くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

身毒丸

2008年03月30日 | 藤原竜也
蜷川さんを追いかけた週末、最後はやはり身毒丸なのだ。どんな芝居を見ても、今は身毒丸に帰りたくなる。いや、帰らなきゃいけない。

公演も折り返し地点をすぎ、いよいよ直線コースに入った気がする。なんか、すべての瞬間を止めてしまいたい。今日の身毒は、切なかったな。ずっと泣いていた。穴のシーンからラストまで、迫力も凄味も増していた。撫子の女の全てを目覚めさせてしまう身毒。二人のからみがかなり色っぽい。 竜也くんだから、白石撫子もあんなにかわいくなれるんだろうなあ。二人の信頼関係はゆるぎない。でも、まだまだ竜也くんに負けていない、白石さんにベテランの余裕が感じられる。演劇の道は果てしないのよと体現しているようでもあり、プロフェッショナルなんだなあって思う。役者藤原竜也にとって、最初が白石さんと、蜷川さんだったということは、厳しいけれど幸せな重みでもあるんだなあ。

如法暗夜の墓の船。
いつか、いつですか、ゆうべか、今夜か、前世でしょうか、
私たちだけが、舵も櫓もない船に乗せられて、波に流されました。人の海に漂い出ました。世間という名の蓮華灯籠。


ラストの撫子の台詞が響き涙がでてきた。 そして、雑踏にまぎれ、闇に消えていく二人…。

カテコは3回、割れるような拍手。だけど、竜也くんは笑顔があまりない。身毒丸を生きてしまったから?それとも、雨が降って、花見という名の飲み会ができなくなったから?(参考:共演者さんのブログ)竜也君にとっても特別なこの作品だから、ラストまで瞬間瞬間を大切にしたい想いがあるのかもしれない。

覇王別姫

2008年03月30日 | 観劇
ゴールドシアター終了後、りんかい線直通に乗って、一路、渋谷へ向かう。舞台のはしごは実ははじめて。頭がついていかれるかな。

この覇王別姫は“華流”フリークの同僚が見たいというのでチケットを取った。ジャニーズのヒガシだからまともにとれないと思ったら文化村先行で、なんと最前列がとれちゃった。これが、竜也くんの舞台だったらなあなんて思うことはやめにして、何の障害もない舞台直前の席についた。開場から舞台上では京劇のウォーミングアップが始まっている。目の前で若いお兄さんたちが、バック宙はするは、側宙はするは、すごい迫力で、怪我しやしないか、疲れやしないかひやひやした。世の中には運動神経がいい人ってたくさんいるものなのねえ。

さて、舞台の方は、いきなりヒガシが歌い始めてびっくり。これって、ミュージカルだったんかい。脚本が岸田理生さんで見毒丸とかぶるから音楽はあるのだろうと予想はしていたが、役者が歌うとは思わなかったよ。なんか帝劇の縮小版みたいだ。同僚もあんぐりしてた。あの、格調高い映画が舞台になると、こうなるんだ~ってある意味斬新でもあった。舞台って、象徴するエピソードをダイレクトで伝えなきゃいけない。冒頭の母親に指を切られる場面が、別姫の生きざまに深く関わってくるというのがよくわかった。

ヒガシは相変わらず、美しい。とても同世代には思えん。動きにも切れがあるしスターの風格がある。以前、ピラティスの先生が雑誌の取材で教えたことがあるそうだが、存在そのものが『ヒガシ』でとてもいい人だったと言っていたっけ。すきもないし非がない人なのよね。そんなヒガシの魅力を最大限にひきだそうとした蜷川さんの愛あふれる演出を感じたよ。

相手役の遠藤さん、舞台経験はあまりないようだけど、かなり良かった。なかなか存在感があるししぶいじゃん。歌はいけてなかったけど。でも、アントーニオ徳馬さんはもっとすごい。あのメンツの中に入ると舞台俳優、それも蜷川組の凄味があって格が違う。またまたホモセクシュアルな役を熱演。竜也くんよりもヒガシとの方がらしく見えた。

初の最前列は首が少々、疲れた。でも、汗とか息づかいいとかが、とても身近に伝わってきたし、カーテンのロープを必死で引いてる様子や山車を動かすところなど、舞台裏も見れて面白かった。京劇役者役の腹筋の鍛え方なんぞもチェックできたし…、これってかなりマニアックよね。

だけど、音楽、脚本が同じ身毒丸の方が断然にいいよ。やっぱり、蜷川さんにもここ10年で失ったものがあるんじゃないのかな。自分で自分をジャッジする大切さを知っている蜷川さんだから感じているものはあるだろう。だけど、絶対に引き下がらないというのもわかる。だから、これからも目を離さずに見ていきますよ~と巨匠にも期待をこめてエールを送りたい。

想い出の日本一萬年

2008年03月30日 | 観劇
さいたまゴールドシアター、あの方たちの行く末をなぜか追いたくて今回もはるばる観にいってしまった。大劇場では身毒丸をやっているのになあと思いながら、会場の大稽古場へ。ここで、身毒丸も稽古していたのかなあ。それが、今日は芝居小屋へ早変わり。椅子が置かれ、暗幕が下げられている。

開演時間になり暗転して幕が開くと、目の前に卒塔婆の山が現れた。卒塔婆を見ると見毒がシンクロするじゃないの。その山の頂に死んだ三男の恋人を訪ねてきた、父子がいる。恋人が彼の死にざまを話すうち、いつしか、山の中から大勢の老若男女が出てきて、それぞれの想い出を語り始める。

大勢の声が重なり合う様子が、まるで恐山の潮来のようだ。あるものは戦災を、あるものは震災を、またあるものは学生運動をと、ひとそれぞれ違った人生の歩みが鳴き声や叫び声になってこだまする。どの人の想い出も、なんでみんな悲しいのだろう。各世代ごとに、共感する想い出は違う。だから、観ている側にも、さまざまに響いてくるものがある気がした。

彷徨う霊魂を、成仏させるがごと最後に読経の響きが包み込む。これぞ、清水邦夫ワールドという感じで私は好きだ。「タンゴ冬の終わりに」の時に流れた音楽が随所に使われていて、また芝居を盛り上げていた。

70才を超えた役者が声を振り絞り、卒塔婆の急斜面を上り下りする。その動きは軽快で老いを感じさせない。みんながこの芝居に集中力とエネルギーを注ぎ込んでいるのに感動した。高齢化社会のただなかに、ゴールドシアターはとても勇気ある意味あることを提示してくれている。

人はみな、必ず老いていく。こんな、必死に、素敵に老いられたらってうらやましくもあるが、その影にたくさんの努力もあったのだろう。平均年齢67歳の挑戦に惜しみない拍手とエールを送りたい。

なんでやねん~

2008年03月23日 | 日常あれこれ
リフォームして少し、収納スペースが増えたので、2階に置いてある本やらビデオやらを整理して下に下ろすことにした。耐震のためにも、2階は軽くし置いた方がいいらしい。で、スポクラ帰りにダイソーに寄って、プラスチックケースを見てみた。以前、購入したものと全く同じものはないということはわかっていても、サイズや形が多少、似ているものならあると踏んでいた。なのに、なのに、まるっきりないじゃないのさ。文庫本用やビデオ用のケースとかものなくなってやんの。

なんでやねん…。

そりゃあさ、時代はDVDかもしれないけど、捨てられない大事なビデオだってあるのよね。(もちろん、竜也くんがらみのもの)

みんなだって、同じケース、欲しいと思うよ。10年くらい変えないでほしいな。仕方ないから、中から一番、欲しいサイズに近いもの、もしくは組み合わせて同じくらいになるものを購入してきた。ま、入れてみたら案外おさまってくれたけど。

意見が合わない母娘だから、てんでばらばらに自分のエリアを整頓中だけど、なんだか少しは片付いてきたぞ。だから、○ックカメラで、液晶TVを見学。洗濯機は母が買うというから私はTVの方を担当。いいなっ、いいなっ、アクオス~ 夏ごろになるとまた新しいのが出てくるのかな。見ちゃうと欲しくなっちゃうよ~

桜の季節

2008年03月22日 | 日常あれこれ
冬は寒かったが、春は早くきた。確か、去年は今頃、寒のもどりがあり、早々とダウンコートをクリーニングに出してしまったことを後悔したものだ。あれほどの戻りは今のところなさそうだ。街ゆく人は、みんなスプリングコートになってきたもんね。私は、寒がりだから、セーター、ばばシャツ、スパッツからなかなかおさらばできないでいたが、さすがに今日は、綿Tシャツでも大丈夫だった。いい気候になってきたなあ。

保育園の桜の木の蕾が何気にピンクになってきたなと思ったら、週末、1個、花を咲かせていた。この調子だとどんどん開いていきそうだ。花が咲いて、鳥が鳴く…山を野を里を春は薄いベールのように覆っていく。春が来たという歌はそのものズバリのことを言っているけど、春が来るたびに子どもたちと共に歌っている。春は嬉しい季節だものね。

工事やら、父の入院やら、はたまた観劇やらで気忙しくして、エアロも少しさぼり気味。久々のジョギングエアロはとても楽しかったけど、ちとバテた。やっぱりコンスタントにやらなくちゃだめね。それなのに、体重が減っていた。ビールを控えていたからな。それとももしかして、筋肉量が落ちたのかな?筋トレって大変なのに、こんなにすぐに落ちちゃうものなのかい?父も、検査が終われば、退院のめどがつきそうだから、来週はもうちょっと頑張れそうかなあ。

東京大空襲

2008年03月20日 | 藤原竜也
「ぼくらの時代」に始まり、ズームインからドラマ出演までここ数日、竜也くん祭りなのだ~。日曜、昨日と身毒丸連チャン観劇で、今日は「ヴェニスの商人」のDVDが届いて、花粉のように狂喜乱舞中である。

さてさて、ドラマ東京大空襲は、私の中では、ま、合格点かな。「中」の気持ち上という評価。「赤い疑惑」や「戦国自衛隊」よりは、はるかに良かった。たぶん、事実を詳細に取材したうえでの裏付けがあったからかな。翻弄される人間模様はちょっと美化してる?ってところもあったけど、東京爆撃炎上シーンや生々しい焼け野原シーンがすべてを物語っていた。これさえなければ、皆、幸せで、悲しい別れもせずにすんだのにと…。

竜也くんにしては、平凡な役柄だったけど、古風で病弱な青年がとても似合っていた。ちょっと事情があるいいとこのおぼっちゃんというのもね。オールバックの富士額も素敵だわ~。それが、大滝秀治さんにシフトしてしまうのも衝撃だった。演劇界つながりかしらね。きっと竜也くんも50年後には大滝さんのような重鎮になっているのかもしれない。大滝さんの無言の涙と朴訥な語りには不覚にも泣かされたよ。

日経エンタで小栗くんが語っていたけど、確かに竜也君の映像演技、力が抜けた気がする。舞台の身毒は相変わらず力強くて、観ている方も熱くなるくらいだけど、今回の博人くんは自然な感じだった。「ここから竜也は変わる」と小栗くんが言ったとおり、私も変わったと思った。やっぱり、カメレオンの坂本監督のせいかしら。竜也くんの中の未知のものが、新たな才能との出会いで発掘されたのだとしたら嬉しい限りだわ。

「ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない」
ある記者さんが竜也君に向けた言葉だけど、これかっこよすぎる。坂本監督も藤原竜也というダイヤモンドの原石にぶつかったダイヤモンドなのね。映画も何気に期待できそうだ。

太平洋戦争という事実

2008年03月19日 | 日常あれこれ
終戦から60年以上の時が流れた。私の両親は、昭和一桁生まれで、学童期に太平洋戦争を体験している。凡庸な、一国民として、教育勅語を覚え、国民唱歌を歌い、学童疎開をしながら、お国のために、天皇陛下万歳という価値観の中で育った。暑い夏の日の玉音放送は、子供ながらに記憶にあるという。神だった天皇が人間になり今までの価値観がひっくり返されたあの日の暑さは特別だったと。

私たち戦後世代はこの戦争を学校の教科書の中で学んだ。それは、とても衝撃的で恐ろしいことでありもう二度と戦争を起こしてはならないという意識を植え付けられた。空襲でたくさんの人が亡くなったり、食べるものがなくて困ったという話を聞き「本当にそうだったの?」と尋ねると、両親からは「そうだよ、そんなの当たり前。だって、みんなそうだったんだから」と冷静な答えが返ってくる。さつまいものつるから草の根っこまで食べたし、おだんごが入っていないすいとんをすすった。あの頃は白いご飯なんかなかった、だから食べ物を粗末にするなとよく言われたものだ。

母は高校野球の試合開始のサイレンを嫌う。空襲警報を思い出すからだ。夜、部屋を明るくしたがらない。敵機来襲がいつあるかわからないから、夜はいつも暗闇だったのだ。そして、なぜか、さつまいもが好きだ。秋になると必ず、さつまいもがホイルにくるまれてストーブに上に乗っている…。

父は召集がかかるにはまだ幼い年齢だった。だから、お国のために兵隊に行ったちょっと上の世代に憧れがあったようだ。当時のヒーローは、ウルトラマンでも仮面ライダーでもなく兵隊さんだった。今でも、時々、三船敏郎の戦争映画を見たり、軍歌のテープを聞いたりして、懐かしんでいることがある。

そして、実際に戦地に赴いた叔父たちは80代を迎え、天国へと旅立っていった。70を過ぎた両親の中に残る、戦争の記憶。もうこの世代が、最後の生き証人なのだ。そして私たちも体験者から事実を聞ける最後の世代になるのかもしれない。

誰が悪かったのか、何がいけなかったのか、そんなものはわからない。ただ、多くの人が焼け出され、愛しい人とも引き裂かれ、大切なものを失い、気も狂わんばかりの悲しい思いをしたという“事実”の重さは変えられない。

ぽかぽか春が・・・

2008年03月15日 | 日常あれこれ
ぽかぽか春がやってきた
 かわいいももがふくらんで
 ニコニコ笑顔でいいました
 もう春ですよ、春ですよ

最近、あまり歌わなくなってしまったけど、春がくるとこの童謡を思いだす。

ここ数日、いきなり小春日和だ。今日なんか、セーターもコートもいらないくらいの陽気で何を着ればいいか迷っちゃったよ。明るい陽射しの中に、花粉も狂喜乱舞中。薬を飲んでも、朝夕、くしゃみと鼻水の“発作”に襲われる。

思い起こせば、1年前は花粉の涙と異動の涙でぐしゃぐしゃだったなあ。1年たって、慣れたのか慣れてないのか、まだよくわからない。私の場合、前の職場がとても長かったのでそれと同等になるには、まだ長い年月が必要そう。でも、環境も違うしスタートも違うから、同じキャリアはもう積めない。だから、新たなものを積んでいかなくちゃいけない。来年度も正念場には違いなのである。

もっと勉強しなくちゃなあとは思うものの、明日からは待ちに待った竜也ウィークが始まっちゃう。身毒丸観劇も入っている。またまた、現実から逃避行モードに突入しそうだ~

掃除にハマる

2008年03月15日 | 日常あれこれ
はあ、なかなか荷物が片付かない。工事が終わって引き渡しが終了し、あちらこちらから荷物が各部屋へ戻ってきたが、母も私もいまいち、収納下手なのだ。加えて意見も合わない。「これはこっちに入れたら」とか「こうしたら」とかいう話をしてると、何故かそのうち喧嘩になる。ま、母の家だから、どうぞって易々と引導を渡してしまったよ。

今日は、朝から、冷蔵庫と風呂掃除。久し振りに、冷蔵庫のラックを全部をはずしてせこせこ洗う。そうしたら、裏側だの隙間だのに埃や汚れを発見してしまった。メラミンスポンジでひたすらこすって磨いたよ。取っ手の溝から、引き出しの裏側まで、どっぷり掃除にハマってしまった。かれこれ、2時間かけてやっと下の段まで終了。我ながら、綺麗にになったじゃんと自己満足した。これで、やっと食糧も買いに行けそうだ。納豆、牛乳、卵を買い込んでこようっと。

毒を食らわば…

2008年03月08日 | 藤原竜也
家は工事中、父は入院…、だけど行っちゃう「身毒丸」~
こんな、私っていけないからしらと、ちょいと罪悪感…にゃっ、そんなん大丈夫!私だってリフレッシュしたいもん

いよいよ、さいたま初日の幕が開いた。泣いても、笑っても、これで最後なんだ。開いてしまえば、あっという間だとういうのがわかるから、なんか感慨深い。観る側としても、1公演、1公演、その瞬間を噛みしめて、目に焼き付けておきたいような特別な思いがある。

今回は、あえてオペラグラスを封印。舞台全体に集中するように心がけた。オープニングの身毒丸の姿はとても少年に見えた。名古屋のときよりも、死んだ母を思う切なさがしっくりしてた。

中盤の迫力はますます増している。撫子の七変化が加速している。白石加代子さんのふくよかさから漂う独特な色気。女の全てをさらけ出すパワーに圧倒される。「身毒丸」って撫子の中にある女の性を目覚めさせてしまうのよね。妻になろうとし、母になろうとして、夢やぶれ、家を捨て、ひとりの女になっていく。そんな毒を私も食らっちゃった感じがする。大楽までに、一体どこまで進化していくのだろう。確かにとてつもない化け物が生まれている。

終幕後、一瞬の沈黙…。あの間は不思議だった。みんなが身毒の毒にあたったかのように。それから割れんばかりの拍手、ブラボーの声、そしてスタンディングの嵐。この場にいれて良かった。

さいたま初日ということでロビーも華やか。竜也君、活躍の場が広がったせいか各方面からのお花が多くになった気がする。唐沢さん、河合祥一郎さん、金子監督、堀北真希ちゃん、その他、テレビ局や出版社までいろいろあった。ホリプロのおえら方も勢ぞろい。よくパンフレットのご挨拶に出てるから、社長とかプロデューサーの顔、覚えちゃったよ。大盛況で、ホリプロとしても万々歳だろう。願わくば、かもめも良席をちょうだいね。

さ、明日から、仕事も家の片付けもがんばるぞ~!