言えば、現代生活の快適装置、車社会から考えて、
それには適してはいない居住形態、歩いて暮らすのに適した街割り、
とでも言った方がいいかもしれません。
こうした街では、道路がそう広くはなく、また、しばしば戦争への備えから、
曲がりくねらされていて、不定形になっている。
そこに多くの居住を可能にするために、敷地利用は細長くなるのですね。
結果として、隣家同士が軒を接して建てられたり、
場合によっては壁を共有したりしている場合が多い。
現代生活では、車での移動への利便が保証されるような
そういう街割り計画が当たり前のようになっています。
間口は大きくなり、奥行きはそう必要とはされなくなった。
その分、交通に必要な前面道路の道幅は大きくなる必要があって、
そういうことを前提に考えていけば、アメリカの郊外住宅地のような
広大な敷地と、ゆったりとした前面道路、という都市計画が
もっとも、現代生活に適した街割りだ、ということになっていく。
このことは、どうも、わたしたち現代人のなかに、
ベーシックな部分で、いまや、刷り込まれたような前提条件になってきている気がします。

しかし、一方で、古くからの伝統であるとか、
地域らしさ、というような部分で、その土地らしい、そこに暮らすのに似合う、
というような価値観を考えるとき、
現実に存在するこうした街割りのなかでの暮らし方、
家の建てられようについて、しっかりした考え方は、
私たちはまだ、持っていないのではないかと思います。
この家の施主さんも、古くからあるこの敷地のなかの家の新築を考えたとき、
当然のように、引っ越しして新しい土地に住むと言うことを
まず、考えたんだそうなんですね・・・。

って、長くなりそうなので、この稿、明日に引き続きたいと思います。
コメント
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