くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

ツキコの月そして、タンゴ

2005年10月30日 | 観劇
森光子さん、一度は観て見たかった。加えて、久々に舞台登場の“俳優”石田純一さんにも興味があった。前回の舞台、『愛しのジュリエット』が思いのほか良かったもので。どうせ観るなら千秋楽公演がいい。2階席だったけどチケ取り成功!銀ブラ経由で帝劇へ向かう。

先週のコクーンとは明らかに客層が違う。年配の方、それも熟年夫婦が目につく。ジーンズで出かけてしまう私なんかとは違って、服装もきちんとしていてみなさん、お金持ちの紳士淑女って感じ。中には東ファンの若い女性もいたけど、東も、もうすぐ40歳だものね。

芝居の内容云々より、何が凄いかって、それは森光子さんの一言の尽きる。御年、85歳にして、あの美貌、声、身のこなし。おさげ髪で登場した森さんはちゃんと少女に見えた。それが女優として出世していくにつれて色気を増していく。最後、弟を亡くして「しんちゃん、一人にしないで・・・」と泣き崩れた姿。その姿と余韻から寂寥感が伝わってくる。85歳ならではの円熟味を感じてぞくっとした。

文化勲章受賞も加わってお祝いムードも満点の千秋楽。最後、メインの出演者からご挨拶があった。さすが帝劇~。若い女優さんたちはこの舞台に参加できて嬉しかったという感想。気配りの石田さんはスタッフにも言及。森さんのためにがんばったって。それに対抗して東も森さんを持ち上げる。そして、最後は森さん。出演者、スタッフ全てを労い、帝劇に足を運んでくれたお客さんに対する感謝も忘れない。さすが年の巧です。加えて、タンゴも踊ってくれた。

芸能生活70周年を迎える森光子さんからみれば、50、60歳なんてまだまだひよっこだ。こんなに輝いている85歳がいるってこと事体、励みになる。こんなにステキに年をとっていける人がいるなんて…。もちろん、影の努力はものすごいのだろうけど。生きるって素晴らしいって思えてくる。

森光子さん、「素敵な舞台をありがとう」って素直に思った。

子どもの下ネタ・・・(^_^;)

2005年10月29日 | 保育園
秋晴れの曇ってない日 
 近くのお池をのぞいていたら
 大きな金魚 小さな金魚
 ボクはずっと見てました
 金魚さん金魚さん
 あなたはいつも長いウンチを
 お尻につけておよいでますね
 お尻が重く~ありませんか

昔、同僚から教えてもらった手遊び。秋晴れだと何故か歌いたくなる。メロディーラインはとてもきれいなのに変な歌詞…。手遊びというよりジャンルは振り付きの歌に近いかな。金魚さん(パチン!)金魚さん(パチン!)と手を打つところまでは静かな子ども達。でも次の“長いウンチを”のところで「ギャハハハハハ~」って受けるのだ。だって、金魚のウンチはお尻についてるじゃん。そのまんまじゃんって思うけど、子どもにとって“ウンチ”は格別なもの。1,2歳の頃は、自分のウンチがいとおしくって、トイレで初めて出たウンチなんぞは、流す時に名残惜しげに「バイバイ・・・」をするほどなのに、4、5歳になるとこの扱い。その他、オシッコ、オッパイ、パンツ、オシリも同じように反応する。

少し前に子どもの性教育についての研修に行ったことがある。大人が変な素振りを見せるから子どもが感じ取る。ありのままをありのまま照れずに伝えた方がいいというお話だった。変な素振りを見せた覚えはないのに、どうしてウンチには嬉しそうに反応するのかなあ。5、6歳って男の子らしさ、女の子らしさが出てくる年齢。会話の中から誰と結婚するとかしないとかがよく聞こえてくる。「ママと結婚する」なんて言ったあかつきには、「え~、お母さんとは結婚できないんだよ」ってやり込められてしまう。日によって結婚する相手が違ったりもするしね。スカートの中が気になりだすのもこの頃みたい。

男女平等とは言え、人間も動物だからなあ。まるっきり一緒にはなるわけない。女だからこそ出来ることとか、男だからこそしなければならないことって違う気がする。上手く役割分担をしていけばいいんじゃないのかな。

『この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたは、ご存じないでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。』by太宰治

金魚からまた随分と飛躍してしまった…

ペンキ塗り

2005年10月29日 | 保育園
靴箱のペンキが剥げて汚くなってしまったので、保育の合間を縫ってペンキ塗り。0,1歳児用は今年新しく作ったので、2歳児~5歳児用もお色直し。壁の色に合わせて柔らかいアイボリーに塗り替えることにした。

ペンキ塗りの前に汚れを取るためにヤスリをかける。電動のヤスリ機を使うが、この機械、振動も音もすごい。手がブルブルしてくる。子どもが「何してるの~?」と興味津々でのぞきにくるが、こっちは必死…。「靴箱きれいにしてるのよ。だから、あっちで遊んでて。危ないから。」なんて追っ払ってしまったよ。幸いお天気が良かったので、子ども達は外でたくさん遊んでたけど。

午後はお昼寝時間なのでペンキ塗りがはかどる。無事に4クラス分、塗り終えることができた。来週までには新しいネームプレートをつける予定。廊下の雰囲気が変りそうで楽しみだ。

ペンキ塗りといえば・・・、幼い頃のことを思い出す。昔、我が家はトタン屋根の小さな家だった。今でこそ、おしゃれなお家が多いけれど、昭和40年代は2階家=お金持ちって感じだった。「お友達の○○くんのお家は2階家なんだよ。家も2階家がいいなあ」と何度となく両親に言ってみたもんだ。「お金がないからダメ」と一言でばっさりだったけど(笑)。

トタン屋根の上に父がよく登ってペンキ塗りをしていた。小学校の頃、たまに私も屋根へ乗せてもらってペンキ塗りを手伝った。暑い日差しの中、汗をたらしながらペンキを塗るのが結構楽しかったし、屋根の上が好きだった。“労働”の後の冷たい麦茶もおいしかったし。

20年前に引っ越してきた現在の住まいは瓦屋根で念願の2階家。でもそろそろがたついてきてちょこちょことリフォーム中。新築の家を見るたびに「きれいでいいなあ」と思ってしまう。今の時代トタン屋根の家なんかなくなってしまった。耐震とかなんやらで新しい素材もたくさん出来ているみたいだし。こうやって振り返ると私の幼い頃がかなりレトロな時代に思えてくる。それだけ歳をとったってことなのね。

no control

2005年10月26日 | 藤原竜也
「藤原竜也写真集」が到着。考えてみたら…、タレントの写真集って今まで買ったことがない。近代能楽集のNY公演までを追ったとの触れ込みを目にしたんで、勢いでネットで購入しちゃった。

「近代能楽集」は凄かった。地味だけど濃~~い舞台。今の時代、あの俊徳を出来るのは竜也くんしかいない。また演劇賞をとるのではと勝手に思っている。そのくらい神がかり的演技で、本当に、観れて幸せだった。それが、諸事情で映像にはならないという。果てしなく…もったいない。あれは絶対残すべき。だから、たとえ、写真であっても俊徳があるのならと思った。

あった、あった、俊徳。楽屋から俊徳になっていく様子。公演終了後の安堵した笑顔。蜷川さんとの抱擁。そして大阪、NYへ・・・。この写真集、ドキュメンタリーだ。竜也くんが23歳の今、この瞬間を残しておきたかったっていう気持ちがよくわかる。話題のヌードはグリコのおまけって感じ。1粒で2度おいしい。

23歳ですごい経験をした竜也くんの未来はとてつもない可能性を秘めている。「世界で闘える役者になれるようがんばります」という本人のコメント。“戦う”じゃなくって“闘う”なんだよね。自分にも勝つことなんだよね。あっぱれな23歳だ。

青山界隈

2005年10月23日 | 日常あれこれ
神奈川県って都会のようで都会じゃない。うちの前はいまだ畑だらけ。都会といえば、やっぱ東京。渋谷、六本木、銀座…。高校生の頃、東京にものすごく憧れた。大学は東京へ行きたいと。東京で遊びたかったんだよね。安易な私は福祉職希望だったにも関わらず、福祉科、保育科に加えて、場所で選んで英語科も受けた。結果、全て不合格。大学受験を甘くみてた。今になって思えば、都会にこだわらず、推薦をとっておけばよかったんだけどね。結局、県内の保育科へ通った。おかげで、遊ぶこともなくバイトに励めたけど。

でも東京への憧れをどうしてもあきらめ切れなかった私は23歳くらいの頃、青山にある作曲教室に週1回通い始めた。それも高い授業料を払って。なんで、作曲教室かというと、音楽が好きだったし、コード進行とかについても詳しく知っておけば仕事にも役立つかなと思ったから。あと、これが重要、青山だったから。お友達もたくさんできて結構、楽しかった。曲もたくさん作った。当時、岡村孝子が流行っていて憧れたもんだ。1回だけ、SONYのオーデションに密かに応募した。もちろん、落ちた。でも、落選のお手紙の下の方に鉛筆で「詩に魅力を感じました。がんばってください。」って走りがきがあったんだよ~。録音状態も悪い私の曲をちゃんと聴いてくれた審査員の方がいたんだって感動した。う~ん、でも本職を捨ててまでがんばるつもりはなかった。というか根性がなかった。たとえ、挫折してもチャレンジできる年だったけど。そこが私の欠点といえば欠点なんだなあ。

2年くらいやったかなあ。専科みたいなところへ進むと、プロデビューとか出来る人もいたけど、もう満足したので辞めた。青山といえども、ちょっとおしゃれな町ってだけで期待するほどのものでもなかったし。

金曜日、久しぶりに青山へ行った。渋谷駅前はものすごい混雑だけど、宮益坂を登っていくと少しずつ人通りもゆるやかになり、かわいいお店がぽつぽつと現れはじめる。一応、流行の発信地だからかな。神奈川にはないお店がたくさん。カナダのヨガウェアのお店なんかもあった。いずれもいいお値段で、スポクラと芝居に散財している私には優雅にショッピングする余裕はない。でも、せっかく来たんだからなあと、STONE MARKETというお店に立ち寄り、シルバーのリングを買ってしまった…。なんか、ネイティブインディアンの文字みたいな形で面白いでしょ。値段もお手ごろだった。

都会に対しての憧れはすっかりなくなった。人ごみは疲れるし、地元でもほとんど用が足りる。東京には、専ら、芝居を観にいってとんぼ返りということが多くなった。

天保東京千秋楽!

2005年10月22日 | 観劇
お祭り舞台は、お祭りのまま幕を閉じる。こんな舞台は、もうこの先めったにないだろう。まさに『THE舞台』という感じだった。

本日、ついに東京公演は千秋楽。皆さん、力を振り絞って飛ばしてる(半ばヤケ気味に…。)でも、さすがに随所に疲労の色が見えてしまったよ。夏の暑い盛りに稽古、残暑が厳しい折に初日、そして寒くなるまでの1ヶ月半は実に長丁場だ。昨日の前楽は、三世次の台詞がとんでしまうという大ハプニングがあったらしいが、今日も小さいのがちらほら。佐吉がトンカチを落とし、三世次のかつらがすっとんだ。観客としては、役者さんの素の部分が見えたりしてハプニングは大歓迎だけど、やっているほうはパニックだろうなあ。

15日の蜷川さんのお誕生日を楽にした方が盛り上がったまま終わったんじゃなかろうか。今日が、決して盛り上がらなかったわけじゃないけど、人間には限界もあるからなあ。皆さん、お疲れ様でした。

千秋楽といえば、カーテンコール。クラッカーが鳴って紙テープが舞い、三世次のテーマ曲「平和なときに」が流れた。何回目かに蜷川さんも登場して大拍手!でも今回は途中でもハプニングやら誕生日やらでいろいろ登場しているみたいだからな。いつもは、誰かが呼びに行って連れてこられる蜷川さんだけど、今日は一人で出てこられた気がした。竜也くんは、と~っても控えめ。ロミジュリや近代で蜷川さんとハグしていたのとは大違い。なかなか舞台中央に来ないというか中央を避けている。座長じゃないし、回りは先輩ばかりだしで気を使っているのかな。でも、竜也くん目当てのお客さん多いよ。王次登場の時、客席の空気が明らかに変るもの。だから、周りの大人たちよ、真ん中に連れてきてやんなよって思ってしまった。竜也くん唐沢くんと手をつなごうとするんだけど、唐沢くん冗談でつないであげなかった。おちょくられてる様子が面白くてツボだった。

オールスタンディングだったけど、引きも早かったな。客電ついたら、みんなすっと立ったもの。帝劇のエリザベートを見習って、もうちょっと粘って見たかった気もするけど4時間座りっぱなしは観ている方も疲れるよね。早く立って歩きたいのもわかる。日頃、立ち仕事をしている私は、じっとしている方が余計に疲れる。さ、明日は、エアロに行こうっと。

FRaU

2005年10月22日 | 藤原竜也
コスメ系の女性雑誌に、写真集に先がけて、竜也くんの記事が載ってます

「で、で、出た~!」って、ハムレットの亡霊ではありません。“はだかんぼ”の竜也くんです。以前からファンの間では話題になっていたけど、セミヌードではなくてホントにオールだったのね。本人にしてみれば、デビュー作「身毒丸」で堂々と脱いでるし、その他でも露出度多いからあんまり抵抗はなさそう。自然な流れでって感じ。記事を読んでみると今の自分のポジションやファンの要望とかも冷静に判断していて、仕事をする上で並大抵じゃないプロ根性を持ってる。充実感が伝わってくる。

でもマスコミが「ヌード」って煽ってるから、ファンの反応も様々みたい。ここまでしなくてもとか、価値が下がるとかいう意見もちらほら。その気持ち、すご~くわかる。でも、許容範囲が広いおばさんは、「ま、いいんじゃないの」って思うよ。これも、一種の通過点。不満があるといえば…、なして今なん?タイミング的にはエレファントマンあたりにもっと大胆にやっちゃった方がよかったんじゃないかなあ。

で、竜也くん、男というより…やっぱきれいなんだなあ。少女漫画の王子様みたい。昔は、こういう人種ってあんまりいなかった。少女漫画と現実はかけ離れすぎていて…。竜也くんの外見は、バーチャルに近くて人間じゃないみたい。睫毛もバサバサで、お目々もキラキラで。清潔感があるからいやらしさはない。絵を見ているような感じがした。

これで、注目度があがったことは確か。握手会のイベントもあるみたい。こっちの方が恥ずかしくて行けないよ~。ひそかに、ワイドショーをチェックしてその動向を見守りましょうかね。

胎内

2005年10月22日 | 観劇
一昨日、e-プラスから「胎内」限定販売情報のメールが突然きた。役者としての長塚圭史さんに興味があったので衝動的に申し込んで青山まで出かけていった。

関係者席を放出ということだったので期待したけど、サイドブロックの後方席でちょっとがっかり。でも円形の小さな劇場だから、役者さんとの距離はかなり近かった。

舞台は中央。後ろに大きな木のようなものがそびえたち、その下に小さな穴。見るからに“胎内”を髣髴させる美術。明かりが消え、心臓の鼓動と町の雑音が聞こえてくる。まさに胎内の赤ちゃんが聞いているであろう音で自分も胎内にいるような錯覚に陥る。

三吉十郎さんの戯曲はかなり固くて難しい。時代は戦後間もない日本。価値観を覆されて翻弄される主人公たち。閉塞された危機感の中の愛憎劇。“死”を意識した時に出てくる人間の本音。絶望と希望の交錯。でも最後のシーンでこの芝居のテーマは人間賛歌なんじゃないかなあって強く思った。

  …いつまでだって、生きて、栄える…それが人間だ…好きだ、俺ぁ。
  愛する、俺ぁ。
  どんな、どんなヘンテコな、下等な、愚劣なことしたって人間! 
  愛するよ俺ぁ!

戦後の日本は混沌の中から希望を見出してきた。大変な時代だったけど、生きることへの力強さがあった時代だ。ちょうど、私の両親はそんな時代に青春を生きてきている。だから、強い。精神的にも体力的にも。昭和一桁生まれってのに私たちは太刀打ちできない。本当の飢えを知っているってことは凄いことだ。いくら口で言われてもその辛さはわからないもの。

以前、阿佐ヶ谷スパイダースの悪魔の唄を観たことがある。それも、確か亡霊の兵士がでてきて戦争のことをパロッていたっけ。随所随所で笑えたし、どんでん返しもあったし、ほろっともさせられた。ちなみに主演の吉田剛太郎さん、今は「天保十二年シェイクスピア」で大爆笑させてくれてます。

長塚氏に対して、小劇場系の面白おかしいイメージを持っていた。でも今回の芝居は1度たりとも笑いが起こらない。終始、シーンとしていた。3人芝居だから長台詞もたくさんある。言葉の言い回しも難しいが、みなさん、熱演。伊達暁さんは相変わらず声がいいしテンポのある独特の台詞まわし。奥菜恵ちゃんの悪女ぶりにも迫力があった。照明が蝋燭だけという演出だったので全体が暗過ぎたのが残念だったかな。

長塚圭史さん、演出家としても舞台俳優としてもこれからの日本演劇界を背負っていくことでしょう。もちろん、竜也くんもだけど。

秋の遠足

2005年10月20日 | 保育園
昨日は大雨。おまけに台風も近づいていた。運動会は良いお天気だったけど遠足はだめかあと諦めていたら、なんと台風がそれてくれた…。

“室内で遠足ごっこをしてお弁当…”という頭の中での計画を切り替える。ばたばたとリュックサックに荷物を詰め込みあわただしく出勤!保護者の方も「今日、行きますか?」とまだ半信半疑の人も。でも、子ども達のハイテンションな笑顔を見たらこっちのテンションもあがってきた。

今回は3歳児から5歳児を電車に乗せて、2駅先の公園まで出かける。話し合いはしておいたものの、職員の緊張感が一気に高まる。集合時間になっても2名の子が来ておらず最終の人数が出ない。来たら何人、来なかったら何人と繰り返す。電車に乗せる時も1車両に4つドアがあるから1つドアにはおおよそ何人か決める。保育現場は案外“算数”が必要なのだ。

公園に到着してアスレチック遊びをするが、高いところに登っていく子どもをみながらハラハラドキドキ。「ちゃんとつかまってよ」「危ないよ」とつい声が出てしまう。子どもを信用してない悪い保育士だなあ。案外、子どもって落ちないものなのに…。

遊びを終えて広場でお弁当。外でお弁当を広げるのははじめての3歳児。自分の体より大きなピクニックシートに悪戦苦闘!でもお弁当やお菓子を並べて、嬉しそうだったなあ。4,5歳児は多少慣れているのでどんどん用意していた。それも仲良しグループで。クラス内の派閥?が垣間見られる。

お母さんのお弁当は力作ぞろい。日頃は給食なので、このときとばかりがんばってくれるのだ。愛されているってこういうことなのね。おにぎりをほお張る笑顔が幸せいっぱいだった。お弁当の後は楽しいおやつ。ここで、最新のお菓子情報が把握できる。私はあまりお菓子を食べないので、「こんなのもあるんだ~」と驚くことも。「おいしいよ。あげる。」としっかりおすそ分けもしてもらった。かみかみレモンとサツマイモのスナックがおいしかった。

再び電車に乗って無事に保育園に到着。園の門内へ全員が入ると肩の荷が下りた感じ。楽しい遠足が出来て良かった、良かった。さすがに小さい子の手を引っ張ってがんばって歩いただけあって、5歳児もお疲れ気味。布団の中に入ると、いつもとはうって変ってすぐに静かになっていた。・・・でも、お昼寝後はしっかり体力を回復!おやつの時間に残ったお菓子を出して、大騒ぎ!これもひとつの楽しみか。今日は特別だものね。

みんな今頃どんな夢を見てるかな…。

大型バスに乗ってます~♪

2005年10月16日 | 日常あれこれ
物心ついた頃から、どこへ行くにもバスのお世話になっている。家は自家用車がなかった。父は職人でいろいろな現場へ仕事に行っていたので、渋滞でも移動しやすいバイクに乗っていた。

乗り物の運転はどうも苦手。三輪車には乗れたけど、自転車に乗れない私。平衡感覚に問題ありなのかなあ。今だに平均台とか恐いし、バランスボールにも乗れない。ピラティスの先生からは出来ないんじゃなくて恐がりなんだよって言われたけど。

四輪あれば大丈夫なんじゃないかと教習所通いをして、車の免許は取得できたけど、ついに自分で運転できるようにはならず、いまだペーパードライバーのまま。免許証はもっぱら身分証明書としてしか使っていない。

バスの運転手さんは一人で一台のバスを任されている。大型バスには混んでいるときは70人くらいは乗っているのかなあ。お客さんも様々だから大変なこともあるだろう。「優先席付近では携帯電話の電源をお切りください」といっても平気でメールしてるしね。運転手さんも、手ごわそうな男性にはあまり注意しなかったりするし。ある時、メールをしていた高校生に優先席にすわっていたご老人が一言。「携帯の電源切手くださる?私、ペースメーカー入ってますので。何かあったら嫌ですからっ」ときっぱり。車内はし~ん。すごい説得力だ。すかさず、高校生、携帯しまったもの。かっこいいおばあちゃんだった。

混んでダイヤが遅れたりすると、ささいなことでけんかになることも。押した、押さない、ぶつかった、ぶつからないとかで。まるで子どもみたい。でも本人たちは熱くなっちゃってるからわからない。「お前、次降りろよ!」なんてことになっちゃってる。そこに、年配のご婦人から「降りると大事になるからやめなさ~い。」「急いでいるのはみんな同じなんだから。」と柔らかいお言葉。熱くなっていた二人も我に帰った様子。さすが年の功だよなあ。今、何か注意しようものなら逆切れされる恐れがあるからつい関係ないふりしちゃう。物腰とか言い方って大事。そういうのが咄嗟に出来る人ってすごいなあ。

こういうおせっかいっをやいてくれるのは大抵年配のおばさん。年配のおじさんは頑固で自分本位だったりするから。最近、若い人はコミュニケーションが希薄だよなあ。二人がけ席の奥にすわっていて、先に降りるような時、「すみません次降りますので」の一言がない。しぐさで示して、手前の人が察して動いてくれるのが当然と思っている感じ。動かないものなら「どうして動いてくれないんだよ」って動かない方が悪いような目で見るし。混んでいるバスの中で目の前の席が空いていてもすわらない。すわってくれれば空きスペースができるのに。そういう時は優先席でもすわっていいと思うんだよね。だから「両替をするお客様は通路の左側へ寄ってください」なんて当たり前のことまで運転手さんが言わなくてはならなくなる。

そろそろ日本の社会も、もう少し大人になってもいい頃じゃないのかなあ。自分のことを棚に上げて…思ってしまう。