くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

リア王

2008年01月20日 | 観劇
『リア王』
原作:ウィリアム・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
出演:平幹二朗、内山理名、とよた真帆、銀粉蝶 他
さいたま芸術劇場

雪が降るとか、降らないとか言っているからさぞかしさいたまは寒いだろうと着込んで出かけたらそれほどでもなかった。6時開演なのに、途中、品川でのんびりしてしまったら開演ギリギリになってしまったので与野本町から猛ダッシュ!息を切らせて席についたのでなおさら暑かった。

「ふう~」とここで深呼吸…。 今日の客層は年配者や男性が多くて落ち着いていてなんとなく静かだった。ドラの音と共にリア王初日の幕が開く。 リア王は中学の英語や国語の教科書にのっていた気がする。老王と3人娘の話で末娘が「いいこ」っていうことくらいしか記憶にない。ところがそんな単純なお話ではなかったのね。ドロドロした感情が渦巻く人間ドラマだった。

崩壊するリア親子に対峙して再生するグロスター親子の描かれ方が印象的だ。 結局、リアも己の老後の面倒を見てもらいたかったのだし、娘たちは財産が欲しかった。末娘も父の心情を察知して思いやることができなかったのだし、みんなお互い様だ。客観的に見れば、わかることなのに皆、自分がかわいいから、私利私欲に走り大切なものが見えなくなってしまう。今の世の中でもよくあることだ。となりに座っていた年配のおばさま達がいちいち「はあ、そうよねえ」と共感の言葉をつぶやくのがうるさくもあり楽しくもあった。

何気に重要な役どころのグロスター親子役で、吉田鋼太郎様と高橋洋さんの蜷川黄金コンビが、がっちりと脇を固める。狂気を演じる、エドガーが語る言葉にドキッとさせられた。

『運命に見放され、どん底まで落ち切れば残るのはそこから這い上がる希望だけ、不安の種は何もない。
人生の悲哀は絶頂からの転落にある。
最悪の状況から帰るところは笑いしかない。』

エドガーは罠にはめられ、転落し、それでもあがきながら生き続け、リアの遺志を継ぐ人間になっていく。

『この悲しい時代の重荷は、我々が背負っていかなくてはならない。
言うべきことではなく感じたままを語り合おう。
最も年老いた方が最も苦しみに耐えられた。
若い我々にはこれほど多くを見ることもなく、これほど長く生きられもしない。』

そうよね、お年寄りは私たちが知らない時代をくぐりぬけてきているのよね。お年寄りを蔑にしちゃいけない。高齢化社会の日本が今、まさに考えなくてはいけないことだ。深いなあ、シェイクスピア。

でも不思議なほど、この物語には母親が出てこないんだよね。保育士のはしくれとして子が育つには母性は大切なものだと思うけど、すべてが父子の関係。父の性格や姿が子に投影される。やっぱこの時代、女は子を産む道具としか見られてなかったのかなあ。シェイクスピアは何故母を描こうをしないのか気になった。

そんなことはさておき、平幹二朗さんの熱演には涙が出る。老いというテーマが説得力ある芝居で重くのしかかってくる。会場が息を飲んでいた。蜷川さんと平さんは同士なんだね。演出や言葉だけでは通じない何かがこの二人には通じている。命をかけているってこういうことなんだ。これからどんな深いリア王に進化していくのだろう。

意地悪なお姉さま方、銀粉蝶さんととよた真帆さんも平さんに負けじと好演しておられた。内山理名ちゃん、こんなすごい作品で初舞台が踏めた幸せを忘れないで欲しい。

さて、興奮さめやらぬ中、深夜帰宅して、ネットめぐりをしていたら…、なんと竜也くん目撃情報がっ!身毒丸の稽古も始まっているし、もしやとは思っていたんだけど、なにせ遅刻寸前で後方席にすべりこんだからきょきょろする間がなかった。蜷川さんはいつもの場所にいたんだけどね。 デスノートスタッフさんのブログにファンには嬉しい記述がある。全く同感だわ、妄想だとしても。50年後竜也くんがリア王になるころ、世界はどうなっているんだろう。

シェイクスピア全集 (5) リア王
W. シェイクスピア,William Shakespeare,松岡 和子
筑摩書房

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