くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

塗装

2010年08月30日 | 日常あれこれ
歳とると、はがれてくるもんがある。
化けの皮?角質?にゃっ、髪の毛のカラーだ。
この暑さで、かな~り短くカットしてもらったから、2か月たっても長さはさほど気にならなかった。でも、ある日、髪の毛をかきあげたら・・・・
我ながら、「ギャ~~」と言うほど、根元が白くなっていた。上部の髪の毛をおろして、カバーしていたけど、もう限界だ。
給料を、もらえたから、美容院で念入りに染めてもらった。ついでに、また、短くしちゃった。
シャンプーも少しでいいし、乾かすのも楽じゃ~。

気分も良くなって“ひとりランチ”

  

はい、至福の時間でした~。

食べちゃったから、ジムでひとっぱしりして、初めてフラのクラスにでた。
いつも、エアロをしている先生が、イベントでフラをやったのだ。
カホロ、カオ・・・????いろいろなステップ名が出てきたけど、ようわからん。
フラはカ行が多いのね?
でも、踊りの中にストーリーがあって、なるほど、自然と共存していきたハワイ民族の踊りだなあって思った。
ちゃんと、体を鍛える要素も入っているし、こりゃあ、奥深い。
マダム達がハマるわけがわかったわ~。



黙阿弥オペラ~東京千秋楽~

2010年08月22日 | 藤原竜也
井上さんの戯曲自体が良いし、初日から完成度が高かったから、ものすごい進化はなかった気がする。ただ、抜群のチームワークというか、あうんの呼吸が心地良く、いつ見ても感動させられた。

そこで、独断で役者編をつらつらと…

おとらばあさん&おみつさんの熊谷真実さん。



私にとっては、「マー姉ちゃん」のイメージが強烈で、明るく元気な女優さんという印象だ。今回の二役は素晴らしい。特に、ガラは悪いが心根がいいおとらばあさんは女五郎蔵だね。このばあさんが手塩にかけて育てた孫娘がおみつだというのがとても納得できる。おみつは、清楚でたおやかで、人の痛みがわかる女性だ。おとら亡き後、株仲間を陰ながら支えていく。そんな汚れ役と娘役の対比を見事にこなしていた。

バラエティーなどでも活躍している真実さんだけど、デビューはつかさんなんだね。そして、つかさんの元奥さんでもある。井上さんの追悼公演中につかさんも逝ってしまわれた。すごい演劇人と関わってきた女優さん、これからも舞台で輝いてほしい。

河竹新七こと、しんちゃんの吉田鋼太郎さんは、常に安定していた。



きぜわものとして、世を写せるずんぐりむっくりの役者というのは吉田さんのことじゃないのかなあ。井上さんの遺志の全てを伝えてくれた。品のいい新七として、控え目に、だけど時に熱く語る説得力ある存在感が圧巻だ。ときどき、おからをぼろっとこぼしちゃのうのが、鋼太郎さんらしかったけど。

円八師匠の大鷹明良さん、いぶし銀な脇役タイプで、役柄としっくり合っていた。



身投げや久治の、松田洋治さんは言わずと知れた元天才子役だ。



昔、よくドラマで見ていた。小さいのに上手いなあって。そんな彼も40歳を超えたんだね。見かけは相変わらず若いし、小さい頃の面影も残っている。地道に舞台でキャリアを積んでいい役者として生き残ったんだね。

ヒロインのおせんは内田慈さん。



初め、内田滋くんと勘違いしてた。だって、シェイクスピアで女役やってたし。しゃべり方が舌足らずで、「アイ~ン」な感じがしたけど、おじさんたちのかわいいアイドルな感じが良くでていた。でも、おせんはかわいいだけじゃなくって、賢いし、時代の先端をいく女性。成長後のおせんはとても難しいと思う。この大役を演じたことは、彼女の転機になるだろう。欲を言えば、歌をもうちょっとがんばって欲しかったなあ。

及川孝之進の北村有希哉くん、天然ボケの旗本役がハマっている。



吉田&藤原ともバランスが良くで、この三人の信頼関係は熱いんだなあって思った。オレステスの時よりも、全然違和感がなかったもの。彼も、偉大な父の遺志を継いで成長し続けている。舞台映えもするし、声もいいし、間も絶妙、天性のものが感じられた。

最後は、五郎蔵の藤原竜也くん。



滑舌もいいし、声もよくでているし、セリフ回しも自在で、活き活きとしていた。ここまで、出来てしまうのはお見事。やはり才能なんだろうね。だけど、この役は器用にこなせるだけのもんじゃないと思う。あれだけ、深い戯曲を書く、井上さんが望んだということは…、もっともっと乗り越えるべき高いハードルが託されている気がする。それが、今公演で、見つけられれば、再演につながっていくことだろう。

さて、千秋楽といえば、カテコだが、と~ってもあっさりしていた。栗山さんの千秋楽はだいたい、いつもこんなもんだが、みんな、余韻に浸って穏やかに拍手を送っているという感じだった。どちらかと言えば、初日の方が盛り上がった。
で、竜也くん、さっさと衣装を脱いじゃったみたいで、3回目のカテコに出てこない。んな、早く脱がんでもいいんでないかい?だって、他の出演者はそのまま出てきてくれたんだよ。君のことを待っている多くの“御見物衆”がいることを自覚して~。鳴りやまない拍手に応えて、や~っとのことで、ジャージを履いて出てきてくれたけど、バツが悪そうだったな。鋼太郎さんにつっこまれてたしね。演技者として、このところ落ち着いて大人の俳優になりつつあるんだから、人間としても、もうちょっと落ち着いてみたら?っておばさんは思ってしまったよ。もう28歳なんだからさ。別に、観客にこびなくてもいいんだけどね~。


邂逅

2010年08月19日 | 日常あれこれ


「天保十二年のシェイクスピア」で出会った、井上ひさし氏の戯曲。だじゃれや言葉遊びが満載で、どちらかと言えば、軽くて面白いという第一印象だった。その後、「藪原検校」「道元の冒険」「表裏源内」などを観るにつけ、膨大な言葉の重なりや、奥深さを感じ始め、「ムサシ」「黙阿弥オペラ」「父と暮らせば」で氏の根幹である「むずかしいことをやさしく」という作風にハマる。

個人的には、シェイクスピアとかギリシャ悲劇みたいにドラマチックでドロドロした作品の方が好きだ。なんてったって、ベルばら世代だもんね。風体だって今はやりのイケメン流行作家とはかけ離れている。はっきり言ってタイプじゃない(失礼!)。でも、どこか私の心に中に氏の存在がひっかかる。今まで何故この偉大な作家に興味が持てなかったのだろう。やっと最近、数ある名作をぼちぼち読み始め、「四十一番目の少年」という自伝的小説を知った。どこにも、笑いがない悲しい物語が衝撃だった。

私の両親とほぼ同世代の井上氏は、あの時代、みんながそうだったように、恵まれない幼少期を養護施設で送っている。氏のユーモアは、そんな辛酸をなめたが故に生まれでたものでもある。この本の解説に、「人はあまり悲しくなると笑いだすものである」とある。悲しさに敢えて蓋をしようとする。ある意味、現実逃避とも言えるが、あまりにも悲しい体験を重ねるとそうでもしない限り精神のバランスが崩れてしまうだろう。いっそ、狂ってしまった方がどんなに楽だろうか。加えて、井上氏の故郷である山形県人には内閉的な分裂性気質が多いそうだ。それが人を笑わせることを好む噪鬱性気質と複合すると、笑いに熱中する性格はよけい強烈になるそうだ。

実は、私の父も山形県出身だ。元職人ということもあり、寡黙で口下手だけど、芯だけはべらぼう強い。心臓の手術をしてから早十年、黙々と自分で決めた日課をこなしている。頑固なまでのこだわりと意地は、山形人気質なのだろうか。そして、私の中にも流れる、山形人の血が、井上氏の何かに反応したのではなかろうか。今、氏に惹きつけられていることに不思議な縁を感じるのだ。江原さん式に言わせれば、前世にどこかで会っていたのかもしれない。

黙阿弥オペラに「御恩送り」の話がでてくる。
株仲間のお金で綿入れを買う。→古着屋は綿入れを売ったお金でお米と漬物がかえる。→漬物屋も喜ぶ。
恩は人を伝っていく。人の思いというものは、時空を経ても届く。

井上さんはホリプロの会長と仲が良かったみたいだ。ある意味、ホリプロと組むことは、恩返しでもある。こまつ座の公演にしては、チケット代も高く、出演陣も異色の黙阿弥オペラだが、日々、満員御礼の会場で頭を下げているお嬢様を見るにつけ、最期にこの公演を望んだのはこまつ座の客層を広げ、次代へつなげていく、父の想いがあったのではないかと感じてしまう。そして、その先には心の按摩にかかり感動を受け取る観客がいる。これも御恩送りだなあと思うのだ。

私の心の中に落ちた井上さんの種。
平和とは、非戦とは、そして幸せとは何かを感じるために、来月、大阪遠征の折に広島へ足を延ばしてみることにした。

とりあえず・・・達成!

2010年08月18日 | スポーツクラブ
お休みをもらっちゃいました。この暑さ、やっぱり若い頃より堪えている。休める時は休まないとね。給料ダウンが甚だしい、我が職場だけど、定時に帰れて休みがもらえるところだけは良い。心おきなくプライベートに没頭できる。割り切れないこの仕事だから、これって結構、重要なことなんだよね。上手く、切り替えをしなくては…。

午前中、少しゆっくりしようとしたけど、朝から気温が上昇して、休んでいても大汗が出てくる~。部屋を片付けたら、“水も滴るイイ女”になってもうた。午後からは、マダム連御贔屓のラテンエアロで腰を振る~。情熱的なラテンのリズム、このムンムンする酷暑の空気と相まってテンション、上がったわ~

程良く、脂肪も燃えてきたところで、トレッドに乗ったら、、走り始めて10分ほどで疲れてきた~
熱中症になったらやばいから、途中、水分補給でインターバルを取る。
じわじわと足も痛くなってきたから適当なところで辞めようかと思いながらも走り続けていたら、60分が経過して8キロ地点に到達した。
そうしたら、俄然やる気がわいてきた
絶対、行ける、行ってやる~とラストスパート!ほい、ついに、初10キロ越えだよ~
「やった~」とトレッドの上でひそかににやけちゃった~

トータル、80分、10.5キロ、700キロカロリーを消費した。10キロで、700ということはフルマラソンは3000キロカロリー、100キロマラソンだったら、7000キロカロリーもなくなるわけだ…。つくづく、すげえ世界だなあ、マラソンって。ペース配分とかも考えていかなくてはならないし、足が故障するかもしれないし、その日の天候とかもあるわけだし、直感と運がないと乗り切れないよね。

でも、10キロ走れてと~っても嬉しい
念入りにストレッチをしたけど、帰り道は太ももやら足裏が痛くてよれよれだったどね。

思い起こせば、テニスも、エアロも全ては、形から入った。…ということで、ランニングシューズを買っちゃった~。



いろいろ履いてみて、やっぱりミズノにしておいた~。

ほい、自分への御褒美はもちろん風呂上がりの一杯ね。
プラス、最近、風呂上がりの1本(←アイスキャンディー)もつけている~

父と暮らせば

2010年08月14日 | 観劇
作:井上ひさし
演出:鵜山 仁
音楽:宇野 誠一郎
出演:辻 萬長、栗田桃子
池袋あうるすぽっと

  

主人公の美津江は広島の原爆で生き残った。あの朝、友も父も家も全てを失った。3年後、美津江は恋をした。生き残ったことに対する自責の念を抱き続けた3年間、ましてや自分だけ幸せになることはできないと恋を諦めようとする。そんな彼女の前に、あの世から父が現れて、幸せになれと背中を押す。

生きていることが負い目になるほど、自分の幸せを否定しなければならないほど、あの日の出来事は多くの人を傷つけたのだ。朴訥な広島弁で事実が淡々と語られると、その行き場のない怒りや悲しみが痛いくらい伝わってくる。

広島上空580メートルで炸裂した原子爆弾の温度は摂氏12,000℃、太陽の表面温度が6,000℃だから、頭のすぐ上に太陽が二つ、ほんの数秒の間並んだことになる。だから、地面のものはすべて一瞬のうちに溶けてしまった…。屋根瓦は爆風で逆立って剣山のようになり、薬瓶は熱でぐにゃぐにゃになり、時は止まった。人々は雷鳴が怖くなり、写真屋はフラッシュが閃光に思えて商売が出来なくなった。

美津江は友からの手紙を拾おうと、石灯籠の脇にかがんだから助かった。しかし、その友は、爆心地で死んでいた。友の母を訪ねると、「なんで娘ではなくあんたが生きとるん」と責められる。やはり、生き残った自分が、幸せになったりしてはますます申し訳ない。

美津江の前にあらわれた父は、本当は幸せになりたいもう一人の美津江でもあった。美津江の一番のトラウマはあの日、父を見捨てて逃げたことだった。同じ庭で被爆した父は何十本もの材木の下敷きになっていた。必死で助けようとしても駄目だった。「逃げろ」と言う父のいうことを聞けずにとどまっていると、父はじゃんけんで決めようと言う。だけど、ずっとあいこで拉致があかない。勝って逃げることが最期の親孝行だった。美津江は逃げて生き残った。だけど、美津江の心には父を見捨てたという深い傷が残る。

「むごいのう、ひどいのう、なひてこがあして別れにゃいけんのかいのう」
「こよな別れが末代まで二度とあっちゃいけん、あんまりむごすぎるけえのう」
「わしの分まで生きてちょんだいよォー」

美津江はあのむごい別れがまことに何万もあったということを覚えてもらうために生かされた。広島はここで封印されてはいけない。
美津江は前を向いて生きていこうとする。自ら幸せになろうその一歩を踏み出すのだった。

終戦から65年が経つ。
私は、まだヒロシマを見たことがない。人間の存在全体に落とされた二個の原子爆弾。その事実に目を向けていくことの重要さを改めて感じている…。

夏バテ…

2010年08月12日 | 日常あれこれ

先週まで、保育園はプール遊び期間だった。子どもを水着に着替えさせて、プールに入れるってかなり体力がいるのよね。やんちゃな男の子が多い我がクラス、ことに、裸になるとテンションがあがって走り回るし、タオルは振り回すしで、「並んで、すわって~」と言っても聞く耳など持たない。おしりを洗ったり、シャワーを浴びさせたり、階段を降ろしたりとやっとこさでプール遊びが始まるわけだが、始まったら始まったで、飛び込んだり、人の上に乗ったり危ないことをする子もいる。少しばかり、みんなで一緒に設定活動なんてのをやってみても、とにかく水に入ることが嬉しい子どもたちだから集中なんかするわきゃあないっ。ということで、ハラハラドキドキしながら見守る毎日だった。

だけど、スポクラには行ってしまう。メタボ解消?いやビールのためと日頃の鬱憤を晴らすために。

月曜日、ヘロヘロになりながらピラティスのグループリフォーマークラスに行ったら、“負傷兵”がいたので、急きょ、アドバンスマットになった。機械の力を借りれないマットはきつい。久しぶりだから、先生は意気揚々で、ノンストップでかっとばす。「汗をふいて、お水を飲んで~」という一言もなく、最期は腹筋がプルプルしていた~。

火曜日、当然のごとくトレーニングはお休み

水曜日、トレッドで走る。お隣に、幾度となく100キロマラソンを走破ている、アスリートがいてくれたから、つられてテンポよく走れた。約1時間ちょいで9キロかな。10キロまであとわずかだけど、無理はしなかった。

木曜日、飲んだ…

金曜日、寝不足で早番…。

土曜日、6キロ走って、エアロ。

そして、日曜日…。
頭痛、肩こり、気持悪っ…
もしかして、熱中症???でも、水分も塩分もとってるし、汗もでてるし…。
とにかく、肩がこりこりで、偏頭痛がして体がだるい。アンメルツを塗りたくって、頭痛薬を飲んでひたすら寝たら、翌朝、仕事に行く頃に、完全回復した…。トホホだわ~。

しかし、この暑さで、知らないうちに体力を消耗しているのかも。適度な休息が大事だね。


分岐路

2010年08月07日 | 日常あれこれ
道 程

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

高村光太郎


幼きころ、雪が降り積もった原っぱに真っ先に足跡をつけた時の、嬉しさが忘れられない。
さくさくと雪を踏みしめながら、一歩一歩、歩みを進める。きれいな足跡をつけるんだと…。
でも、途中でふと後ろを振り返ると、まっすぐに歩いて来たつもりなのに、思いのほか足跡は、ぐねぐねと曲がりくねっていた。
想いと行動はなかなか一致しない。
だけど、想ったことを行動にしていかないと、先へ進めない。

長い付き合いだった同僚が間もなく羽ばたいていく。出会った時は、二十歳だった。
思い起こせば、もう何人の人を見送ったことか。結婚、出産、転職…、私の前をたくさんの人が通り過ぎていった。
長くひとつ場所にいると、自分は見送られることなどないような錯覚に陥る。同じ側にいた人がついに離れていくことでそんな錯覚に気付く。
永遠などない。誰もがいつしか、確実に離れる時がやってくる。淋しいけれど、エールを送りたい。

人生は道。
道は自ら切り開いていかなきゃいけない…。

ケント君とカイト君

2010年08月07日 | 保育園
まだ、暑さもそんなに厳しくない6月の終わりごろ、園児がクワガタを一匹、持ってきた。自宅マンションの通路をよたよた歩いていたのを見つけたらしい。保育園で飼うことになったが、弱っているからすぐにダメになってしまいそうだ。とりあえず、箱に入れて、ラップをかけておいたところ、翌朝、箱の中がからっぽになっていた。よく見ると、ラップを引きちぎった形跡がある。脱走したのだ。誰かのロッカーとか机の引き出しとかに入っていたらどうしよう。広い園舎内、わずか数センチのクワガタが外に出られそうな隙間を見つけるのは容易なことではないだろう。職員一同、大慌てで探し回っていたら、手洗い場のバケツの底にへばりついているのが発見された。やっぱり湿気があるところを好むのだ。ロッカーの上からここへ辿りつけたのは根性、いや本能のなせるわざだったのか。なかなか生命力のあるヤツだなあと見直した。
 
このクワガタくんのために、立派な昆虫ケースとゼリーが用意され、飼育上手な若手保育士が面倒を見ることになった。ケント君という素敵な名前もついた。恵まれた環境を用意してもらったケント君、水を得た魚のように元気を取り戻し、たちまち子どもたちの人気者になる。彼を見つけてきた男の子も嬉しそうだ。

しばらくして…、他のお家からも、「カブトムシがいるのだが、保育園で飼ってもらないか?」という申し出があり、仲間が増えた。カブトムシはカイトくんと名付けられ、またまた人気者になり、ケースの周りには毎日子どもたちが鈴なりになっている有様だ。ケント君、お友達が出来て良かったねって。黒くて、固くて、その上角も生えている物体がのそのそと動き、地中にもぐったり、時にゼリーにしがみついている。子どもたちの興味は飽きることなく、目を離すと思わずツンツン触っていたりする。

さて…、ライバル出現に面白くないのか、大御所のケントくんは、カブトムシを攻撃し始めた。マンション通路から保育室脱走まで紆余曲折を繰り返し生き残ってきただけあって、喧嘩もなかなか強いのだ。自分も傷だらけだが、大きなカブトの方の傷はもっと深い。ついに、先日、カイト君が動かなくなった。体は穴だらけ…、自然界は残酷なのだ…。

子どもたちにカイト君を見せて死んでしまったことを話した。ムシさんには「かんがえる頭」や「やさしい心」がないから…、生きていくために、強いものが弱いものをやっつけちゃう。でも、みんなには、「かんがえる頭」も「おもいやる心」もあるから、大きい子や強い子は、小さい子や弱い子を守ったり、手伝ったりして助け合うことが出来るんだよね。う~ん、ちっと説教臭かったかな。でも、この出来事の中には子どもたちに伝えるべき大事なことがある筈だ。
いつも、キックやパンチで友達を攻撃するやんちゃ坊主が神妙な顔つきで穴だらけのカイト君を見つめている。君の心に何かが響いてくれたかな?それだけでも、カイトくんの死はとっても意味あることになってくれるんだけどなあ…。

最期にみんなでお祈りをした。

カイト君が天国に行きますから、お守りください。アーメン