映画に舞台にTV…竜也くんも妻夫木くんに負けじと情報が上がっているぞ~
まずは映画「カメレオン」の記事
坂本監督の竜也くんに関するコメントが素晴らしい…
「いろんな要素を含んだ毒気のある自由に興味を持った。扱ったことのないテイストで新鮮。30年前の若者の物言いを借りて、現実とは遊離したファンタジーの面白みを出したい」。さらに「この作品に適している俳優は、現代にしばられない人であること。そのスター性を藤原に感じるが、まだ無自覚なところがおもしろい。僕らがそれを見つけてやりたい」
やっぱり竜也くんには、独特のものがある。素材として扱いにくさも、扱ってみたい魅力もある。まるで荒馬のように、乗りこなしてみろって感じかな。本人無自覚というのは三谷さんも同様なことを言っていたな。そこが生まれながらにしてというところなのかもしれない。こういうことって、果たして気づいた方がいいのかなあ。私は、気づかないからこそ面白いと思うけど。
お次は、身毒丸共演者さんのブログ
「今回の身毒丸、再演というよりは、何かもっとすごい化け物が生れそうな予感がします」だって。待ってましたよ、こういう言葉。舞台役者に年齢は関係ないのよ。経験を重ねるほど、深みが出るもの。来月が楽しみだわ~
最後はTV情報
何やら「東京大空襲」とかいうスペシャルドラマに出る模様。ちょっとホリプロがらみっぽいから「赤い疑惑」のようにならないでほしいけど、久々のドラマ出演は嬉しい。
もう一つ、これは公式に上がっていたが、フジTVの「ボクらの時代」という番組で中村勘太郎さん、高橋大輔さんの3人で対談したそうだ。勘太郎さんとは仲良しだけど、そこにフィギアの大ちゃんが入るなんて面白そう。30分番組らしいが1時間くらい見たいなあ。
NODA MAP第13回公演
「キル」
作・演出:野田秀樹
出演:妻夫木聡、広末涼子、勝村政信他
シアターコクーン
キル→切る→KILL→着る→い・きる
制服→征服
野田さん特有の言葉遊びのオンパレード
モンゴルの蒼き狼、チンギスハーンの物語にファッション業界がリンクしながら親子3代にわたる父と息子の葛藤が描かれる。言葉の中にいろいろな意味が含まれていて頭の中がこんがらがった。
この作品、野田さんが夢の遊民社を解散して初めての戯曲だそうだ。NODA MAPの原点がてんこもりで、八百屋舞台、大きな布、小道具に変身する椅子…、野田作品で目にするものが総動員だ。「着ることは生きることだ」というセリフに反して、最近の野田さんは無駄なものを脱ぎ捨てていっているのかなあという気がした。去年の「ロープ」や「BEE」に比べると、キルは明るく躍動感があって若々しい。演劇界の大御所になった野田さんが今、何故原点にもどり3回目の再演に踏み切ったのか興味深いところだ。
初舞台の妻夫木くん、なかなか良かった。
なんか癖がなくて誰にでも受け入れられる魅力がある。好感度の高さがうなずける。TVにも映画にも舞台にも適応できる柔軟性というか素直さがあるんだよな。竜也くんとは好対照かもしれない。ホリプロの2枚看板だもんね。いいライバルだね。
広末涼子ちゃん、ついこの間までアイドルだったのに、いまや一児の母なのよね。彼女の生き方もなかなか攻撃的でチャレンジャーだ。努力しているし賢さが窺える。何気に割れた腹筋とナイスプロポーションにドキッとした。動きもシャープでかっこよかったし舞台女優してもこれから活躍しそうだ。
そして、我らが勝村さん。前回が古田新太さんが強烈に演じた役を、自分の味を出して熱演していた。同じ役でも、こんなに違った見せ方ができるなんてさすがだ。役者さんの創造力って計り知れない。
さて、先日、同僚に録画してもらった堤真一バージョンをもう一度じっくり観てみよう。はたして、こんがらがった頭はほどけるかな…。
走ることについて語るときに僕の語ること村上 春樹文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
さいげいの「千の目」の対談で、蜷川さんが竜也くんに「読んだらいいよ」と薦めていた本だ。別に私が薦められたわけじゃないけど、面白そうだから読んでみた。
村上春樹さんと村上龍さん、名前が似ていて自分の中でなんとなくセットで出てくるのだけど実のところ作風もタイプも全然違う。龍さんが華々しくマスコミなどに登場しているのに反して、春樹さんは表に出てこない。私にとって春樹さんのイメージは地味なのだ。そのイメージがこの本を読んでみて、納得できた。作家人生の始まりとともに、彼は黙々と走り始めアスリートな人生を送っていたのだ。
ジムにも同様にマラソンにハマっている人たちがいる。時々、「走りましょうよ」と声をかけていただくが、私には踏み込む自信がない。高血圧症と不整脈もトラウマになっている。某フルマラソン完走Tシャツを着ている人に「すごいですね」と言うと、笑いながらも「もう大変だった」「途中で低血糖になった」などという苦労話がかえってくる。ゴールでは「これで走らないですむんだ」しか思わないという。だけど、翌日になると彼らはもう次を目指しているのだ。100キロマラソンを何度か走っている女の子が先日75キロでリタイアしちゃったと残念そうに言っていた。彼女にとっては悔しいことなのだろうが、はたから見れば75キロまで到達できること自体、誇れることだと思う。
人間って追い込まれれば追い込まれるほど、力を発揮して強くなっていくものなのだ。春樹さんも大変な思いをしてレースに出ているが、日々の練習ペースを決して崩そうとしない。フルマラソン、100キロマラソン、トライアスロン…じわじわと自分のハードルを上げ続ける。アスリートはストイックなのだ。自分の体をいじめ続けると、体もそれに反応して体質や体型さえ変わってくるものだ。でもそこまで到達するには日々、練習を積み上げていくしかない。敢えて、厳しい道を選ぶことで精神的にも開けてくる。肉体と精神のバランスって大切なのだ。
ふと我を振り返ってみる。初めてエアロビクスをやった20歳のころは週1本でも大変だった。週3本くらいやるのがベストと言われたがそんなの無理とやめてしまった。でも“年”を実感して再開してみたら、週3本どころか7,8本も出来るようになった。わずかながら、筋力や体力もついてきたのがわかり、もっと上級クラスへと強度を上げた。だけど、それ以上進めていない。「楽しければいいやっ」と時に自分に甘くなる。今は、とりあえず、続けることしか目標にしていない。
こんな私の甘い精神構造では、とてもアスリートにはなれない。だけどこの本を読んで、出来ると思った時は妥協しないでやってみなければと気が引き締まった。中途半端で迷っていると疲れが出たりやる気が失せたりするものだ。私に必要なのは思いきりだ。
“人は誰であれ、永遠に勝ち続けるわけにはいかない。人生というハイウェイでは追い越し車線をひたすら走り続けることはできない。しかし、それとは別に同じ失敗を何度もくりかえすことはしたくない。ひとつの失敗から何かを学びとって、次の機会にその教訓を活かしたい。少なくともそういう生き方を続けることが能力的に許されるあいだは。”
ピュアな感性があるからこそ素敵な小説が生み出せる。そんな春樹さんは、最高にかっこいい!
まだまだそんなに積もってないからと気を抜いて歩いていたら、駅のスロープで思いっきりこけた…
まさかっ、まさかっ、こんなところですべろうとは…。
瞬間、「きゃあああ~すべった~!」と無意識に叫んでいる自分がいた。あせって立とうとしたけど、ちょうどリュックを背負ったいたから亀の裏返し状態でこれまた、なかなか起きられないんだわさ。
手すりにつかまってやっとこさ起き上がりながら、大声で「よっこらしょっ!」と気合を入れていた。
しばらく、恥ずかしさで頭の中もとっちらかっていた。何気に駅員さんが見に来たから何事もなかったような顔をしてそそくさと停車中の電車に乗り込んだ。
でもさ、もし、リュックがなかったら思いっきり後頭部を打っていたかもしれない。リュックに救われたよ。どこかを強打した覚えもないし、時間が経過しても痛くなるところもなかった。なんか後から思うと守られたって気がしてきた。守護霊様か神様に…。
自分の元気さを確認するためにエアロ2本やっちまった。ガンガン走れたから確実に大丈夫だわと妙な安堵感…。でも疲れたよ。
明日の朝も寒そうだ。どこで転ぶかわからないから気をつけなくっちゃ。
原作:ウィリアム・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
出演:平幹二朗、内山理名、とよた真帆、銀粉蝶 他
さいたま芸術劇場
雪が降るとか、降らないとか言っているからさぞかしさいたまは寒いだろうと着込んで出かけたらそれほどでもなかった。6時開演なのに、途中、品川でのんびりしてしまったら開演ギリギリになってしまったので与野本町から猛ダッシュ!息を切らせて席についたのでなおさら暑かった。
「ふう~」とここで深呼吸…。 今日の客層は年配者や男性が多くて落ち着いていてなんとなく静かだった。ドラの音と共にリア王初日の幕が開く。 リア王は中学の英語や国語の教科書にのっていた気がする。老王と3人娘の話で末娘が「いいこ」っていうことくらいしか記憶にない。ところがそんな単純なお話ではなかったのね。ドロドロした感情が渦巻く人間ドラマだった。
崩壊するリア親子に対峙して再生するグロスター親子の描かれ方が印象的だ。 結局、リアも己の老後の面倒を見てもらいたかったのだし、娘たちは財産が欲しかった。末娘も父の心情を察知して思いやることができなかったのだし、みんなお互い様だ。客観的に見れば、わかることなのに皆、自分がかわいいから、私利私欲に走り大切なものが見えなくなってしまう。今の世の中でもよくあることだ。となりに座っていた年配のおばさま達がいちいち「はあ、そうよねえ」と共感の言葉をつぶやくのがうるさくもあり楽しくもあった。
何気に重要な役どころのグロスター親子役で、吉田鋼太郎様と高橋洋さんの蜷川黄金コンビが、がっちりと脇を固める。狂気を演じる、エドガーが語る言葉にドキッとさせられた。
『運命に見放され、どん底まで落ち切れば残るのはそこから這い上がる希望だけ、不安の種は何もない。
人生の悲哀は絶頂からの転落にある。
最悪の状況から帰るところは笑いしかない。』
エドガーは罠にはめられ、転落し、それでもあがきながら生き続け、リアの遺志を継ぐ人間になっていく。
『この悲しい時代の重荷は、我々が背負っていかなくてはならない。
言うべきことではなく感じたままを語り合おう。
最も年老いた方が最も苦しみに耐えられた。
若い我々にはこれほど多くを見ることもなく、これほど長く生きられもしない。』
そうよね、お年寄りは私たちが知らない時代をくぐりぬけてきているのよね。お年寄りを蔑にしちゃいけない。高齢化社会の日本が今、まさに考えなくてはいけないことだ。深いなあ、シェイクスピア。
でも不思議なほど、この物語には母親が出てこないんだよね。保育士のはしくれとして子が育つには母性は大切なものだと思うけど、すべてが父子の関係。父の性格や姿が子に投影される。やっぱこの時代、女は子を産む道具としか見られてなかったのかなあ。シェイクスピアは何故母を描こうをしないのか気になった。
そんなことはさておき、平幹二朗さんの熱演には涙が出る。老いというテーマが説得力ある芝居で重くのしかかってくる。会場が息を飲んでいた。蜷川さんと平さんは同士なんだね。演出や言葉だけでは通じない何かがこの二人には通じている。命をかけているってこういうことなんだ。これからどんな深いリア王に進化していくのだろう。
意地悪なお姉さま方、銀粉蝶さんととよた真帆さんも平さんに負けじと好演しておられた。内山理名ちゃん、こんなすごい作品で初舞台が踏めた幸せを忘れないで欲しい。
さて、興奮さめやらぬ中、深夜帰宅して、ネットめぐりをしていたら…、なんと竜也くん目撃情報がっ!身毒丸の稽古も始まっているし、もしやとは思っていたんだけど、なにせ遅刻寸前で後方席にすべりこんだからきょきょろする間がなかった。蜷川さんはいつもの場所にいたんだけどね。 デスノートスタッフさんのブログにファンには嬉しい記述がある。全く同感だわ、妄想だとしても。50年後竜也くんがリア王になるころ、世界はどうなっているんだろう。
シェイクスピア全集 (5) リア王 W. シェイクスピア,William Shakespeare,松岡 和子 筑摩書房 このアイテムの詳細を見る |
竜也くんの新作映画、カメレオンの公式ページができた。
夏公開の映画をこの寒い冬に撮ったのね。
特報の動画、なかなか70年代してるじゃん。なるほど、松田優作の世界っていうのがわかるよ。“Long Goodbye”というのも70年代を知っている私らにとってはいかにも…っていう感じ。ちょっとキザでダサダサなんだよね。私は横浜を舞台にした草刈正雄さんのプロハンターというドラマが結構好きだった。ショーケンの傷だらけの天使とかに似たテイストで男くささがあるドラマ。共演の藤竜也さんは横浜に住んでいらして、当時、駅界隈によく出没していた。先輩が、駅ビルのエスカレーターで見かけて、後をつけていったら、「何か?」としっぶ~い声で聞かれたって大騒ぎしていた。あの頃の藤竜也さんはかっこよかったのよねえ。
はたして、今の若者に70年代が受けるのかしらね。竜也くん(藤原の方ね)の中には確かに骨太で泥臭い部分があるけど、あの頃の役者さんからみればきれいだし、線が細い。坂本監督は藤原竜也を活かしきれるのかな。この映画ができるのは竜也君しかいないって思った部分を見せてほしいな。
なんだかんだといいながら、センター試験が始まる頃には寒くなる。このところ本格的な冬は年明けから始まるパターンが続いている。昨日、今日はかなり冷え込み、日中でも底冷えがした。保育園のストーブも動きっぱなしだった。
私の防寒対策もついにマックス状態。スパッツ2枚にカイロ3個!ちょっと用心しすぎたかな?さすがに動いたら暑かった。カイロもメーカーや値段によって微妙に温かさが違う。それらをうまく組み合わせて調整する技?を身につけた。ちょっと防寒おたくだな。
でもトライワークに来ていた中学生は、半ジャージで生足だった。さすが若者は違うのね。私だってあの頃は、スカートはいて膝小僧だしていたよな。気がついたら、おばさんになっていた。中学生は、可愛かった。体育会系の子たちで、礼儀正しいししっかりしていた。週末は試合に出るそうだ。それも県央大会だって。青春だなあ…、がんばってね。
この寒空の中、工事中の我が家にも若い職人さんが毎日やってくる。足場がど~んと組まれ、外装の解体工事が始まり、狭いところでコツコツと手作業をしている。大変な仕事だなあ。頭が下がるよ。職人さんのためにも、冬の太陽が少しでも照ってほしいものだ。
昨日、TV朝日で特番をやっていた。あくまでもバラエティーで、演出効果もあると知りながらも、リフォームっていいなあって思わせてくれる。海外番組をぱくったという噂も聞いたことがある。アメリカなんかは、ほとんど建て替えをせずにリフォームを重ねるそうだ。だから築100年なんて家がざらにあるという話をロス在住の友達が言っていた。地震大国の日本とはお国事情がまた異なるのかもしれないけど。
番組では“パッチワークの家”が新築同様に生まれ変わる。見ていて、ほとんど建て替えじゃんと思うほど、基礎から土台から柱から耐震に至るまですべてに手が入る。たぶん、あの家で残した部分の方が少ないだろう。赤ちゃんがいる若夫婦の生活に建築士の細やかな配慮が行き渡っているし、その家族の雰囲気に合った空間作りができるように仕上げられた。完成した家にもどってきた夫婦は思わず感激の涙を見せ、それを見た建築士も涙をぬぐう。最後には感動させられちゃうんだよね。
でも、現実はこうはいかない。悲しいけど、悪質業者なんかも中にはいるしね。運を天に任せて、我が家のリフォーム工事もめでたく着工開始した。ベランダがとっぱわれ、明日から足場が組まれる。日がいいからということで、休日の、それも寒い中、若い職人さんやら親方さんやらがドカドカやってきてお仕事をしてくれた。洗たくものが干せなかったり、台所やお風呂が使えなくなったりなど、しばらく落ち着かない日が続きそうだけど、春がくるころには外装と1階が生まれ変わる予定。楽しみではあるけど、とりあえず今は無事に終わってくれることを祈るばかりだ。
浦和レッズの闘莉王選手の特集番組のナレーションを竜也くんがやっていた。かつてサッカー少年、さいたま出身ということで選ばれたのかな。静かだけどさわやかな語り口が良かった。さすが舞台役者だね。
闘莉王さんは、日系3世のブラジル人で、日本代表選手になるために帰化されているのね。お母様が泣いて反対したとか、いろいろ苦労をされたようだ。見た目、落ち着いているけど、とても心が熱くて前向きな人だ。闘莉王という日本名に敢えて闘うという漢字を入れたそうだ。攻めるサッカーが彼のモットーで、いつも体を張っている。
生き方に加え外見もなかなかかっこいい~。ロン毛に髭にアクセサリーが似合っているし、私服もおしゃれだった。
「プロになりたいと10年前ブラジルからやってきた少年は今、世界を目指そうとしている」
これ、まさに竜也くんとも重なる言葉だわ。さまざまな分野で、大志を抱く若者。世界は身近になった。近い将来、当たり前のように日本人も世界で活躍するようになってほしいね。
ってことで、部屋に引きこもってた。こういう生活していると、どこか自分に後ろめたさを感じるもんだ。蜷川さんが言ってたな。「年寄りは動いてないと寝ちゃうんだ」って。自分に甘くなるって簡単なことなんだよな。
明日は晴れるかな…。