救急法の研修に行ってきた。人工呼吸2回と胸部圧迫30回が1セットね。職業柄、3年に1回は行っておくべきだが、実際は5年ぶり?いやそれ以上かもしれない。AEDになってから受けてないのでもう一度初級からやり直しだ。応急処置の基本的な流れについての講義があり、ペアーになった人と確認しあってから、人形を使って実践する。先生は、淡々と順序良く勧めているが、実際にやってみると緊張するものだ。反応を確認し、助けを呼ぶ。気道確保し、呼吸の確認。それから、救急車到着まで、延々と人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す。途中、AEDを使って心電図を確認、電気ショックも行う。寒いと思い、完全防備で行ったがこれですっかり汗をかいた。
これ、人形だからまだ出来るのよね。生身の人間は、こんなに「シュー、シュー」言わないだろう。キューマスクをつける時だって、歯もあるわけでこんなにすんなり口が開くわけがない。吹きこみも圧迫もかなり力が要った。女性だったら乳房もあるし、こんなに強く押して肋骨は大丈夫なんだろうかってあれこれ考えちゃった。ただ、倒れているだけじゃない。外傷なんかもあるだろうし冷静でいられるかなあ…。保育園で、熱性痙攣は何度かあったけど、いずれも軽度のものだった。それでも、意識がなくなり白目を剥かれるとこっちの心拍数も上がってしまう。考えれば、園児よりも救命処置と一番身近なところにいるのは、我が老親かもしれない…。ということで、さらに上級も申し込んでおいた。
じゃじゃじゃ~ん、こちらが修了証だよ~。
シルバーでキラキラしていて、以前のものよりかっこよくなっていた。
帰り道、久しぶりに横浜駅界隈をぶらつく。中学からの8年間、ずっと横浜経由で通学していたが、就職後は訪れる回数も少なくなり、最近はほとんど行くことがなかった。お芝居を観に行く時は、いつも、横浜を通り越して、渋谷、新宿、池袋、はたまた大宮だもんね。最寄駅からわずか10分、やっぱり、横浜、近いじゃん!私が小さいころは、横浜と言えば、西口のダイヤモンド地下街と高島屋と白い天理ビルがシンボルだった。東口のルミネやポルタ、そごうなんて最近出来たような感じでいたけど、今や、さらに開発されすっかり古くなってしまった。
そんな中で、ダイヤモンド地下街入り口の森永ミルクスタンドがリニューアルして健在していたことが妙に嬉しかった。買い物で疲れると、よくここでコーヒー牛乳やマミーやりんごジュースを飲ませてもらった。昔は、一息ついてから西口から東口まで歩きまわったものだが、今は人ごみについていけない…。でも、せっかくだからち東口近辺ものぞいてみる。こっちは、まるでお店が一新していた。バブルはじけし頃は、「J&R」とか「ROPE」とか「THE GINZA」なんぞがあったのに、今は知らない店ばかり。「UNITED ARROWS」とか「SHIPS」とかは今一好きになれない。結構、お高いしね。はあ、時代の流れを感じたわ~。
ジムへ行ったら、、ジョギングクラスが代行になっていた。先週、先生が足を痛めたから急遽、ローインパクトのクラスになったんだよな。それなのに後半、「あら、走れちゃった」って走っていたのよね。歩けないくらい痛かったのに。で、「来週はたぶん大丈夫でしょう」と言ってらしたのに駄目だったのかなあ。週に何本もレッスンをやっているんだもんね。動きながらじゃなかなか治らないよね。お大事に。
代行は、人気がある若い先生で、いつもダンサブルな独特な振り付けをする。おばさんはついていくのがしんどい。でも代行を心得てか、と~ってもわかりやすくて、強度もそこそこの内容にしてくれた。やっぱり、エアロは動けないと楽しくない。最後に、胸の前でハートを作って、「はい、ラブ注入!」だって。ちょっと照れてる先生がかわいかった~。
エアロの後、トレッドで7キロ走って、予約していた整体へ行く。最近、ちょっと腰が痛かったけど、エアロをやったら治っちゃった。でも、歪みはあったようで、何箇所かボキボキって音がした。寒さによわくて、肩に力を入れてしまうから背中も凝っていた。筋トレとストレッチで予防しなくちゃなあ…。
帰り際、マラソンマニアのお兄さんがいて、湘南マラソンの写真を見せてくれた。みんな楽しそう~に写っているけど、42.195キロは苦しいに違いない。走り始め1キロだって苦しいのに。うん、でもやってみなきゃわからないよね。抽選もれするかもしれないし。今年は、勢いで10キロの部にエントリーしちゃおうかな~。
りんごじゃなくて、みかんだよ。皮は手で剥けないといけないんだよね。刃物を置いといちゃ危ないからね~ってことで、“啄木熱”に浮かされてます。金曜日にインフルエンザの子を膝の上に座らせていたけど、こちらは感染していない模様。ひたすら、ぴんちゃんに思いを馳せている。「黙阿弥オペラ」の五郎蔵もかなり斬新な役柄だったけど、ぴんちゃんの中には「藤原竜也」の全てが盛り込まれているのよね。「総司」や「音弥くん」はもちろんだけど、私は、「俊徳」がかぶって仕方ない。あの、甘えどころと狂気ね。ぴんちゃんは「俊徳」ほど破綻してないけど、危険な「毒気」ならぬ「純粋」さがある。あとときどき、見え隠れするのが映画「パレード」の直樹さんかなあ。直樹さんも孤独で狂気を秘めていた。「ムサシ」が大人で落ち着いていた分、引き戻されちゃった感があって面白い。やっぱり、竜也くんの本性と十八番はこっちだろうってね。三谷さん、よくぞ頑張ってくれました。どこかいじりたくなる役者だって、プログラムでも語っている。蜷川さんも「お前に普通の役をさせてもつまらないだろう」って言っていたな。「我が家の歴史」ではリボンの騎士のコスプレだし、深夜ドラマでもじいちゃんだもんね。どうして、ひとくせある役が合うんだろうなあ。これからの課題はかえって「普通の役」なのかもしれないね。
年上の役者と組むことが多かった竜也くんだけど、今回、勘太郎さんとがっつり組めて良かったね。勘太郎さんの強さをまざまざと見せつけられた。映画「禅」でも打ちのめされたと言っているし、同世代としてすごい刺激になっていると思う。小栗くんや勝地くんとは違った、力のぶつかり合いがあるんだよね。油断したら弾きとばされちゃう。拮抗したバランスが作品をだれさせない。勘太郎さんも、竜也くんの繊細さとか自分にはないものを感じていると思うし、またまた三谷さん、よくぞ、二人を引き合わせてくれました~。
最後に、初舞台の吹石さんだけど、まさに二人に引き上げられたね。環境って大事。食らいついて行った根性も偉いけど、これが初舞台って凄い幸せだったと思う。舞台映えするし度胸もある。これから、三谷さん、使うだろうなあ…。
ということで、大阪公演の端っこ席をポチッてしまった。連休だから、京都でも寄ってこようかなあ。
初日以来の「ろくでなし啄木」はまるで印象が違った。タイトルロール通り、「ろくでなしな啄木」が浮き彫りになっていた。このお芝居、啄木目線で見るととても切なくなる。
啄木ことぴんちゃんは困窮していた。書こうとした小説も書けず、校正の仕事でその日暮らし。たぶん、お金目当てでテツに近づいたのかな。そして彼女を横恋慕。でも、テツは彼のスポンサーになってくれた。彼女も一途に慕ってくれた。ちょっとばかし、居心地の良さを手に入れたところへ、函館から妻子と母が上京してくるという。トミを失いたくない。妻子を養う、家も金もない。だから死のうと思う。でも、電車に飛び込むこともできない。
そこで、殺されようとする。一番、自分を信頼してくれる人を裏切ることで、怨みを買おうと仕向ける。その目論見は見事に外れた。そんな浅はかな策に乗ってくれるほど、彼らは子どもではなかったし、自分のことを心配してくれた。常識人の彼らは、人を殺すこと、人を傷つけることは人間としてしてはいけないことだとわかっていたから。トミは愛しいぴんちゃんとの未来を語り、テツは東向きに大きな窓がある家で所帯を持てと諭す。
「僕の、居るべき場所はここじゃない」
最低な人間にもなりきれない自分に気付かされたぴんちゃんは、夜道をさまよい、やがて朝陽に出会う。そして…、彼らとの決別を決心し、東向きに大きな窓のある家に妻子と母を迎え入れ、名作「一握の砂」を書きあげるのだった。それが世に認められてわずか16カ月後、彼は逝ってしまう。赤貧と病で、ぎりぎりのところまで追い詰められていた啄木は狂うこともできずにもがいていたのかもしれない。独りよがりでナルシストで、我がままで気まぐれで回りを振りまわしているぴんちゃんは、まるで子供でどうしようもない奴だけど、とても愛おしかった。
天才肌の啄木が繊細なガラス細工なら、凡人代表のテツは馬で猿。馬力もあるし世の中も知っている。金を巻き上げられ彼女を取られてもひるまない。ぴんちゃん以上にしたたかに生きてきたから懐もでかいのだ。一夜の想い出の品である簪を商売道具に一財産築き、ロシア人の妻をめとっちゃうんだからね。テツは必死に自分の道を切り開いて生きていった。トミも然り、啄木の裏切りにめげず店を構えて成功する。太陽は人の上に平等に上り、三者三様の道を照らしたのだ…。そして、年を取らない啄木は永遠に彼らの心に居続ける。
よく年頃の娘を持つ母親が言うよね。「ろくでもない男にひっかかるんじゃないよ」って。でも女って、ひっかかりたい願望がどこかにあるんじゃなかろうか。だだをこねられると、「よしよし」ってしてあげたくなるのが母性だからね。
新年早々、複雑系啄木にかき乱された~。2月の大楽までにまだまだ進化しそうで恐い。
谷山浩子さん、シンガーソングライターの走り的存在。確か、ヤマハのポップコンで出てきた記憶がある。その昔、ツイスト、円広志等、ポップコングランプリはスターへの登竜門だった。何故か、一発屋というのも多かったけど。その中で、谷山さんは異色な存在。TVにはほとんど出ない。ラジオとかライブを中心に地味に活動をする。アイドルに楽曲を提供したり、最近ではジブリ映画の主題歌を担当したりしているけど、現在に至るまでとりたてて、大きなヒット曲もない。でも、彼女は独特の世界観を持って、歌い続ける。
子供向けのみんなの歌にも数多く登場している。「恋するニワトリ」「おはようクレヨン」「まっくら森の歌」と子どもたちと歌える歌の中にもちゃんとストーリーが息づいている。一見、メルヘンチックな詩の中にある、切なさ、残酷性、人生観が、心の中にずしんと入ってくる。言葉がとても深くて、感動するのだ。
彼女をメジャーにしたのは、「カントリーガール」だろう。後から付け加えられた4番があって、見事に完結している。彼女の作品は時を経て進化しているんだよね。地味だけど、「ピエレット」も好き。静かなメロディーの繰り返しの中に命の大切さを訴える力強さや熱い思いがほとばしる。何よりもピアノの弾き語りとフラット気味の声がいい。不安定そうで不思議なくらい安定している。
ときどき、彼女の世界にど~っぷりつかりたくなる。
あっと驚くことがあった。
スポーツクラブで長年、顔なじみだったマダムが、なんと園児のK君のおばあちゃまだった。おばあちゃまと言ってもまだお若く、アラカン世代だろう。おしゃれで花があってきれいな方だ。今はなくなってしまった、“伝説”のきっつ~いボディシェイプのクラスで毎週日曜日、一緒にダンベルをあげて筋トレをしていた。その後のファンクもへろへろになりながら踊っていた。私なんかよりはるかに鍛えているマダムのプッシュアップや腹筋はしばし見とれる程、力があってかっこいい。性格もさっぱりしていて、誰とでもわけ隔てなく接してくださるので、彼女の回りには老いも若きも男性も女性もいろいろな人が集まっていた。聞くところによるとK大卒の才媛だそうでこうやって活き活きと年をとっていきたいなと思ったものだ。
今年度も、もう終わりというこの時期に、いきなり保育園の廊下で鉢合わせをして、お互い、「え~~~~~~っ!!!!」と驚いた。いや、今までも何度かお迎えに見えたことはあったのだが、遅番の時じゃないと会えないし、キャップをかぶってらしてさっと行ってしまわれたので、全然、気付かなかったのだ。これって、保育士、失格かな?でも、ファッショナブルなウェアー姿のイメージしか頭にないし、まさか、いるなんて思いもよらなかったもんな。マダムも「全然、気付かなかった、クリスマス会の時もわからなかったわ~」だって。私だって、エプロンしてエアロしていないもんね。
スポクラですれちがっている数年のうちに、K君は生まれて、育っていたってことだ。エキゾチックな顔立ちはまさに、おばあちゃま譲りだったのね。そう思って見たら大きな瞳がそっくりだ。たくさん愛されていて幸せだね、K君。
そんなことがあってから数日後、今度は、出産のため送迎をファミりーサポートに頼むという人がいて、事前の面通しをしたのだが、やってきた人が保育園の元職員で再びびっくりもんだった。
縁は奇なり、世間は狭いもんだなあ…。
井上ひさし追悼 こまつ座第92回公演
作:井上ひさし
演出:鵜山 仁
出演:平 淑恵
紀伊国屋ホール
その昔、渡辺美佐子さんが演じて話題になったという記憶がかすかにある。渡辺美佐子さんはTVドラマ「源氏物語」で六条御息所を演じているのがぴったりハマッていた。正直、恐い生き霊ぶりに、すごい女優さんだなあという印象を持った。
今回は、平淑恵さんで演出も若い鵜山さんだ。平さんは確か、大岡越前の奥さんだっけ?時代劇の貞淑な妻はどことやら、とても迫力があった。このお話、題名からして大女優のお話かと思ったら、大衆演劇の女座長のお話なのね。主人公、五月洋子の生き様が語られるのだけど、私は、井上ひさしさんの母への想いを感じた。あの笑いのない初期の小説、「49番目の少年」の世界を垣間見た。生き別れた母に会いに来る、売り出し中のスターは井上さん自身の様だ。で、形見のお守りの紐まであっていたのに、鬼子母神の場所が違うという落ちがある。そうか、このネタ、ムサシにも登場したね。「鏡が合って第18位」に奉られる小次郎がおかしかった。井上さんは小次郎にも自分を重ねたのかな。
「孤児院へ行きたくない」とぐずぐず言っているひさし少年に母は実に客観的な口調で言い放つ。「子を捨てる薮はあっても、自分を捨てる薮はない」と。この一言は爆弾だった。この爆弾をかかえて、井上さんは生きてきたのだなあと思う。偉大な作家はマザコンなんだなあ。寺山修司も石川啄木もかな。
化粧をしたり、落としたり、着物を着たり脱いだりしながら、なおかつ他の登場人物が存在するかのように一人で舞台空間を埋めていく。台詞量も膨大だしものすごいハードルが高いお芝居だ。演出も斬新で、重機音と共に、芝居のぼり旗が倒れ楽屋が壊されていく。最後は五月洋子が宙づりになっていた。ちなみに、大衆演劇の所作指導を沢竜二さんがやっておられる。うん、知る人ぞ知る、竜也くんのライバルね。プログラムにも登場しているのが何気に嬉しかった。
これから、このお芝居、全国を回る様だ。井上さん、天国でも忙しそうですね。
“啄木熱”に浮かされて、なんだか、ぼやんと過ごしてしまった。気がつけば、1月も半ば、早いものだ。保育園では、お正月遊びに始まり、凧、鬼の面、雛飾りを制作し、卒園式、新年度準備とこの時期は駆け抜けていくのが常だ。今年は、私自身も子ども共に、締めくくりをしなきゃいけない。ま、場所は変われど、この流れはあまり大差なく続いていきそうだけどね。
しかし、雨が降らないなあ。今年に入ってから、関東地方は晴天が続いている。一昨日だったが、夜、埃みたいな小さい雪が落ちてきたけど、すぐにやんでしまった。毎日、寒いけど喉が渇く。給食の麦茶が体に染みわたっていくのがわかるくらいだ。夏とはまた違った感覚で体が水分を欲している。お肌も化粧水やオイルでケアーしないと大変なことになる。木や地面も同様で、園庭もぽこぽこで子どもが走ると砂が舞い上がるから、日々、水撒きが必要だ。加えて、砂場の木製のヘリやウッドデッがも何気にひび割れてきて、ついに昨日、一部が真っ二つに裂けてしまった。木も悲鳴をあげているようで痛々しい感じ。でも、こればっかりはどうにもならないよねえ。
乾燥注意報とともに、インフルエンザも増加中だ。去年程の大騒ぎはないが、A型が流行り始めている。去年は、A型といえば新型だったけど、今年は従来の季節性も出ているそうだ。来週から、“マスクマン”でお仕事だって~。嫌だなあ…。
一昨日のプレビュー公演に続いて、池袋通いどす。
「ろくでなし啄木」いよいよ初日の幕開けだ。でも、花はなかった。劇場によって花を出さないところがあるものね。で、プレビューとどこが違ったかは、客ぶれかな。お馴染みの評論家様風の老紳士が通路前、センター席にぞろり。皆さん、ご招待なんだろうなあ。なんだか、高そうなカシミヤのコートとかお召しになっていて、何故か古き良き時代を感じたわ。こちとら、仕事帰りに普段着で駆け込みよ。この不景気に、演劇のチケット代はなかなか高くてバブリーなことなのだ。でも、高くても見る価値がある作品なら嬉しいし投資しちゃうのだ~。お約束通り、野田秀樹氏も来ておられた。野田さんはさすがに身のこなしが軽やかだ。以前、目撃した市村さんもこんな感じ。舞台って鍛えられるのね~。
さて、肝心の内容の方は、あまり大差がなかったような気がする。セットの障子がスムーズに動くようになり、ゆらゆらしていなかったことくらいしか差がわからなかった。ただ、プレビューは、勘太郎さんにすごく目が行ってしまった部分があった。上には上がいるんだなあと。子どもの頃から身についているもの、舞台を踏む経験数が違うものね。それこそ、血筋の中に脈々と流れ継いでいる伝統があるのだから。でも、今日は、啄木とのバランスがいい具合で自然に感じられた。勘太郎さんの強さは変わってないし、竜也君にも大きな変化はないのだけど、我がままで、やんちゃで、天衣無縫な啄木だからこそ、テツが振りまわされるのが納得できたんだよね。
啄木が使う、「僕」の響きが何気に好き。「僕は…」「僕が…」って母性本能を刺激されまくり~。
三谷さんのあて書きには恐れ入った。ファンは完全ノックアウトだ~。
竜也&勘太郎コンビ、最高だね。思わず、クリアファイルをお買い上げ~。
これに、仕事の書類は挟めないなあ。
三谷さんの作品にはよくあるよね、プレビュー公演。初日前ということで、チケ代も1000円安い。確かに、初日のような華やかさはない。というか、花がない。でも、関係者(お馴染みのホリプロ関係)はいるし、客席も満杯だし、本番となんら変わりがない気がした。
三谷さん、生誕50周年記念のオープニングを飾る「ろくでなし啄木」
藤原竜也、中村勘太郎、吹石一恵
あの大河「新選組!」メンバーによる三人芝居だ。
大いなる「青春賛歌」ですね、三谷さん。素晴らしかった~
エロティック?ドピンク?なんの、なんの、私には神々しいくらい純粋で爽やかだった。皆さん、確かに舞台で生きてました。
竜也くんは、最初は受け手なんだけど、最後、どっか~んと魅せてくれます。流れ的には「弱法師」ロングバージョンみたいだった。3人のバランスがこれから公演を重ねて、どう変わっていくかが楽しみで期待が膨らむ。藤原&中村はいろいろ仕掛けてきそうだもんね。
三谷さんの戯曲には、井上ひさしさんに匹敵する奥深さ~がありそうだから、これから、そこら辺もじっくり探してみたいな。