金曜日は、5歳児のお泊り保育だった。担任が遅番で出勤するまで、乳児クラスと一緒に水遊びをする予定だったが、気温が急降下したため中止になる。そこで、おままごとをして“異年齢交流”をした。2歳児クラスにも半数の5歳児がやってきた。3歳も年上の子がくると、少し圧倒され気味になるが、そこは子ども同士のこと、遊んでもらったり抱っこをしてもらったりしてすぐに打ち解けていた。
担任が出勤してから、カレーの下ごしらえで人参を切ったり、ヨーヨー釣り、すいかわり、的当て等、楽しいイベントが続く。そして、夕食後は恒例のお化け屋敷が待っている~。職員はその準備におおわらわ。お昼寝の時間から少しずつ子どもたちの荷物を移動しながら通路を作り、装飾をつけて保育室を変えていく。お化け制作にはたくさんの職員が関わった。生首、目玉、蛇、蜘蛛…、不気味なものがあれよあれよと出来上がった。なんだか、作る方も楽しくなってくるのよね。
夕食が終わり、お友達と力を合わせて花火券をゲットするために3,4人ずつのグループに分かれて子どもたちがやってきた。今年の年長さんはちょっと幼くて可愛い。どうなることかと心配だったが、予想に反して、みんなたくましい。「花火の券、下さい!」と大きな声を出しながら、手を繋いで進んできた。途中で、お化けに扮した先生が「うお~っ」と登場してもがんばっている。あるグループでは花火券を取って先に逃げてしまった男の子がいた。そうしたら、ちゃんと残り2名の女の子が恐いのに「Kちゃんがいない、Kちゃん~!」と探して一緒に行こうしている。なんて、偉いんじゃ~。そうとは知らず先に行ってしまったKちゃん、廊下でうろうろしてたそうだ。
「今年の子は、強いね。全然、平気だね」なんて、私も含めしかけ係の先生達が暗闇で話していたところ、一人が、「ねえ、4歳の部屋の水が出てる、音、聞こえる?」「ほら、出てるよ~」とパニくっている。子どもたち全員が花火券をもらえて終了したところで電気をつけると、出した覚えがないのに蛇口から水がさらさらと流れていた。この水道は依然からこういうことがよくあるらしいのだ。それが、よりにもよって、お化け屋敷の最中とは、本当のお化けさんも遊びに来ちゃったのかな。子どもと一緒に職員もひやっとした出来ごとだった。
夜も天気があまりよくなかったが、花火の時間になると雨がやんだ。勇気を振り絞って手に入れた花火券、たくさんの花火が出来て子どもたちも大喜びだ。そして…、最後の花火が燃え尽きて部屋に戻ろうとすると、またぽつぽつと雨が降ってきた。なんだか不思議なお泊りの夜だなあ。お家の人と離れ、お友達と一緒にお泊りをする。たった、一晩だけど子どもは成長する。月曜日、どんな顔をしているか楽しみだ。
5年ぶりの2歳児がとても新鮮で、面白い。
2歳から3歳へ…、自我が芽生えてきて自己主張が増える。いやだいやだの“やだもん”達のオンパレード。それがなんか愛おしくてたまらない。気に入ったおもちゃは、たとえお友達が使っていても自分のもの。一度手にしたら、使わなくても抱え込んで返さない。「順番ね、一緒に使おうね」なんてことは通じない。手元にあればいいのだから。
2歳って、最後のモンスター時代だと思うのよね。もうしばらくすると、多少聞きわけが出来てきて、いけないって教えるとわかるようになる。だから…、この時期、たくさんごねて欲しい。ママ達はもちろん、保育士達も訳が分からなくて大変だけど、理屈じゃないのよね。とにかく、反対のことをしたいんだから仕方ない。これこれこうだからダメなのって言ってみる。たとえ言葉で理解できたとしても気持はダメ。それが反抗期というものだ。気がすむまでごねて泣けばいい。虫とか空を見て立ち直るのもいいんじゃないかなあ。時には泣き寝入りしちゃうことだってあるよね。目覚めれば、忘れている。いけないことはいけないって伝えていくけど、毎日が積み重ね。わかる時はきっとくる。
その昔、NHKの「お母さんと一緒」でやっていた「こんな子いるかな」のシリーズが好きだったな。思い起こせば、2歳児を初めて担当し、クラスリーダーになった頃だった。
いやだいやだのや“やだもん”
くいしんぼうの“もぐもぐ”
忘れん坊の“ぽっけ”
いたずらっこの“たずら”
ちらかしやの“ぽいっと”
いるいる、どこのクラスにもこんなキャラがね。特に2歳は“やだもん”だらけ。若い頃は、怒っていたな。わかってくれないと不安になっていた。今は…、どうぞたくさんごねごねしておきなって思う。大切な第一次反抗期だもの、おおいにひっくり返っておくれ~。
♪ドッキドキのアイドル、君がいるから面白い♪
まだまだ、言葉が完全に届かない、愛しき子ども達のために、ペープサートを大量生産したよ。絵を描く体力はないけど、今はネットで画像がダウンロードできるから有難い。動物、キャラクター、乗り物…etc.
絶対、君たちを振りむかせてやる~
疲れた~~~
心をこめて叫びたい。
怒濤の新年度がスタートした。今年は、2歳児担当で、現職場では“初”乳児になる。子どもたちも可愛くて申し分ないのだけど…、諸事情が重なり前年度の担任がほとんど退職してしまったクラスなので、子どもとはもちろんのこと保護者との信頼関係づくりから始めているところだ。いつの間にか、保護者世代よりはるか年上になってしまった。子どもからはおばあちゃんと思われているかも。ご飯を食べさせていたら、「きれいな先生がいい~」って人見知りされた~
保護者の側からすると持ち上がりが少ないってやっぱり不安だよね。保育士としても、持ち上がりは確かにやりやすい面がある。一年間、担当すれば子どもたちにも愛着が湧くし、出来るなら持ち上がりたいなあって思うのが常だ。それが、一年目の子どもたちだったりすると持ちあがり願望が特に強くなる。
かれこれ、20数年前、初めて担当したクラスは3歳児で、1歳から3年間持ちあがった先輩と組んでいた。当時、持ちあがりは3年までという風潮があり先輩から、次は先生が頑張ってねと言われてその気になっていた。がっ、蓋を開けたら、4大卒の新卒と組んだ先輩が4年持ち上がることになった。かなりショックで、最終日、帰りの会が終わった頃、隠れて泣いた。はあ、私にもこんな純な保育士時代があったのよね。それから経験を積み、1歳から4歳まで4年持ち上がりを経験した。この時も、5歳まで見届けたいと思ったし、直前までそんなことを園長から言われていたけど、またまた蓋を開けたら、違うクラスだった。
持ち上がりにこだわったのはここまでかなあ。何故、持上がりたいか。一つには楽さがある。子どもや保護者ともやりやすいし、布団やパジャマ袋だって新しく覚える必要がない。何年も持ちあがると信頼感が強くなり、一声で子どもが動いたりする。それが快感になり、このクラスは自分が動かしているという錯覚が起こる。ある日、はたと気付いた。それは傲慢なことなんだと。子どもは自分がいなくても確実に育っていく。一声で動くということはいつも同じ一面しか出していないことだ。持ちあがりがいないことで今まで出せなかった面を出せる子もいるし、新たな関係も生まれることもある。
要は、最初は居心地が悪いかもしれないけど、たくさんの人と関わることが大切だから、持ちあがりはあまり関係ないのじゃないかって最近は思う。子どもの順応力は早いから、最初は泣いていたとしても、数か月後には笑って楽しく遊んでいるもんだ。だから、心のどこかで絶対大丈夫と思ってはいるものの、若いお母さんたちとの対応にてんやわんやしている。今は、一日一日、積み重ねていくしかない。
一緒に組んでいる担任の中に、新しい派遣保育士がいる。若くて美人な彼女は仕事も出来る。企業立、病院、法人立と3園目になるそうだ。「いろいろな保育園を見てみたかった」と彼女は言う。今の若者は、職場に合わせるのではなく自分にあったところをどんどん探して突き進んでいくのだなあ…。それも、一つの道だ。じっくり根を下ろして行きたいタイプの私は、もう古い世代なんだなあって感じた。
新年度開始から一週間、去年とは違った刺激がたくさんあって結構楽しい。一年後には、皆で子どもの成長を喜べるといいな…。
長~い一週間だった。転職後の“初”運動会が無事に終わった~
結果は大成功!朝早くから午後まで、子どもたちも良くがんばったもんだ。私は3歳児クラス担当だが、3歳児にとって午後まで参加というのはかなりハードなことだ。だけど、日頃、4~5歳児と一緒の活動で引っ張られている分、みんなタフでほとんどぐずらずについてきた。小学校を借りて行うのも初めてだった。前の園は狭い園庭で行っていた。狭いと思い切り走れないしのびのびと踊れない。今回、本当ののびのびさというのが感じられて子どもたちも委縮することなく力を発揮していた。ある程度のスペースの確保って大事なんだなあと当たり前のことながら気付かされた。
それにもまして、驚いたのが保護者のパワーだ。午後は、保護者競技が中心で綱引きとリレーがある。有志を募ったところ、うちのクラスは定員オーバー。加えて、自主練までしているという。せっかくの気持ちを無駄にできないので、他クラスの人数を増やして調整し、希望者全員に走ってもらった。子どもの前で、かっこいいところ、がんばっているところを見せたい親心。若いパパ達の意地らしいほどの“愛”が伝わってくる。みなさん、それなりに鍛えている方が多くて、かっこよかった。
時代は変わったもんだなあってふと思った。昔は、保育園の送り迎えをするお父さんはめずらしい存在だった。でも今は、まるで子育ての主役はお父さんたちの様だ。送り迎えの半数はお父さんで、おんぶもだっこも手慣れている。今の保育園は“イクメンパラダイス”なのだ。
お天気も秋晴れで絶好の運動会日和。全てが運動会に味方してくれていた。
子どもと共に私も小さなひと山を“よっこらしょっ”って超えられた気がする。楽しかった~
いろはにこんぺいとう
こんぺいとうはあまい
あまいはさとう
さとうはしろい
しろいはうさぎ
うさぎははねる
はねるはかえる
かえるはみどり
みどりははっぱ
はっぱはゆれる
ゆれるはじしん
じしんはこわい
こわいはおばけ
おばけはきえる
きえるはでんき
でんきはひかる
ひかるはおやじのはげあたま
こんな言葉遊び、小さい頃よく唱えたよね。地震、雷、火事、おやじ…、昔のおやじは恐かったのよね。
そしておばけ~。見えないものへの畏敬、おばけの世界は幼心を駆り立てる。いなさそうでいそう、暗闇に広がる想像の世界…。
夏と言えば、怪談話を聞いてぞぞぞ~っと寒くなる。キャンプファイヤーで恐い話を聞いて、おばけがこないうちに早く寝てしまえって寝ちゃったよなあ。TVでも最近、心霊VTRの特集番組なんぞが放送されている。恐いんだけど、見ちゃうんだよね。
昔から霊感はない。おばけを見たこともない。だけど、昔住んでいた家のガラス窓に布袋様の顔が振り子時計の振り子になって揺れていたのを何度か見た記憶がある。あれはなんだったんだろう。夢だったのかな?夜の窓にくっきり金色の振り子が揺れる。それだけでなんの恐さもなかったけど。
保育園でお昼寝の時間、突然、水道がぎゅるるる~と鳴った。そしたら、主任が「ここは、いっぱいいるんだよ~」と言いだした。線路があって、お寺があるから霊を呼ぶのだと真顔でいう。若い先生たちは足音を感じたり、子どもが遊んでいるのを見たりしているらしい。そうとは知らず、この間、お泊り保育でお化け屋敷をして盛り上がっていたばかりだ。
新しくて最新設備の建物、おおよそ霊とはかけ離れているようなところにもういるなんて~~??
ほえ~~~~、これからお盆。何気に、恐いやんけ~~~。叔父と叔母のお墓も近いしなあ…。
霊感はないけれど一気に臆病風に吹かれている~~~
近くの動物園に親子遠足に行った。私にとっては親子遠足も動物園も20年ぶりくらいだ。前の園は勤めて早々に、諸々の理由から親子遠足がなくなってしまったからだ。
初夏を感じさせる五月晴れが気持ちいい。若葉がきらめいてその先にランドマークがそびえたつ、そんな都会の景色もいいもんだなあ。遠足シーズンということもあり、動物園は一般客に加え、幼稚園、保育園団体であふれている。広場では花見のように大きなブルーシートやスズランテープで場所取りをしているところもあった。たぶん、常連なのだろう。各園、先生たちのユニフォームも様々でポロシャツ、エプロンとそろえている。私もみんなとおそろいのポロシャツとシャカパンだ。おそろいだと若者と同化できる気がしたわ~
園児のTシャツまでそろえているところもあった。でも、帽子だけはどこも同じような業者のを使っているから色や形が被ってしまうのよね。加えて、顔形が似ている子がいるから「あれ?あの子はうちの園児?」って一瞬わからなかくなってしまったよ。親子さんが一緒だからと安心していたら見学開始早々、2名の迷子が出る。でもすぐに見つかって事なきを得た。
この動物園、私も子どもの頃によく行ったのだが、記憶が薄れるくらい昔のことで懐かしさよりも新鮮さを感じた。でも、ゆっくり動物を見る暇はない。ラリーポイントで子どもたちを待たなくちゃいけないからね。目に入ったのはライオン、トラ、きりんくらいかなあ~。大きなトラが横向きになってお昼寝をしているのがかわいかった。
お友達や家族とお弁当を囲む姿は幸せそのものだ。昨日は、浮かれてテンションが高かった子どもたちも、「家族」という一番信頼出来る人達に囲まれて安心した笑顔を見せていた。人間関係が希薄になっている世の中だから、大人にとってもこういう行事は必要なのかもなあって思った。
昼食後、解散しほっと一息。このまま帰りたい気分だが、午後は保育園に戻り反省会と研修会がみっちりで、頭も疲れた~。フル活動の一日が終わった~。
リトミックは、幼児教育分野では“有名”なリズム遊びのひとつで、保育士ならば誰もが知っている。だけど、案外知っているのは“言葉”だけでその目的や指導方法などの詳細は、現場に入ってしまうとじっくり学ぶ機会がない。私も今まで有名先生の流れをくんだ研修に出て少しばかり聞きかじってきたものを自分なりにアレンジしてやってみる程度だった。テーマを設定して、ピアノを弾いて子どもたちのイメージを引き出す。音楽に合わせて体を動かすことで気持ちが解放されれば良しとしていた。
今の保育園で初めて、斉藤公子さんのリズムを知った。
ただ、音楽に合わせて動いているだけやない。動き方の基本がある。足指を折る、手をつなぐ、両腕で体を支える、走って静止する、回ってバランスをとる…等、それらすべてが大脳生理学に直結しているようで興味深い。これを3歳から行うのだが、5歳になるころにはブリッジや逆立ちが自然に可能になっていく。段階を踏んで、適切なことを適切な時期に与えてあげると、身体能力は身についていくものなのだなあと実感した。こういうことを積み重ねているから、大きな怪我が少ない。転んでもちゃんと手が出る子に育つ。
斉藤公子さんはリズムだけではなく、読み聞かせ、絵画、食、泥んこ等、様々な分野で独自の保育を実践し結果を残されている様だ。今の時代に必要なことをたくさん教えてくれている。大人の都合で子どもが育つ道筋を奪ってはいけないのだ。
ほぼ、月1ペースで土曜日は仕事になる。次の日が仕事だと思うと金曜日の夜も解放感にひたれない。早めに就寝して気合いをいれないといけない。
土曜保育は出席人数が15~20名程度なので0歳から5歳の合同保育になる。職員も少ないし園長も主任もいないからいつもと違った緊張感がある。雰囲気はほんわかしていていいんだけどね。みんな赤ちゃんにはとっても優しい。赤ちゃんにおもちゃを取られても怒らないのよね。2,3歳年下の子だと強い態度にでるのにね。このくらいの縦割り集団だったら家族のようだし、ゆったりとした育ち合いができるんじゃないかな。20名以上の集団になると、トラブルも多いしなおかつ激しくて「やめなさ~いっ!!」って言ってしまうことが多々あるもんな。
さて、ひと遊び終わって、“お片づけ”の時間がやってきた。大集団だと中には要領がいい子もいてやらずに終わってしまったりするが、このくらいの人数だと逃げ場がない。そうそう、自分で遊んだもんはちゃんと片付けなきゃいかんのよ~。お部屋もきれいになって、おいしい給食の時間。今日はのメニューは「あんかけうどん」と「がんもと野菜の煮物」だよ~。給食の先生が出来たての暖かいものを運んできてくれた。「いただきます!」とみんながうどんをずるずると食べ始めたとたん、突如、ガタガタと部屋がなる。
まっ、まさかの地震~~??
そうだ、確実に地震だよ。なんだか揺れが大きくないかい?食器ワゴンを廊下にだし、子どもたちを机の下に入れた。「地震だよ、机の下の入って!」と言ったら、5歳児が率先して動き、それに小さい子も従う。見ると、ちゃんと机の足を掴んで押さえている子がいて感動したよ。日頃の訓練を思い出してくれたのね。1歳児の女の子が泣いていたけど揺れも収まって机の下から出るとけろっとしていた。しかし、あせった。もし揺れが大きかったらワゴンも出せないし、窓も開けられない。ペアの先生と「ほんと、何にもできないもんだね。恐いね。大きくなくて良かったね」と胸をなでおろしたもんだ。
午後出の先生や給食の先生は揺れがわからなかった模様。やはり、少人数で静か~だからわかったのだろう。はあ、お願いだから仕事中に地震はこないで欲しいよ。
月曜から土曜日の6連ちゃん出勤はさすがに疲れる。この地震でさらに疲れた~。仕事が終わってほっとしたのか、はたまたランニングとエアロのせいかあちこちが痛い。風邪も流行っているから、健康管理に気をつけなくちゃ。日曜日はおとなしく休養だわ…。
今日は、午後からゆるゆるとお仕事だった。午前中は、ちょっと寝坊してのんびり過ごす。エプロンにアイロンを掛けて、早めに家を出たつもりだった…。どこかで、軽~く、昼ごはんも食べていくつもりだった。がっ、土曜の国道は予想以上に混んでいた。みなさん、お出かけかしらね。いつもなら15分かからないところを30分以上もかかってしまい、駅に着いたのはなんとギリギリの時間。発車寸前の電車に飛び乗り、駅から保育園までダ~ッシュ!うだうだしていたから体が重たいよ~。なんとか、出勤時刻には間に合ったものの、昼抜きじゃ~。朝が遅めだったからなんとか助かった。仕事中はある程度、緊張しているせいかお腹もすかないもんだ。
土曜日は、だいたい4,5時間の勤務で、午前出2名、午後出2名がお昼で交代になる。午後出が出勤する頃、子どもたちは給食が終わり、昼寝に入る。0,1歳児はすでに夢の中だ。土曜日は、静かだし、週末で疲れているのか子どもたちもよく寝てくれる。その間、掃除をしたり、書類を書いたり、作りものをしたりする。日頃、出来ない仕事がわんさかたまっている保育士にとって、土曜の午後は貴重な時間なのだ。平日は、なかなかひとつのことに集中出来ない。子どもはなんだかんだとかまって欲しくてアピールしてくるし、その他、連絡会などもあるしね。
たっぷりお昼寝をした子どもたちが順番に起き出す。夢の中にいた0,1歳時は、目覚めると朝とは違った先生の顔があるわけだ。う~ん、これってどうなのかなあ。以前は、一日番がいて、午前と午後が把握できたけど、土曜日の長時間労働は支障をきたすと上からお達しがきたのだ。確かに、数年前、危ないことがあったのだが、それだったら、土曜日出勤がある週かもしくは次の週に休みをくれ~。これも、数年前はそうだったのが、突如、土曜日はお買い上げということになり、時間外手当としてお時給で計算されるようになった。
保育園の経営事情もいろいろ変わってきているようだ。それでなくとも、待機児童対策で保育園が乱立している。働くお母さんがそれだけ増えたということだ。この傾向はしばらく続くと思われる。最近は、企業の進出もすごい。企業は、サービス重視でくるから、買い物をしてきても途中抜けでも預かってくれる。体操や英語なんかも教えてくれる。若いお母さんたちは、条件がいい方を選ぶだろうなあ。認可園だからとうかうかしてられない。幼保一元化も行ったり来たりで揺れているし、はたしてこの先どうなっていくのだろう。
保育園もいよいよ経営競争が始まり戦国時代突入の予感がする…。
先日、保育園に中学生が体験学習に来た。何年前からか、こうやって、中学生が職場体験を行うようになった。地域の様々な職場にグループで体験をしにいく。受け入れる側も、中学生というポジションは難しい。アルバイト感覚というわけにはいかない。まだ未成年で、授業の一環として学びにくるわけだから、何かを感じてほしい、知ってほしいと願う。また、彼らが関わったことで、園児に怪我があったりすることはあってはならず、気を使う面もある。園児にとって中学生は年も近いということもあり、保育士や実習生とは違ってより身近に感じるようだ。遊び始めたとたん、彼らの回りに子どもが鈴なりなってちょっかいを出している。その興味津々な顔がいつにもまして嬉しそうだ。中学生も来るものは拒まずで全力で応えてくれている。こういう触れ合い方は、大人には出来ない。無防備なもの同士がぶつかり合う。お互い興味を持って出会った瞬間はとても微笑ましく、「あっ、いいな」って思った。同時に常日頃、マンネリ化してしまった子どもに対する自分の姿勢なんぞを反省させられた。
今回、保育園に来た子たちは6名中4名が卒園児で、折しも自分が受け持って送り出した子たちだった。異動で戻ってこなかったら会えなかった。保育園の頃は、給食はこぼすし、話はきかないし、怪我はするしで心配をすることが多かった子もいた。あれから10年あまり、まだ面影は残るものの、すっかり落ち着いてちゃんと中学生になっていた。成長というものは、長い眼で見なければ本当にわからないものだ。今のクラスにも、発達的に気になる子が数名いるが、潜在的な力がどこでどう芽生えるか誰もわからない。いい出会い、良い環境によって人は変わる。親御さんの力の甚大さも感じた。
自己紹介で、「ぼくもこの保育園にいて、最初から先生にお世話になったので、よく覚えています。先生はいい先生です」なんて言ってくれて、マジで泣きそうになった。そんなこと言ってもらえるなんて思いもよらなかった。改めて、保育士という仕事は、良しにつけ悪しきにつけその子自身の中に刻み込まれる存在なんだということを実感し責任の重さに身が締まる思いがした。正しい保育ってなんだろう。立派な園舎、最新の知育玩具、細かいカリキュラムなんかいらない。子どもと、心の根底で触れあいで、そこまで踏み込みなおかつ向き合えるかってことだ。
もしかしたら、彼らは職場体験というより、幼き頃を懐かしみに来たのかもしれない。感想を聞いたら、「男も女も関係なく、(子どもたちの方から)来てくれたので安心した」と言う。人間関係の難しさを感じ始めている年頃なのかな。構えもなく素になって遊ぶ。幼き頃はみんなそうだった。欲しいおもちゃは人が使っていてもぶんどる!だって、「自分が一番!」だからね。それを繰り返しながら、相手にも思いがあるころに気付いていく…。いつしかぶつかることを避ければ面倒くさくないことも知ってしまう。
子どもは無心だ。疑いももなく頼られること、それを受け止めること、人間関係の原点を改めて感じてくれただけでも良い体験になったのかなあと思いたい。これから訪れるであろう様々な人生の荒波に立ち向かって、さらなる成長をしてほしい…。