訳詞者 関 鑑子・丘灯至夫
りんごの花ほころび 川面(かわも)にかすみたち
君なき里にも 春はしのびよりぬ
岸辺に立ちてうたう カチューシャの歌
春風やさしく吹き 夢が湧くみ空よ
カチューシャの歌声 はるかに丘を越え
今なお君をたずねてやさしその歌声
りんごの花ほころび川面にかすみたち
君なき里にも 春はしのびよりぬ
頭の中に、この歌がぐるぐるとめぐっている。ケラさん演出の「どん底」、原作はゴーリキーでロシア文学と聞いただけで暗くて固いイメージが先に立ってしまう。途中、寝ちゃったらどうしようなんて心配だったけど、そんなことは全くの杞憂だった。全2幕、3時間30分の大作にしては、とても笑えたし退屈しなかった。そして、なおかつ人間の本性について考えされた。とにかく上演台本が素晴らしい。古典を、現代に生き生きと蘇らせたケラさんの手腕に恐れ入った。とても共感できたし、すっと言葉が入ってきた。
屋根の下と屋根の上で物語は展開する。暗い屋根の下では、それぞれに過去をかかえ、重荷を負った行きどころのない住人達が巣食っている。時にいがみあい、争いながらも、励ましなだめ合う。苦労を知っているから人の痛みもわかる。ばらばらなようで、共同体でもある不思議な関係なのだ。そんなある日、どこからか現れた謎の老人が「希望」や「未来」について語りはじめ彼らの心を動かす。
ところが、周知のことであった泥棒と大家の妻との不倫が破たんしそうになり不穏な空気が漂い始める。一見、明るい屋根の上では、エゴむき出しの争いが繰り広げられやがて破滅が訪れる…。泥棒は大家を殺し、妻は妹と泥棒を陥れようとし、さらに妹も、姉と泥棒を悪者にしやがて発狂する…。
再び、暗い屋根の下。病人は死に、アル中の役者は自殺し、いつものどん底生活がもどってくるが、老人が語っていた一縷の望みを持とうとやがて住人たちは団結する。ケラさんがオリジナルで作ったというセルゲイという人物は、人間がもつ悪意や邪心や罪といった闇の部分を象徴するような存在で、彼らはカチューシャの唄を力強く合唱しながら彼を追い払うのだった。
君なき里にも 春はしのびよりぬ!
どん底にあえぎながらも、地下の住人たちは、それぞれに愛おしい人たちであり、生きるたくましさを備えている。生きることは苦しく辛いけれど、それでもなおかつ生きたいというエネルギーが勝る。
この「どん底」は、 ケラさんの代表作になるんじゃないかな。よくここまでやってくれたと思う。ロシア文学への敷居が低くなった。
最終的にゴーリキーと握手できる作品にしたかった。自分の「どん底」をつくることから逃げなかった。だから、少なくとも、自分からは堂々とゴーリキーに握手を求めて手が差し出せる。そして、ゴーリキーも「ま、いいんじゃないの」と手を伸ばしてくれるんじゃないかと語るケラさんの言葉に、やり遂げた自信を感じた。