くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

レ・ミゼラブル

2012年12月31日 | 映画



民衆の歌
今年の年末はこの歌が頭の中をぐるぐると回り続けている。
仕事納めの28日降りしきる雨の中、お友達に付き合ってもらって「レミゼラブル」の映画を観に行った。
映画と言えども、ほとんどが歌。映像だけがリアルのミュージカルだった。あっと言う間に3時間が過ぎていき、気がついたら深夜になっていた。

小学校の頃、世界名作シリーズとかにまとめられた「ああ、無情」を読んだ。何度か読んだけど何故これが名作なのかおバカな私はあまりわからなかった。ジャンバルジャンというインパクトある主人公の名前と美しい孤児のコゼットと銀の燭台の印象くらいしかない。ミュージカルになって話題になった時も観に行かなかった。

遅ればせながら、人生初レミゼだった。いやあ、感動した。昔、「風とともに去りぬ」を観た時に匹敵する感動だった。ビクトルユーゴーさんはこの物語の中に、人間の罪と罰、赦しと癒し、親子の愛、男女の愛に加え、国家権力と正義等全てを盛り込んだんだね。やっと名作の意味がわかった。

ジャンバルジャンだけでなく、ジャベールもエポニールもマリウスもフォンティーヌもコゼットも登場人物全ての生きざまが魅力的だった。人間とはなんぞやという大きなテーマが貫かれる壮大なヒューマンドラマ、フィナーレの飾る民衆の歌がまた力強くて…、自然に涙腺が決壊した~

新しい演出で再演される帝劇の方も観に行きたいな~


スノーホワイト

2012年06月30日 | 映画



お友達から頂いたワーナーの映画観賞券の期限が今日までだった。そこで、近くのワーナーの映画館へ行ってきた。こゆ~い、舞台役者さんたちが出ている「テルマエ ロマエ」が見たかったのだけど、東宝映画はダメということで、「スノーホワイト」にした。

昔々、童話のお姫様が大好きだった。「スノーホワイト」の白雪姫、不思議な国のアリス、シンデレラ、人魚姫…、絵本を見たり、“お話レコード”を聞いたりしたもんだ。そう、あの時代は、レコードね。小さなプレーヤーを買ってもらって自分でかけるのが楽しかった。特に、サリーちゃんの主題歌と、きれいなディズニーバージョンの絵が描かれた白雪姫の“お話レコード”は私の宝物だった。

さて、映画の方は、そんな幼い頃の夢を強烈に打ち砕くイメージだった。なんか、逃亡する白雪姫がきちゃない…。(女優さんはきれいなんだけどね。)どうして、何年も幽閉されていたのに体力があるんだろうとか、あの海に飛び込んだら生きてられないだろうとか、ところどころ突っ込み所も満載だ。さらに暗い森へ逃げ込んだ白雪姫は、小人達だけではなく“シシガミ様”にも出会っちゃう。これ、まさにもののけ姫じゃ~んって思った。小さな妖精達はもろコダマだったしね。

毒リンゴを食べた、白雪姫は、白馬に乗った王子様に助けられる筈なのに、王子様は出てこない。助けたのは狩人だった。狩人のおじさんは白雪姫をそっと逃がしてあげた位しか記憶になかったからおったまげた~。映画の狩人さんは、妻に先立たれて飲んだくれているやさぐれ男だけど、イケメンでかっこいいんだよね。王子様かと思った、幼馴染の公爵の息子よりも強くて渋い。



毒から目覚めた白雪姫は、父の復讐と王位奪還を目指して決起する。軍を率いる甲冑姿の勇ましさは、ジャンヌダルクかナウシカかってところだ。結果、女王を仕留めて勝利をおさめ、めでたしめでたし~。戴冠式の白雪姫はすっかり大人の女性で美しい。で、この後、誰と結婚したんだ?って謎のまま終わっちゃった~。

印象に残ったのは、味のある小人さんたちと、若さに執拗なまでに執着し続ける魔女の女王様。
「鏡よ、鏡、世界中で一番美しいのはだあれ?」
CGを駆使して一瞬で老け顔になったり、崩れ去ったり、もうすごい存在感。ヒールな役ほどおいしいのよね。シレンとラギでいえば、ゴダイ様だね。



そうそう、なんか、この映画、新感線チックな感じもした。舞台化もできそううだなって。魔女は天海さんとか松雪さんとかどうかな?
頭の中が新感線色に染まっている今日この頃…、あさってはいよいよ大千秋楽だ~。


嫌われ松子の一生

2011年09月18日 | 映画

だいぶ前に録画しておいた「嫌われ松子の一生」を見た。ミュージカルの様で、絵本の様な鮮やかな色彩で、CGが少女マンガのキラキラの様で中島ワールド好きだなあ。



松子の一生は、「なんで?」の繰り返し。
なんで病弱な妹ばかり可愛がられるの?
なんで窃盗の罪をかぶるために本当に盗んじゃったの?
なんで家を出ちゃったの?
なんで恋人に暴力をふるわれ、不倫相手に裏切られ、ソープ嬢になり、果ては殺人を犯し、服役し、夢破れ、ヤクザの女になって…とすごい展開。
一生懸命やっても裏目に出てしまうことってあるよね。ちょっとしたボタンのかけ違い、気付いた時はすでに遅い。
女を捨てて、太って、病んで、それでもやり直そうとしたのよね。
夜遊びしている小学生に「帰りなさい」って注意するのも当たり前のことだった筈。
まさか、逆切れされて殺されようとは…。
最期まで「なんで?」だった。
なんか「欲望という名の電車」のブランチみたいだなあって思った。

主演の中谷美紀さん、きれいだなあ。一途な松子を演じきっておられる。

「何をしてもらったかではなく何をしてあげたかだ」という台詞が印象に残る。
人間の価値はどこで決まるのだろう。本当の美しさとか大切なものって何だろう。
中身が濃い松子の一生だった。


どっか~ん…

2010年07月04日 | 映画
映画「告白」を観た。怖い…、ひたすら怖い。「きゃ~」でも「ぎゃ~」でも「ぞぞぞ~」でもないのよね。なんか嫌な怖さ、心理的怖さだった。「パレード」の怖さにも似ているかな。最近、この手の怖さが出てきているのね。…ということは、現実もそうなってきているのよね。

主人公は娘を殺された教師。殺したのは自分のクラスの少年。一人は母親に捨てられた子、一人は母親に溺愛された子。その動機が複雑、なんか割り切れない。殺人を犯せば注目される上、少年法で罰は免れる。そんな社会を逆手にとって裏をかく少年たち。だから…、そんな少年たちを心底わからせるためには、「命は大切です」なんていう上っ面な言葉なんかは通用せず、かといって、暴力で仕返しするのでは意味がなく、さらに裏の裏をかいて突き詰めいかなければならない。教師としての愛?そんな生やさしさもなし。腹をくくった母として復讐が凄い。

ある意味、すごく考えさせれた。教師って子どもたちを守ろうとするじゃない。そんなのは甘い考えだと。こんなにも心に闇を抱えている子どもたちに立ち向かうのは並大抵ことじゃない。そのうえ、今はその後ろにいる親もひと癖ある。「教師やめますか?人間やめますか?」ってこれ、ほんとに冗談じゃなんかじゃない。今年、私も久しぶりに幼児クラスを担当しているが、話を聞かないんだよね。言葉が入っていかない。勝手に発信はするけど、受信してくれない。映画の中のクラスも同じ。学級崩壊の芽は幼児期から始まっている気がする。先生が凄い告白をしているのに、携帯片手に「ワーキャー」やってる。でも、心があちらこちらに向いていながら聞くところは聞いていて瞬時に画策して、メールが飛び交うってところが不気味なんだよなあ。そんな賢さがあるのに、バランスがとれていない。心と体がバランバランな感じがする。どうしてこうなっちゃったのかなあ…。

はあ…、おばさんには衝撃的な怖さだった。
ちなみに、一緒に観た、高校生の母親でもある同僚いわく、「今の学校のクラスがああいう状態だってことはよ~くわかる」と言っていた。
もう一人の先輩は、「これ、原作にかなり忠実だよ」だって。
怖いけど、読んでみようかな、原作。




告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)
湊 かなえ
双葉社

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パレード

2010年02月20日 | 映画
事なかれ主義、無関心、感情の喪失…劇中のピアノ曲と共にそんな言葉がぐるぐると頭をめぐっている。叫び声をあげるような恐怖ではない。背筋から這い上がる悪寒のような恐怖をじわじわと感じた。

自分は皆から頼られていると“パレード”の先頭を歩いていたつもりの主人公の、見せたくなかった裏の顔が露呈される。でも「あんたのことなんてどうでもいい、この生活を、この空間を乱さないでくれ」と一気に突き落される。監督が撮りたかったというラスト6カットは残酷だし不気味だ。今後も、彼はこの部屋でのこの4人と今まで通りの暮らしを続けるのかと思うと心が痛んだ。

彼らにとって、友情とか愛情とかいう言葉は無縁で、それでいて非情というわけでもなく、どこか感情の一部分が欠落している様だ。それは、自分にもあてはまる要素がある気がして怖くなる。実際、日常の中で人と関わる煩わしさ、面倒くささを感じることがあるし、平和に過ごせていればいいじゃないと時に開き直ったりもする。私たちの世代から人間関係の希薄化は始まっているのだ。

かなり、原作に忠実だし、ずしんとくる映画だった。乾いた心に孤独をかかえ、何かに依存したいとも思いながら、踏み込んで傷つくこと、やっかいなことは避けようとする。現代日本の闇は取り返しがつかないくらい深すぎる…。

新保育指針には“自己肯定感”という言葉がよくでてくる。自分に自信が持てる子どもに育てなさいと。果たしてこんな世の中を見て、子どもは希望は持てるのだろうか。子どもたちに未来を約束する自信が大人にもないのが現実だ。

うわっつらな笑顔を作り、それでもパレードは続く…。

本日公開、映画「パレード」を観てきた。内容が深すぎて感想がまとまらない。これは玄人受けするだろうね。ベルリン映画祭批評家連盟賞とやらと受賞したらしい。良かった、良かった。
上映後、お待ちかねの舞台挨拶で、行定監督、竜也くん、香梨奈さん、遣都くんが登場した。3回目?ということもあって、ちょっと、テンション低め…、みなさん口下手で盛り上げる人いないもんね。

監督のお話に興味深い発言があった。キーワードは「2001年宇宙の旅」という映画だと。主人公直樹はこの映画が一番好きだという。このわけがわからない映画を昔はわかった。だけど、今はわからなくなった。だけど、この映画が好きというところがポイントだと。確かそんな題名の映画があったことは知っているがどんな内容だったっけ?パレードという作品を確かめる上でも観てみたくなった。

スーツ姿の竜也くん、かっこよかったなあ…

ショック・・・

2009年09月17日 | 映画
いよいよ、今日は、「カイジ」の試写会だ~!用事ができたからと早番を変わってもらい、銀座へ出陣!18:00開場まで、時間があったので、つきあってくれたお友達と腹ごしらえ。15分ごろ、会場に到着した。映画館入口からから階段下まで行列ができていたので、流されるまま列に並ぶ。

…と、しばらくしたら、係員がなんやかんやと叫んでいる。

「本日は、定員の600名にもう達しておりまして、今、席をつめて調整してますがあと10名様ほどしか入場できません!」

「えっ?今、なんと、のたまった??」

「本日は、すでに会場は満席になっております。消防法により立ち見はできません。席をつめておりますが、葉書にも書いてある通り、今お並びいただいているお客様全員は入場できません!」

「そ、そんな、御冗談を~~、どこに書いてあるのさ」

とよ~く目を凝らしてみると、小さく「満席の場合は入場できません」との一文があった。確かに、確かに見逃していたよ。でも、でも、先着順とか書いてないじゃん。ご招待だよ、抽選に当たったんだよ、入れるのが当然じゃないの??

ざわ・・・ ざわ・・・ ざわ・・・ざわ・・・ざわ・・・ ざわわわわ・・・・・・・

一同に動揺が走る。「もしかして、目の前で入れなかったりしてね」という言葉がとびかうが、列もじわじわ動いていたからその時はまだ楽観視していた。

しかし、はる~か前方で、ぴしゃりっとシャットアウトされた模様。スタッフがあたふたしている…。

「まさか、マジ?こんなことって信じられな~い…怒!」

でも、本当に入れなかった。無常にも開演時間は過ぎてしまった。階段にたたずむ私たち。ざっと100名ほどはいたんじゃないかな。そして、文句の嵐。ほんと、責任者だせ~って感じ。だって、何枚、招待状を配ったのよ。「TV報道があったから、予想以上のお客様で…」なんて言い訳したって、届いたのはだいぶ前だよ。ということは、そんなに来ないだろうって予測してたわけ?役者にとっても失礼だ!竜也くんをみくびるんじゃな~い!もうひとつ、腑に落ちないのは、時間前に来ているのになして満席になっているの?18:00前に開場したんじゃないの?ぶ~ぶ~言ってもらちがあかないけどさ。

結局、後日の試写会に振り返るなんて話もでたけど、東京はもうないそうで、前売り券郵送で決着した。はあ、往復交通費はどうしてくれんのさ。悔しいから、お友達と銀ブラして、お茶して帰ってきた。こんなことってあるのね…。テンション下がりまくり。明日のお仕事にさわらないように気をつけなくっちゃ。

おくりびと

2009年08月09日 | 映画
雨が多い夏だ。日が照ると、蝉たちがここぞとばかりに鳴き始める。「俺たちの出番がないじゃないか」と。その傍らでは、すでにトンボやバッタが飛び交っている。自然界も混乱しているみたいだ。

連日、湿度が70%から80%もある。この蒸し暑さに、体力、知力の低下を感じてバテている。突然、大汗が出たり、肩が凝ったり、ぼうっとしてしまったり、ブルーになったり…。これが更年期というものなんだ。老いるということに、ときどき危機感を感じて怖くなる。これからの10年間、いろいろなことが起こるだろう。自分としっかり向き合っていかなきゃならないって。

ちょっと、情緒不安定?な夜、「おくりびと」を見た。わかりやすい、清々しい、心打たれる。さすが海外でも評価されただける作品だった。死は旅立ちであると。火葬場で遺体が燃やされる紅蓮の炎と、飛び上がる真っ白な鳥の群れが重なりあう場面が出色で、本当に魂が旅立っていくようだった。

燃やされてしまえば、同じ灰になってしまう棺にもいろいろランクがある。どの棺に入りたいか死んだ本人は決められない。「人間、最後の買い物は他人が決めるのよねえ…」というのが言い得て妙だった。

幼いころに、家族を捨て愛人と疾走した父に、遺体として30年ぶりに再開した主人公。手には、昔、自分が父に送った石文の“石”がしっかり握られていた。親が子を思う気持ちは子が思うより深い。いろいろあったわだかまりがこの一瞬に消えて、おぼろげだった父の顔が蘇る。そして“息子”として父を納棺する。言葉のない和解を得てこの親子関係は終結する。私もこういう別れがしたい…。

もうすぐ、お盆だ。人は死してもなお旅を続けるのだろうか…。それとも、本当に土に帰って無になるのだろうか。生きている私にはわからない。だけど、日本古来の死者に対する想いを、こうやって改めて知ると、迎え火や送り火も大切な行事なんだなあと思えてくる。

チェ・ゲバラ

2009年04月18日 | 映画
場末にある地元の映画館、スクリーンも小さいしシートも古ぼけているけど、このひなびた感じが良い。就職したてのころ、ここで映画をよく観ていた。チェッカーズとか、マット・ディロンとか、ケビン・ベーコンとかハリソン・フォードとか…。なんじゃい、この一貫性のない並びは。あの頃は、入れ替え制とかもなかったから、途中から入って2回観ちゃったりもした。平日夜なんか、灯りがついて回りを見渡すと誰もいなくなっていたなんてこともあったっけ。

チェ・ゲバラを観に、久し振りにこの映画館へ行ったらやっぱりあの頃と変わらない雰囲気で妙に嬉しかった。週末だからお客さんもそこそこ入っていたが、隣に荷物を置いても両サイド2,3席以上は空いているというくらいのガラガラ度で快適だった。

ゲバラは生涯、戦う人だったんだね。安住を捨てて、自ら、厳しい内戦の地へ飛び込んでいく。貧しい人々のために、思想の改革のために。彼にとっての正義は革命だった。ゲリラ戦を観ていてふとビン・ラディン氏を思い出した。彼もまた、自らの“正義”のために今なおどこかで戦っている。不平等の中から、平等への闘いが生まれれば、平等社会の自由競争から格差が生まれる。難しいね、世の中って…。

山中で捉えられたゲバラが監視兵と言葉をかわすラスト場面が印象的だ。若い監視兵の「共産主義者でも神を信じるのですか?」という問いに「人間を信じる」というゲバラ。その翌日、処刑よる死が訪れる。ゲバラが死に絶えていく目線を映像が辿るところがリアルで哀しい。麻布にくるまれたゲバラの遺体がヘリにのせられて去っていく。もの悲しくも不思議と明るく乾いた南米音楽が流れてエンディング。

アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア…、実は、10数年前から保育園に南米の子どもたちがいる。生活ができないから日本に働きにきている。治安も悪い、人身売買もある、インフレで通貨が日々かわるなどという話を昔、おかあさんたちから聞いたことがある。日本はいいと。彼らは、日本人がやらないような厳しい労働をして国に仕送りをしていた。そんな日本も今は働き口がなくなってしまい大変になってしまったけど。

南米がたどってきた歴史って私はほとんど知らない。太古の昔、マヤ文明を作りだした神秘の土地柄。これを機に、まずは原作を読んでみようかな。

新訳 ゲバラ日記 (中公文庫)
チェ ゲバラ
中央公論新社

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香港映画

2008年09月13日 | 映画

就職したての20代のころ、一緒に組んだ先輩が、ジャッキー・チェンのファンで「プロジェクトA」とかいう香港映画を観にいった記憶がある。あの頃、アクション映画は花盛り。日本でも千葉真一率いるJACが活躍してた。でも、ジャッキーのアクションはJACよりもスピード感があってすごかった。ストーリーはあまり覚えてないけど、勧善懲悪もので素直に楽しめたと思う。 映画以外のジャッキーはとても温厚そうで、日本でも大人気。一時期、横浜駅に中華料理屋さんも開業していた。もちろんそれもしっかり食べにいった。ジャッキーお勧めの“なんとか麺”はなかなかおいしかった。

先日、友だちに誘われて、久々にインビジブル・ターゲットという香港映画を観た。そしたら、なんとジャッキーの息子さんが出ているではないか。ジェイシー・チャン、お父さんにそっくりだ。その他の役者さんもなかなかいい面構えでかっこいい。私は、アジアの役者さんをよく知らないので、この人は渡部篤朗、この人は柳葉敏朗、あ、谷原章介もいるじゃんと脳内で日本の役者さんに変換しながら観ていた。

主役3人は25,6歳、まさに、花男世代、竜也くんとも同世代の俳優さんだ。日本だけじゃなく、アジアでもこの世代が映画を面白くしているんだ。勢いがあって、波に乗ったらつき進める年頃だものね。ここから30代、40代に向けて残っていくのが大変だけどさ。でも若さって素晴らしい。

ジャッキーの息子さんはキャラ的に順朴な好青年。アクションだけでなく芝居でも売ってる感じで、泣かせどころを担っていた。ストーリーはあってないようなもんで、息をもつかせぬアクションが見どころ。カンフーの回し蹴りなんか軸がぶれてなくてきれいなんだわさ。そこまでなぐったり蹴らなくてもいいだろうぐらいしつこく攻めるし、どう考えても死んじゃうだろうくらいの危機が何度もあるのに、なぜかみんな生きてるし。お国柄というか気質なのかな。北京オリンピックのセレモニーがオーバーラップした。考えたことはすべてやりつくす。無駄なものでもそぎ落とさない濃さがあるんだよね。手を抜かないしつこさに脱帽。突っ込みどころも満載で、とても面白かった。


闇の子供たち

2008年08月13日 | 映画

闇の子供たち (幻冬舎文庫)
梁 石日
幻冬舎

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もし、世界が100人の村ならば…

高等教育を受け
パソコンを所有し…

親戚が戦死するとがなく
奴隷であったこともなく
拷問にあっておらず

冷蔵庫には食べ物があり
クローゼットには着る服があり
頭の上には屋根があり
寝るところがある

そのうえ銀行預金があり
両親が健在なら・・・

世界の最も裕福な上位8人の中に入る…

このあたり前の日常を、当たり前と享受してはいないだろうか。世界には残り92人の現実がある。しかし、飢餓で、貧困で、病気で、今この瞬間にも命を落とす子どもたちがいるということを聞いてはいてもどこか遠くの出来事のようにしか感じられない。

映画「闇の中の子供たち」を観た。人身売買、児童売買春、臓器密売…、児童の人権侵害や虐待の暗部が、平和ボケしている日本から地図でたった“20㎝”の場所で起こっている事実として淡々と描かれる。

臓器密売を追う新聞記者
理想に燃えNGO活動に身を投じる女性
現実逃避気味なフリーカメラマン

登場する日本人の三者三様の視点から、この現実を受け止めさせる。心臓病のため大金を払って臓器移植を受ける日本の子ども、親に売られ、生きたまま臓器提供者となるタイの子ども、この二人の命の重さは変わらないはずなのに何故このような矛盾が起こってしまうのか。貧困ゆえに子どもを捨てざるを得ない親たち、その弱味につけこんで性的快楽にふける、モラルのかけらもない病んだ先進国のおやじども。ブローカーをするタイの青年も、幼いころ性的虐待を受けたというトラウマを持つ。どうにもならない奇奇怪怪な世の中が浮き彫りなっていく。事実は事実として伝える。それ以上は何もできないとクールに言い放つ記者だったが、事実を知れば知るほど、ジレンマに陥り、ついには自ら命を断つ。漠然と、自分も同じ状況にあったら、きっと狂ってしまいそうだなあと思った。死にさらされたこともなく、温い世の中で育ってきた人間にとって、子どもたちの命が大人の都合で物のように売買されることはあまりにも衝撃的で悲しいことだ。

彼らは、自分の意志など関係なく、預かりどころも知れないところで、突然、命が絶たれてしまう。普通に生きていれば、天寿を全うできるということが、どれだけ稀有なことなのか、そんなことも考えさせられた。



“光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。”



この映画、感想を書くのが難しい。一昔前は、“まびき”とか“姥捨て”など、日本でも似たようなことは行われていた。貧しさが引き起こす様々な問題に、人間のエゴが結びついていく…。人間は化け物にもなり得るんだな。

さて、坂本監督、「カメレオン」で興味を持ったがさすが社会派と言われるだけあって硬派な作品だった。これはお涙ちょうだいなんかでは絶対まとめられない、人類の課題ともいうべきテーマだもんね。途中、監督も発狂しそうになったとあるが、まんざら嘘でもなさそうだ。よく映画にできたものだと思う。

日本俳優陣も検討していたが、ブローカーのチット役を演じた、プラパドン・スワンバンというタイの俳優さんがとっても良かった。影のある、悪役がハマっていた。阪本監督、好きそうなタイプだな。あと、わすれちゃいけないのが豊原さん。カメレオンのボスとは違って、普通のエリート役が似合っていた。今度、蜷川さんのお芝居にも出演されるから、ちょっと注目だわ~。