くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

エアロ納め

2010年12月31日 | スポーツクラブ

トレッドで15キロランを達成してから、ちょっと気が抜けてしまった。案の定、翌日から前腿がひどい筋肉痛で、階段を降りる時が大変だった。なるべく平静を装っていたつもりだけど、変な格好になっていたに違いない。ええい、跳んでしまえ~とぴょんぴょん急いで降りたりもした~。コケなくて良かった~。

ホームのスポクラは年末年始休みに突入。ここ数年、正月はビジターでゴールドジムへ行っていたが、明日は寒そうだ。で、今年は大晦日に行ってエアロ締めにする。スタジオはエアロとヨガの2本だけ。常連さんが数名いるだけでガラガラだ。でも、私みたいに、年の瀬でもエアロをやりたい人達だと思うと同志の様だ。Tシャツ姿でおしゃべりをしている様子はごく普通のマダム達だったが、いざ、レッスンが始まったら、“脱いだらすごい”人たちだった。さすが、鍛えているから、背中がきれいで引き締まっている。足も長いし、ステップも軽やかで上手なんだよなあ。ウェアー姿は人が変わったようで、みなさん美しかった。

エアロは75分スペシャルでコリオもわかりやすく、リズムチェンジ、ターンも適度に入っていて楽しかった。要は、おばさんでも頭がついていかれたから、がっつり汗をかけたし、最後、筋トレも入れてくれて有難かった。これで、心おきなく、年が越せるわ~。

帰りは、デパートで頼んでおいたおせちを受け取る。すんごい、行列だったよ。ちょっとばかし、奮発して洋風おせちにしてみた。カードのポイントを使って千疋屋のケーキも買っちゃった。てらみさんのところにおいしそうなパフェが出ていて、私も食べたくなっちゃった。我が家では3年に一度ぐらいしかお目にかかれませ~ん。




大掃除とエアロで消費したカロリーは、すぐにオーバーしそうだわ。
年明けは、頑張って走ろうっと。

今年も一年、お世話になりました。
来年は、うさぎのように軽やかに飛躍といきたいところです。

皆さま、良いお年をお迎えください~


転機

2010年12月30日 | 日常あれこれ
振り返れば…、案外、のほほ~んと生きてきた。どちらかといえば、いつも受け身で、時の流れに身をまかせながら、人並みに“我が運命”を受け入れてきた。あまり主張することも拒むこともなかったかなあと思う。実は、数年前から職場に疑問を感じ始めた。年々、不信感も募っていく。どこへいっても、どんな仕事でもそんなことはあるのが当たり前と半ば、諦めようとした。残業もない、休みもある、サラリーももらえる。割り切って、プライベートを充実させればいい。ほんの少し、我慢をして目をつぶりながらこのままやっていけばいいと思った。それに、この不況の中、転職するには年を取り過ぎた…。

でも、ある日、はたと思った。「本当にこのままでいいの?」って。守ろうとしていたものがバタンと音を立てて、反対側に倒れた。まだ、40代ならなんとかなる。私なりに一生懸命積み上げてきたものを信じてみようと思った。不思議なくらい、長年いた職場への未練がなくなった。突き動かされるように、履歴書を書いて面接にいった。ありがたいことに、この業界、人手不足なうえに、企業などがどっと参入し始めて、経験者を求めてくれるところもたくさんある。まさに、捨てる神あらば、拾う神あるって感じだ。

4月から、新たなところでスタートすることになった。自分から行動して出来る転機もあるのだなあ。思えば、今年は、違った風が私に吹いていた。2度目の職場異動、旧知の人との邂逅、ヒロシマへの旅…、なんの脈絡もない事柄だけど、確実に何かが違った。風を送ってくれたのは、やはり神様だったのかもしれない。2010年は忘れられない年になった。

これからは、20代の頃にのように、突っ走ることは出来ない。だけど、年を経たなりのものを出していかなくちゃいけない。一年、一年が大事。不安もあるけど、新しい出会いが待っているかと思うととても楽しみだ。来年は刺激的な年になりそう。

自己活性化宣言!がんばれ、私!

文章を書く

2010年12月26日 | 日常あれこれ

文を書くって難しい。学生時代、夏休みには必ずと言っていいほど読書感想文の宿題が出たものだ。それが結構負担だった。「書かなくちゃ」と追い立てられて読むから読書を楽しめない。自分の感想がまとまらなくて、後ろの解説文を読むと、全く的が外れていてどんどんわからなくなる。今でも、仕事柄、文章を書くことが多いが、そういうトラウマを未だに引きずっている気がする。なんとかまとめなくては、字数を埋めなくてはという意識が働き、気付くと飾りだらけですっきりしないものになっている。推敲を繰り返すうちに、言いたかったことがぼやけてしまう。

「むずかしいことをやさしく」の井上先生が行った作文教室の本がある。日本語を熟知した、井上先生の教室は国語の時間とはまるで違って面白い。

「必ず文章が間違った方向へいく言葉
「ので」「から」「~なので」「~だから」
使う、使う、こういうの。そうすると「理由」を次に言わなくてはならず文章が難しくなる。

「いきなり核心から入る」ことが大事
うん、前置きをぐだぐだ書いてしまうよなあ。だから、こういうことが書くのですみたいに。これも理由をつける一つというか言い訳なのかな。

「文章に接着剤を使い過ぎるな」
「にもかかわらず」「ものの」「にくわえて」「しつつ」
これも多用しているな。理屈をこねると読み手には伝わりにくい。

その他、日本の国語教室は大人にも書けないようなことを子どもに要求しているところが間違っているとばっさり。読書感想文は子どもにとって地獄の責め苦だ。感想ではなく、まず、物をよく見る、その見たことをそのまま書くということをしっかり教えないといけない。
「観察する。要約する。報告する。そういう文章をうんと書かせる」

さすがに深いなあ。
書くことは考えること、頭を使うことなのだ。そして、それを深める一番有効な方法だそうだ。

この作文教室は2006年に一関で開催されたものだ。井上先生が、「あと10年、長くて、14年、15年は持たないだろう」と言っておられる。偶然だろうけど、自身のことをどこかで見極めておられたのかもしれない。書くことで命を削っていたんだね。

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)
井上 ひさし
新潮社

RUN RUN RUN~♪

2010年12月23日 | スポーツクラブ

今日はスポーツクラブも祝日営業で、スタジオも特別プログラムだ。何故か、あまり出たいのがなかったから、トレッドで走った。最近、足裏を用心して、エアロの前に時間を気にしながら3,4キロ走る程度だった。でも今日は、時間があるから行ける所まで行ってやろうと思った。仕事が休みだと体も軽くて、あっいう間に7キロ走破だ。10キロ以上いけそうな気がしてきたからトレッド一周100分間を目標にする。さすがに13キロぐらいになるとバテてきた。でも、目標まであともう少しだ。おばさん根性で頑張った。軽いクールダウンを入れて15キロ達成!初めて、トレッドが自動で止まったよ。霞の彼方にハーフが見えた。走り始めた頃は5キロぐらいで足が痛くなっていた。力ってついてくるものなのだなあと何気に感動した~

たくさん足を使ったから入念にストレッチをしなくてはとストレッチコーナーへ行ったら、マラソンマニアのお兄さんがいた。ついこの間ホノルルを走ってきたばかり。走るごとに、ミクシィで日記を“連載”してくれる。マラソンに対して熱い情熱を持っていて、たくさんの人が彼を通じてランナーの世界へ導かれている。それにしも、アスリートなお兄さんはいつもよ~くストレッチをして体を手入れしている。長く走るには、こういうコンディショニングが必要なんだね。「15キロ行きました~!」と報告したら、早速、湘南マラソンのゼッケンをつけなくちゃねと勧められた。何をやるにも、目標を持つことは大事だよね。そうじゃないと前には進めない。来年の11月、エントリーしてみようかなあ。その前に、外も走ってみなくてはね。

あまり汗をかかない私も今日はさすがにTシャツがびっしょりになった。ストレッチが終わってからシャワーを浴びたけど、何故かとても寒い。案の定、疲れが出てきたので即効、帰宅した。バスのなかでうとうとしていたら、一瞬、気持が悪くなって冷や汗が出た。すぐに回復したけどなんだったんだろう。低血糖ではなさそう。軽い脱水だったのかなあ。たかだか15キロでも出るんだなあ、こういうのが。マラソンって水分や栄養補給のタイミングも難しいよね。これも経験を重ねないとわからないことだ。

まだ踏み入れたばかりの地道なランナー道…。明日は、ものすごい筋肉痛になりそうだ。


先に来た者

2010年12月19日 | 藤原竜也


武田真治さんが、デビュー20周年を迎え、ロングインタビューに答えている。その中で初舞台、「身毒丸」についても語っている。正直、以外だった。武田君も、武田君なりに「身毒丸」と向き合い、なおかつこんなにも苦しんだとは…。とってもピュアで、なおかつ繊細な人なんだなあ。だからこそ身毒丸に抜擢されたのだろう。非常にネガティブな作品を、若いエネルギーを持って、それこそ気を抜くことなく演じることで、精神的に追い詰められてしまった。だから再演は降りてしまった。そして、オーディションで発掘されたのが藤原竜也君だった。

さらに、以外だったのが、武田君の竜也君への想いだ。身毒丸の穴を埋めてくれたことに対する感謝…、武田君にとって、この降板はほんとうに辛く、傷ついた出来事だったんだなあ。今でさえ、それ以降の二人の活躍で、風化されつつあるが、俳優武田真治にとっては、乗り越えなければならない大きな過去だった。心境的には複雑なこともあっただろうけど、今の武田くんは全てを呑み込んで昇華し、人間としても大きく成長しようとしている。なかなか紳士だし、いい男になったね。ミステリアスで独特な色気も健在だしね。

このインタビューを聞くと、映画インシテミルの竜也君との格闘シーンの迫真さの意味がわかる。映画の中でもあの場面は印象的だったもの。真っ向から演技でぶつかることこそ先に来た者の意地でもあり、後から来た者へのエールでもある。かっこよすぎるぜ、武田君!これからも、サックス奏者、バラエティ、ミュージカル、ストレート、映画、TV…、様々な分野をこなせるオールラウンドプレーヤーとして活躍してくれることだろう。

心のバリアフリー

2010年12月19日 | 日常あれこれ
土曜日の夕方、混雑しているバスに車椅子の老人が乗ることになった。押している老婦人はたぶん奥様だろう。小柄でとてもかわいらしい人だった。交渉されたバスの運転士さんは手際良く、優先席のお客さんを立たせて椅子をしまいスペースを作る。バスを降りて登り板を出すし、かなり大柄な老人が乗った車椅子をバスの中へと押し上げた。そんな様子を眺めていたら、後ろの方から「夕方はいけないと思うわ、私」「夕方はいけないよ」という低い女性の声が聞こえてきた。 “何も混雑している時に乗ることないじゃない、発車まで手間取らせて”というような気持ちが露骨に伝わってくる物言いだ。夕方は行けない…、だったら、いつならいいというの?なんだか悲しくて嫌な気持ちになった。

間もなく、クリスマス、お正月を迎えようとして、夫婦で買い物に出たのかもしれない。月1回の通院日だったのかもしれない。この老夫婦は、外出するたびに、幾度となく、こうやって、冷たい視線を感じてきたことだろう。でも、奥様の凛とした顔つきは、決して悪びれず、堂々としておられた。人間、その状況になってみないと本当のことはわからないものだ。実際、こうやって体が不自由な人のテンポにいらついたり、迷惑を感じてしまうのだから。でも、いつ何どき、自分がその立場になるかわからない。ときどき、想像はする。両親が寝たきりになってしまったらとか、自分が病気になってしまったらとか…。でも心のどこかで大丈夫だろうとたかをくくっている。私だって、まさか母が癌を患うなんてまるっきり予想外のことだった。職場異動だって、自分はならないだろうと安易に思っていたこともあった。人を思いやるという人間として当たり前のことが希薄になってきている世の中になってしまった。バスは渋滞の道をのろのろと進む。私が降りる頃にはだいぶすいていたが、奥様はずっと車いすの後ろに立ち続けておられた。

段差がなくなっても、手すりができても、人の心の中の垣根が取り払われない限り、“差別”というものは無くならないのだなあと漠然と思う出来事だった。

TANGO

2010年12月12日 | 観劇



作:スワボミール・ムロジェック
演出:長塚圭史
出演:森山未来、奥山佳恵、吉田鋼太郎、秋山菜津子、片桐はいり、辻萬長、橋本さとし
文化村シアターコクーン

少し前に、観に行った。歌って踊らない、森山未来くんは初めてかもしれない。膨大な台詞の役を、よくこなしている。少し、噛んでたけど、これだけ出来る若手はそういない。彼も、舞台の申し子だね。

戯曲自体が抽象的で前衛的な場面が多かったが、漠然と思想の変遷みたいなものが見えた。
主人公は、両親たちが作ってきた自由な“今”を憂いて反抗している。自由な表現、自由な恋愛関係…、秩序が乱れて少し箍が外れ過ぎているようにも見える。そこで、結婚という儀式をきっかけに、規制のある“昔”に無理やり戻してしまう。窮屈な服をきて、礼儀や格式を重んじる。結局、主人公はそこにも自分が求めるものを見いだせずに抹殺されてしまう。そして、最後は力で全てを制するものが出現する。時代に逆らうことなく日和見主義に生きてきたものが生き残って「タンゴ」を踊る。時代の針が振れるということか。振り切れると戻って、堂々巡りをする。自由を手に入れたら、規制が欲しくなり、それが駄目なら独裁、暴力という流れが出現する。なんか、今の北朝鮮や中国をめぐる世界情勢って戦前みたいに感じるものね。人間は悩みながらも時代に翻弄されて知らないうちに巻き込まれてしまうのかなあ…。

第1幕は秩序が乱れているからか、役者も出来て存在感がある演出家、長塚氏が舞台に登場し危険なところをコントロールする。さりげなく、じゃまなものをどけて進行がスムーズに行くように見せる。なかなか心憎い演出だなあって思った。立ち姿がきれいな長塚氏だからこそ成立しうる特権だものね。秩序が保たれる2幕以降は、消えるようにいなくなってしまった。

このお芝居で、一番、印象的だったのは、言うまでもなく吉田鋼太郎様。これって、黙阿弥オペラが終わった直後よね。それなのに、あれだけの台詞量と出番をこなしてしまうのは凄い。あの新七さんとは全く違ったキャラとセリフ回しに加えて、脱いでおられます。舞台が暗転して、カーテン1枚を腰にまいたりはずしたり、ほとんどスッポンポンの瞬間があります。身毒丸の竜也くんよりも多い露出度に、しばしあ~んぐりしてしまった。最近は、ドラマ出演もして、さらに爆進中の鋼太郎パワーに恐れ入った。50代になってから輝く男、これからも侮れないぞ~。


愛とエロスと盲目と…

2010年12月11日 | 観劇



谷崎潤一郎の名作「春琴抄」は、その昔、まだ10代だったころ、百恵&友和で映画化されたのをTVで見た記憶がある。春琴は美人なのに、無愛想で嫌な女性だったのと、佐助も最後に盲目になってしまう場面が印象的だった。伊豆の踊り子から始まって、潮騒、絶唱、風立ちぬ、古都など、このゴールデンコンビはすごい名作を次々と映画化してくれたもんだ。

舞台「春琴」を観に行った。当たり前だが、映画とはまるっきり雰囲気が違い百恵&友和のイメージが見事に崩れ去った。英国人のサイモン・マクバーニーさんが演出を手掛けている。英国公演などを経ての再演で、数々の演劇賞を総なめにした作品だ。評判通り、素晴らしかった。日本文化に対する異国人の視点と切り口がとても斬新だ。畳、三味線、鼓、筧、蝋燭、着物、人形浄瑠璃等が、舞台空間の中に、あますところなく使われて日本の美を表現する。1本の棒が、卒塔婆になり、襖になり、三味線になり、木になりと観客の想像力をふくらませる英国式演出、ひとつひとつの場面で細部にまでこだわりが見られ流れるような場面転換が見事だった。サイモンさんって、“日本オタク”なんじゃなかろうかと思わせるほど日本人以上に日本を調べて理解しているようだった。

盲目の春琴はある意味、人格破綻者だと思う。思わぬことで視力を失い、踊り手への目標が絶たれて音曲の道へいかざるを得なくなる。両親も彼女を過保護に扱い自立させなかったから、どこかで歪んでしまっている。そんな女に一目ぼれして尽くす佐助はいたぶられても、侮辱されても付いていく。二人はSMチックな関係でもある。主従関係から子弟関係、そして夫婦関係へと佐助は影のように一生を連れ添う。やがて、恨みを買うことも多かった春琴は、弟子の一人から顔に熱湯を浴びせあれ、美貌を失った。誰にも顔を見られたくないという彼女の願いを果たすべく、佐助は自分の両目を針で突く。

それを知った、春琴は告げるのだった。

「ほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を他の人には見られてもお前にだけは見られとうないそれをようこそ察してくれました」

佐助の愛は献身的で究極的のようだが、彼自身もまた歪んでいる人間だ。Mの自分をいたぶってくれる強くて美しい春琴が欲しかったからこそ、目を突き記憶の中に春琴を封印したとすると倒錯している愛になる。佐助は春琴を看取った後、83歳までの長い余生を盲目で生きる。美しい彼女との想い出を深めながら…。愛にはいろいろな形があるのだ…。

舞台では、物語が実はラジオドラマとして、現代にリンクしており、最後に観客に問いかけられる。

「あなたはどう思われますか?」

静寂な暗闇の中で、営まれる耽美な性愛。曖昧でぼやけているからこそ美しい。昔の日本にはこういう美があった。最後に舞台とは対照的な渋谷の雑踏の音が流れて幕となる。時代は、日本は変わってしまったんだなあ…。

改めて、谷崎潤一郎さんは凄いと思った。日本が誇る文豪だ。なんで、ノーベル賞、とれなかったのかなあ。


モリのアサガオ

2010年12月05日 | 日常あれこれ
最近、めっきりドラマは見なくなった。(おじいちゃんは25歳は例外よ!)
だけど、密かに録画して見ているドラマがある。「モリのアサガオ」だ。主人公の新人刑務官を通して、様々な死刑囚達の生きざまや人間模様が浮き彫りになっていく。終盤にきて主人公の出生の秘密なども絡んできてドラマチックな展開にもなっている。

折しも、裁判員制度が導入されて、人が人を裁くこと、罪とは、罰とはといろいろ考えさせられるご時世だ。このドラマは、どちらかというと死刑否定の考え方が濃い。誰かをかばって、無実の罪をかぶっていたり、服役中に改心したりと、罪を犯したことで苦しんでいる人々がいる。方や、かけがいのない命を奪われた被害者は、事件と向き合えなかったり、一生を狂わされたりする。いろいろな経緯を全て呑み込んで、国からの命令に従い、死刑執行をしなければならない刑務官、彼らも違った意味ではあるが人を殺さなくてはならない。そこに感情があってはならない。正義とは法とは、国家とはとテーマは深く、文字通り、モリの中の迷宮をさまようようなお話だ。

テレビ東京はときどき、こういう渋いドラマを作ってくれるのよね。数年前の「家裁の人」もなかなか良かったな。で、このドラマ、何が凄いって、死刑囚のキャスティングなのだ。若手、ARATAくんを支える脇役陣が、柄本明、温水陽一、大倉孝二、平田満、六平直政、中村獅童、根岸季依…等、豪華絢爛たる舞台人たちで、あの手この手で魅せてくれる。もう、柄本さんの怪演ぶりなんて鳥肌もんだ。舞台で生きることができる俳優たちでないと、こういう役柄は出来ないだろう。彼らの奥行きの深~い、演技合戦にも目が離せない。



モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)
郷田 マモラ
双葉社

スマステ

2010年12月05日 | 藤原竜也
局長と総司の再会、楽しみにしてた~。歳月は流れ、竜也くんは総司が亡くなった年を越えたのね。香取くんはまだだけど。二人とも、大人になったなあ。特に、竜也くんが落ち着いちゃったね。5年前の新選組スペシャルの時は、まだ年下の甘えん坊的な雰囲気があったけど、今回は、“単独ゲスト”として頑張っていた。振り返れば、激動の5年だったもんね。3度の海外公演、2度の留学、坂元監督との出会い、英語の芝居、井上さんの死…、いろいろなことに真摯に向き合い、努力して取り組んできた結果だね。気がつけば、“じいちゃん役”もこなすぐらいだからね。竜也くんを見ていると、「自分で自分をジャッジすることの大切さ」っていうのがわかる。

仕事をはしごしている、香取くんが華やかな衣装だったのに比べ、竜也くんは地味~なスーツだった。小指にリングなんかしちゃって、それを恥ずかしそうに腕組みして隠しちゃう。かなり大人な雰囲気を狙ったのかもしれないけど“スタイリストさんに着せられました”感があった。洋服(衣装)を着こなすのは今一つよね。普段がジャージだからしょうがないけどさ。それに、髪の毛のボリュームが多い。最近、なんだか白いものがちらほら見えるのだけど、もしかして若白髪ならぬ出世白髪かい?

本日のテーマは「長く待っても手に入れたいもの」。ファンとしては5年かけて、三谷さんとのコラボを実現したことに触れて欲しかったけど、告知だけだった。明日から稽古らしい。ということは、台本が上がったのかなあ。そこらへん、勘太郎くんや一恵ちゃんからも局長に報告しに来てほしいもんだ。