長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

小説全部やってくれ!! ~映画『ドラキュラ デメテル号最期の航海』~

2023年10月27日 18時58分26秒 | ホラー映画関係
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございます。
 いや~、今年2023年も後半戦に入りまして、ハロウィンの季節が近づいてまいりましたね。みなさまのまわりでも盛り上がってますか、ハロウィン!?
 うちの地元・山形では、ぜんぜん盛り上がってねぇず……

 確かに100円ショップや雑貨屋さんではハロウィンコーナーって毎年できてて、そこは秋の風物詩として一応定着しているようなのですが、実際に魔女やドラキュラの扮装をして外を練り歩いている子どもがいるのかっていうと、ねぇ……東北地方はもう寒ぃし。
 うちの近所の上山市という所では、秋に「かかし祭り」っていうのをやるんですよね。まぁ、そこらへんが収穫祭という意味では海外のハロウィンに近いものがあるでしょうか。でも収穫を祝うというのはわかるんですが、そこに「化け物の扮装をする」っていう要素が加わる途端に、多くの日本人にとっては「?」となっちゃうんでしょう。
 その一方で、東京やらなんやらという大都会では、ハロウィンの仮装行列って盛り上がりますよね。あれやっぱ、寒ぐねぇがらやれんだべなぁ。特に娘っこだづはバニーだナースゾンビだって薄着になっがらなぁ……山形じゃまんず無理だべね。

 秋は年末に向けてなにかといろいろ忙しくなる季節なのですが、そんな中でもヘンな扮装をして一夜の余裕を楽しむハロウィンという行事の気持ちに、あこがれはありますけどね。非日常の空気を楽しむという点で、やっぱりハロウィンは正真正銘のお祭りなんだと思います。
 ということで今回はハロウィン企画といたしまして、ちょうどこの時期に山形市の映画館でかかっていた、この季節にぴったりの映画をお題にしたいと思います。こちら!


映画『ドラキュラ デメテル号最期の航海』(2023年9月公開 119分 アメリカ)

おもなスタッフ
監督 …… アンドレ=ウーヴレダル(?歳)
原作 …… ブラム=ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』第7章『デメテル号の航海日誌』(1897年)
脚本 …… ブラギ=シャット Jr.(?歳)、ザック=オルケウィッツ(?歳)
撮影 …… トム=スターン(76歳)
音楽 …… ベアー=マクレアリー(44歳)

おもなキャスティング
クレメンス医師      …… コーリー=ホーキンズ(34歳)
アナ           …… アシュリン=フランシオーシ(30歳)
エリオット船長      …… リアム=カニンガム(62歳)
エリオットの孫トビー   …… ウディ=ノーマン(14歳)
ヴォイツェク一等航海士  …… デイヴィッド=ダスマルチャン(46歳)
オルガレン二等航海士   …… ステファン=カピチッチ(44歳)
ペトロフスキー二等航海士 …… ニコライ=ニコラエフ(41歳)
ラーセン二等航海士    …… マーティン=フルルンド(?歳)
エイブラムス二等航海士  …… クリス=ウォーリー(28歳)
調理師のジョセフ     …… ジョン・ジョン=ブリオネス(?歳)
ドラキュラ        …… ハビエル=ボテット(46歳)


 いや~、なんという好タイミング! ハロウィンといえば、やっぱりこのお方ですね! ♪どらどらきゅっきゅっ どらどら~。

 ドラキュラ、わたし大好きです!
 吸血鬼が大好きという話は、我が『長岡京エイリアン』でも過去に名優クリストファー=リーの訃報とか、小野不由美原作の本格的吸血鬼アニメ『屍鬼』についての記事とかで、すでに触れていたかと思います。そうそう、『屍鬼』の主題歌を唄ってたのが BUCK-TICKさんだったんですよねぇ。しみじみ。

 そこらへんで、具体的に吸血鬼という空想生物……というかジャンルのどこが好きかについては、あらかた語ったかと思うので繰り返しませんが、文学は無論のこととして、やっぱり吸血鬼文化の華は映画ですよね!
 吸血鬼映画なんて、もう数え上げればキリがないほど無数にありまして、私も好き好きと言っていながらも、今現在も新作がどんどん生まれているこのジャンルの作品すべてをチェックしているわけではないので大きな口は叩けないのですが、それでもあえて私の中での各部門ベストを挙げるのならば、

ビジュアル(美術)ベスト …… 『ドラキュラ』(1992年)
ドラキュラ俳優ベスト   …… 『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)
ロマン風味ベスト     …… 『ノスフェラトゥ』(1978年)
不吉さベスト       …… 『吸血鬼』(1932年)
トラウマエロ度ベスト   …… 『処女の生血』(1974年)
日本の吸血鬼映画ベスト  …… 『呪いの館 血を吸う眼』(1971年)

 っていう感じになりますかね~。いや、ほんとに吸血鬼ってたくさんの要素が複雑にからんで成り立ってるキャラクター! 恐怖、ビジュアル、ロマン、不吉さ、そしてエロさ。
 こうして観てみると、吸血鬼っていうものはどうしたってキリスト教圏の産物ですよね。日本でももちろん吸血鬼文化は栄えてはいるのですが、先述の『屍鬼』にしろ上に挙げた『血を吸う眼』にしろ、ルーツを海外に求めないと説得力は生まれないんですよね。あとは岸田森サマとか岡田真澄さんとか、外見で強引に存在感をつけないと、日本での吸血鬼の跳梁は難しいですかね~。

 ともかく、さかのぼればなんと1913年の草創期から映画の題材になっているという吸血鬼は、1世紀を過ぎた今もなお、生ける人間たちを恐れさせ、魅了し続ける存在となっているのです。その命は、まさしく不死!
 そして、その輝かしい血みどろの歴史に、いま新たなる1ページが! というわけで、この『デメテル号最期の航海』なわけなんですが。

 この作品、いまひとつ話題にならない。

 なんでか全然わからないのですが、原作小説『ドラキュラ』(1897年)の一部をがっつり映像化している作品だというのに、Wikipedia でもドラキュラ関連の映画作品の中にまったく名前があがらないのです(2023年10月現在)。『ドラキュラ ZERO』(2014年)とか『レンフィールド』(2023年)とか、けっこう自由に『ドラキュラ』から離れている作品も名を連ねているのに、よっぽど原作に準じていると標榜している本作だけは無視されちゃっているのです。なんで真面目な子がつまはじきにされるのか……

 この映画『デメテル号最期の航海』は、何度も言うようにあまたある吸血鬼文学の中でも最も有名なキャラクター「ドラキュラ伯爵」の登場する長編怪奇小説『ドラキュラ』(作者・ブラム=ストーカー)の中の「第7章」のみをピックアップしてひとつの作品に仕上げたものです。
 ある作品の一部だけをつまみとって約2時間の映画になんて、できんの!? と思われるかもしれませんが、小説『ドラキュラ』はかなりボリュームたっぷりな一大スペクタクル長編でして、とりあえず手元にある創元推理文庫版をみてみましても、注釈ぬきの本文のみで543ページあります。なかなかのもん!

 ちなみに、今現在の日本で入手しやすいものだけでも『ドラキュラ』の訳書はかなりたくさんあり、この作品の今なお衰えぬ人気を雄弁に物語っております。以下、こんな感じ。
・創元推理文庫版『吸血鬼ドラキュラ』(1971年出版 平井呈一・訳)
・水声社版『ドラキュラ 完訳詳注版』(2000年出版 新妻昭彦&丹治愛・訳)
・角川文庫版『吸血鬼ドラキュラ』(2014年出版 田内志文・訳)
・光文社古典新訳文庫版『ドラキュラ』(2023年出版 唐戸信嘉・訳)
リライト小説
・角川文庫版『髑髏検校』(1939年出版 横溝正史・作)
・講談社版『菊地秀行の吸血鬼ドラキュラ』(1999年出版 菊地秀行・作)
・小峰書店版『ドラキュラ』(2012年出版 リュック=ルフォール・作、宮下志朗&舟橋加奈子・訳)
・集英社みらい文庫版『新訳 吸血鬼ドラキュラ・女吸血鬼カーミラ』(2014年出版 長井那智子・訳)

 どうです、よりどりみどりでしょ!
 私も全バージョンを持ってるわけじゃないんですが、やっぱり初の完訳版となった平井呈一大先生の創元推理文庫版と、フランスのバンド・デシネ作家ブリュチの雰囲気たっぷりの挿絵がすばらしい小峰書店の絵本版がイチ押しですね。絵本っていっても怖すぎて子どもに読ませられねぇ!
 あと、なにげに角川文庫版の表紙絵もいいですよね。山中ヒコさんによるイラストなのですが、一見ドラキュラらしくなくてピンと来ないのですが、小説を読んでみると、主人公のひとりジョナサン=ハーカーがロンドンのど真ん中で若返ったドラキュラ伯爵を見て心底恐怖する瞬間であることがわかるわけです。にしても、あのあっさり顔の美男子が、年とると手毛もじゃもじゃで眉毛つながりで息むちゃくちゃ臭いおじいちゃんになるんだもんね……加齢って、やーね。
 余談ですが、平井大先生が『ドラキュラ』の完訳版に先駆けて抄訳版を日本で初めて出版したのは1956年なのですが、それよりもずっと古い戦前にすでに『髑髏検校』を世に問うている横溝正史神先生は、やっぱスゲーな! あれ? 我が『長岡京エイリアン』でも、この『髑髏検校』をレビューしようとしてそのまんま塩漬けになってしまっている記事があったような……そっちの完成は、いつかな!?

 さらに余談になるのですが、今回の『デメテル号最期の航海』の日本公開に歩調を合わせたかのように、詳しい注釈のうれしい光文社古典新訳文庫版が今月出ています。思い起こせばおよそ30年前、私が思春期の頃にコッポラ監督版の『ドラキュラ』が公開された時も、確か新書版で小説『ドラキュラ』というか映画のノベライズ(竹生淑子・訳 ソニー出版)が出ておりまして、読みやすくショートカットされていることもあって、私は夢中になって読んでおりました。子どもにはちょうどいいサイズでしたよね! 文章だから、モニカ=ベルッチのエロエロ女吸血鬼とかウィノナ=ライダーの雨でネグリジェスケスケのたゆんたゆんとかいう不純な刺激もなかったし。ちきしょう!!

 とにもかくにも、一読瞭然、小説『ドラキュラ』はふつうの一人称もしくは三人称の語りによる小説ではなく、複数の登場人物の日記や手紙、当時最新技術だった蝋管式蓄音機による録音メモ、新聞記事などの断片資料が時系列順にならんで一つの物語を形成するという、かなり実験的かつアグレッシブな作品となっております。そこらへんをコッポラ版の『ドラキュラ』はなんとか映像化しようと四苦八苦していたのですが、たいていのドラキュラ映像作品は群像劇リレー形式をきれいさっぱり無視してドラキュラ本人か最初の主人公のジョナサン、もしくは後半の主要人物である吸血鬼退治の専門家ヴァン=ヘルシング教授あたりを主人公にすえたダイジェストとなっているわけです。小説全体をまるごと忠実に映像化するのは至難の業なんですな。

 そんな長大な小説『ドラキュラ』の中でも、今回スポットライトが当てられることになったエピソード「デメテル号の航海」とは、7月6日に東ヨーロッパの黒海沿岸にあるブルガリア公国(実質ロシア帝国領)の港湾都市ヴァルナから、イギリスのロンドンに向けて出港したロシア船籍のデメテル号という輸送貿易船が、8月8日から9日にかけての深夜に船長1名のみの変死体を乗せた異常な状態で、ロンドンからだいぶ北に離れたイングランドのウィトビーに座礁漂着したという事故の報を、たまたまウィトビーに来ていたメインヒロインのミナ=マリーが伝え聞くというだけの挿話です。
 こういった感じの間奏曲的なポジションで登場人物がまったくからまず、「ドラキュラがヨーロッパから海を渡ってイギリスに上陸したらしい」という情報だけがほのめかされる第7章は映像化の機会が特に少なく、有名作で言うとコッポラ版『ドラキュラ』でデメテル号の惨劇らしき映像モンタージュがトータル1分足らずセリフ無しで流れたくらいが関の山で、ヴェルナー=ヘルツォーク版『ノスフェラトゥ』では船員の死体と、ペスト菌を保有した大量のネズミを乗せたデメテル号が漂着する異様に静かなカットが印象に残るのみ。ベラ=ルゴシ主演の『魔人ドラキュラ』(1931年)やクリストファー=リーの『吸血鬼ドラキュラ』にいたっては、ドラキュラが船に乗ってイギリスにやって来るくだり自体が丸ごとカットされているしまつです。
 そんな中でも、デメテル号内での恐怖を比較的ちゃんと映像化しているのが、『ノスフェラトゥ』のリメイク元である最初期のサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)で、実は諸事情あってこの作品は21世紀現在、62分短縮版と94分復元版の2バージョンが存在しているのですが、どちらにしても、しっかり尺を割いてデメテル号の船内で跳梁する吸血鬼(ドラキュラじゃないけど実質ドラキュラ)と、それに恐れおののく船長と一等航海士の姿を描いています。やっぱ元祖は偉大なり!

 そして、この古典的作品『吸血鬼ノスフェラトゥ』について忘れてはならない……というか忘れたくてもインパクトがありすぎて忘れられなくなる重要ポイントが、いわゆる「ノスフェラトゥ型吸血鬼」の原点でもある、ということなのです。演じるはマックス=シュレック!
 ノスフェラトゥ型吸血鬼というのは、まさに読んで字のごとく、この『吸血鬼ノスフェラトゥ』で創始された吸血鬼のビジュアルパターンなのですが、一見してわかる通りの「禿頭」、「とがった耳」、「ネズミのように異常に長く伸びた前歯」、「死者のように真っ白い肌の色」といった外見的特徴を持った吸血鬼のことです。当然、ベラ=ルゴシやクリストファー=リーで定着した「黒マントと黒服もしくは夜会服」、「オールバックになでつけられた豊かな黒髪」、「長身で貴族的な身のこなし」、「異常に長く伸びた八重歯」といった特徴の「ダンディ紳士型吸血鬼」とは、まるで異なる系統のビジュアルなわけです。
 当然、世間で人気があるのは後者の方で、ハロウィンでド定番の扮装パターンになっているのはもちろん、コントで手っ取り早く吸血鬼が出てくるとすれば絶対に格好は黒マントに黒髪ですし、手塚治虫や藤子不二雄のマンガから今年のマクドナルドの CMにいたるまで、いつの時代でもまんべんなくお出ましになるのはカッコいい紳士タイプです。
 それに対してノスフェラトゥ型はといいますと、確かに知名度においては圧倒的に不利ですし、第一ハロウィンでわざわざハゲヅラをかぶってわしゃドラキュラじゃと言い張るような猛者も少ないと思うのですが、やはり100年前に世を驚愕させた『吸血鬼ノスフェラトゥ』のインパクトは絶大で、上述の『ノスフェラトゥ』以降も、スティーヴン=キングのホラー小説『呪われた村』(1975年)の映像化作品である『死霊伝説』(1979年)や、『吸血鬼ノスフェラトゥ』の撮影背景を大胆にアレンジした問題作『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(2000年)などで、思い出したようにたま~に復活するのが、いかにも陰気で不気味なノスフェラトゥ型なのです。中には、さっそうとマントを翻して闊歩するダンディ紳士型のようでいて実は……?といった意外性のある、やはりスティーヴン=キング原作の『ナイトフライヤー』(1997年)のような作品もあります。全体的に「わかってる人はノスフェラトゥ型だよね!」というマニアックな人気がある感じですね。


 そんな中で、やっと本題、今回の『デメテル号最期の航海』の話になるわけなのです。長い! 前置きが長すぎるよ!! でも、この歴史の厚みこそが吸血鬼文化よ!
 そう、この作品に登場するのは、明らかにノスフェラトゥ型の最新アップデート版なのです。これはネタバレにならないでしょ。だって、ドラキュラ役が、あのハビエル=ボテットさんなんですよ!? そんなん、彼がフツーに貴族然とした紳士に落ち着くわけがないじゃないですか!

 話を戻しますが、この作品の原作は、創元推理文庫版で言うと全体で543ページある小説の中のほんの一部、たった16ページの文章だけになります。新聞『デイリーグラフ』紙の8月8・9日付記事の切り抜きと、難破したデメテル号の船内に残されていた航海日誌のうちの7月6日~8月4日の記述だけがその内容すべてなわけで、そこに登場するのは、映画の冒頭で座礁したデメテル号の事故調査にあたる港町ウィトビーの警察関係者と、デメテル号船員の「ペトロフスキー」、「エイブラムス」、「オルガレン」、「一等航海士」、そして日誌を書いてデメテル号にひとり死体となって残っていた船長のみとなります。なお、原作小説によると船長はロシア人らしく(名前は言及されず)、日誌もロシア語で書かれています。「船員5名、航海士2名、コック1名、船長」の計9名がデメテル号の乗組員だと書かれているため、上記の他に船員2名と航海士1名とコック1名がいたはずですが、彼らの名前までは語られていません。

 対して今回の『デメテル号最期の航海』での乗組員はイギリス人のエリオット船長、原作通りのヴォイツェク一等航海士、ペトロフスキー、エイブラムス、オルガレン、コックのジョセフ、その他にラーセン二等航海士、エリオット船長の孫のトビー、飛び入りで航海に参加したクレメンス医師の計9名となる……はずなのですが。

 ここからは、小説『ドラキュラ』になかった映画オリジナルの要素についての話になりますが、ふつうに小説の当該箇所を映像化するだけでは、主要登場人物が全員死亡のバッドエンドまっしぐらですし、そもそも何者に襲われているのかさえ一切わからないまま死ぬという、脇役にしてもあんまりな扱いになってしまいます。しかも、映画は冒頭の大嵐シーンでデメテル号の座礁漂着した無残な船体と生存者絶望視のありさまをがっつり描写していますので、結論がもう出ちゃってる前提で、約2時間どうやって観客の興味を持続させていくのか、そうとう巧妙な舵取りが必要となっていくわけですね! 自分で自分を追い込んでるな~!!
 そこで実にうまく本作に組み込まれたオリジナル要素こそが、「クレメンスの飛び入り乗船」と「謎の密航者アナ」のふたつだと思うのです。

 要するに、船員全員が死亡という原作の描写に矛盾することなく希望の残るラストにするために、新聞記事と航海日誌という間接的な記録資料で成り立っている原作の特質を逆手にとって、「急場のアルバイト採用だったのでクレメンスは記録されなかった」という離れ業をやってのけたわけです。なるほど~! うまくやったもんです。そして、クレメンスが誰でもいい以上、ヨーロッパに新天地を見出そうとした先進的な黒人さんであってもいいじゃないかと。作品に新風が入りましたね。
 そして、オリジナル主人公クレメンスの登場以上に重要だったのがアナという紅一点キャラの追加で、なんとドラキュラ伯爵が「長旅のおべんと」感覚で持ってきていた地元トランシルヴァニアの村娘という、クレメンス同様のウルトラC で、この物語に参加してきたわけなのです。
 このアナの存在は当然、19世紀の輸送貿易船の常識としては考えられなかった「船に女性が乗ってる!?」という状況を作り出すことで、映画としても画面にアクセントが加わりますし、吸血鬼作品らしくほのかなロマンスも生み出す効果があると思います。でも、今作の船内状況はかなり切迫して衛生的にもギリギリなものですので、それでもあえてわけわかんない病人のアナにアプローチをかけようというオットコ前な船員はおらず、一様にヒロイン扱いせずに忌み嫌っていたのが印象的でしたね。アナふんだりけったり!
 また、アナ役の女優さんが絶妙に美人すぎないのもいいんですよね。ひたすら薄気味の悪い密航者という感じです。

 ヒロインの機能が無いというのならばアナの存在意義はどこにあるのかと言いますと、それはもう、今作の中での解説者、つまりはこのデメテル号に潜む恐怖の存在が何者なのかという肝の部分を、わかりやすく船員たちと観客に伝えてくれる役割なんですよね。これは重要です!
 つまりこれ、出てくるドラキュラ伯爵が定番のダンディ紳士型だったら、いつもの調子のよさでクレメンスか船長あたりを相手にして「冥途の土産に教えてやろう! わしはこれこれこういう目的で帝都ロンドンに引っ越すのじゃ。」みたいな聞いてもいない解説を自分からとうとうと語ってくれるはずなのですが、いかんせん今作の伯爵は恐怖一辺倒で比較的寡黙なノスフェラトゥ型ですので、めんどくさいからアシスタントのアナちゃんにかわりに説明してもらいました、という事情があったのでしょう。アナちゃんは『お笑いマンガ道場』の川島なお美さんかっつうの! イエーイ、令和にこの例え☆
 冗談はさておき、アナの説明をもって今作のドラキュラがますます無口になり、それによって「話の通じない絶対的恐怖」感が増強されたことは間違いないです。ウーヴレダル監督は、とにかく神経質なほどに、ハロウィンなどでの看板キャラとなり親しみさえ湧く存在になっているドラキュラ伯爵というイメージを一掃したかったのでしょうね。怖さマシマシ!
 イメージ払拭というのならば、「十字架持ってりゃなんとかなる。」という吸血鬼対処法を気持ちいいくらいにぶっ飛ばして襲いかかる伯爵の強引さも実に印象的でしたね。これ、確かに十字架自体は好きじゃないんでしょうけど、「触んなきゃいいんだろ、触んなきゃよう!」みたいな勢いで体当たりをかまして、十字架を吹き飛ばすか人間を気絶させるかしてからゆっくり血を吸うという、今作のドラキュラさんの非常にドライな対応に、実際の私達の生活の中での「クマ対策の鈴とかラジオの音」にも通じる問題点を感じたのは、私だけではないでしょう。え、私だけ!?

 すなはち、クマが人間の出す騒音を避けるのは、「人間の弱さ」を知らないからなのです。知らないからビビるだけなのであって、人間が自分たちクマと比較して格段に弱い生物であることを知ってしまった(人を殺してしまった)クマがもしいた場合は、音を立てようが何しようが全く効果はないといいます。
 これと同様に、十字架を持っている人間が弱い、つまり吸血鬼にビビりまくっているとしたら、十字架を持っていても意味は全く無いのでしょう。吸血鬼の脅しに屈しない確固たる意志を持った人間が掲げるからこそ、十字架は吸血鬼を退ける霊験を発揮するというシステムなのではないでしょうか。だから、そこら辺に落ちてた棒っきれと棒っきれを垂直に交差させれば吸血鬼は逃げ出すよ、なんていうことはあるわけないのです。「お前なんか怖くないぞ、お前なんか神の摂理に背いてるだけの寂しい異常者なんだぞ!」と胸を張って論破できる人じゃないと吸血鬼はやっつけらんないんだろうなぁ。ですから、敬虔なる禅宗信徒である私なんかは、ヴァンパイアハンターになれる資格はありません。

 なんか、今回の記事は吸血鬼モノへの愛情のパトスがほとばしりすぎて、いつも以上に支離滅裂なものになっちゃってますね……結局、映画の感想ほとんど言ってないじゃん!

 それでも字数が相変わらずのいい加減にしなさいラインを超えようとしていますので、そろそろまとめに入ってしまうのですが、今回の映画『デメテル号最期の航海』は、非常に手堅い秀作だと思います。
 そうなんですが、どうしても「壮大な物語の中の一部分のみを映像化した」スケールの小ささが否定できず、一つの作品としての完成度は申し分ないのですが、結局は「悪者が退治されない(物語が終わらない)」という消化不良感が残ってしまう作品であると感じました。いや、そりゃドラキュラ伯爵がイギリス狭しと大暴れするのはこの映画が終わってからなんで、しょうがないんですけどね。
 ウーヴレダル監督が、今作を制作するにあたって吸血鬼映画と同様に参考にしたという、あの超名作 SFホラー映画『エイリアン』(1979年)を例に挙げるのならば、ラストであのエイリアンがのうのうと地球に行っちゃうバッドエンドになっていいんですか?それで一つのエンタメ作品のオチにしていいんですか?って話なんですよね。終われないだろ~!

 だとしたら、あなた……やっぱこのウーヴレダル監督とボテット伯爵のペアで、今作の前後の『ドラキュラ』全部を映画化するっきゃないよね~!!

 やってほしいな~。いや、たぶん今作がヒットしたら、そうする腹づもりなんじゃないの? でも、これヒットしてるかな……

 でも、今作は本当にほぼ完全再現されている実物大の帆船セットのリアル感も雰囲気満点ですし、登場する俳優さんがたもうまい人ばっかりなんで、満足度は非常に高いと思うんですよ。特に、トビー少年を演じた子役のウディくんが上手なんだよなぁ! この子は将来有望だぞ。
 あと、ちゃんとドラキュラ伯爵が怖いというのも大事ですよね。そして、怖さがパワー推し一辺倒なんじゃなくて、濃霧の中や帆船の帆の向こうでばっさばっさと羽ばたく姿がほの見えたりする幻想性をまとってるのも高ポイントですよ! そうそう、今回の伯爵って、ノスフェラトゥ型なのにネズミ系じゃなくてコウモリ系なんですよね。ネズミは序盤で船から逃げちゃうんだもんね。

 ただ、なにかと原作小説にこだわっていながらも、どうにもこの作品の煮えきらないのは、ウィトビーのどこかにいるはずの原作小説の超重要人物ミナ=マリーが映画にいっさい登場しないとか、原作通りならば座礁したデメテル号から跳び出していくはずの、犬か狼のような野獣に変身したドラキュラ伯爵の姿がまったく描写されていないとかいう、そのくらいのファンサービスはしてほしいな~というポイントを完全無視しているところなんですよね。な~んか冷たいんだよなぁ。「続き、あるかもよ!?」くらいの見栄は張ってもいいと思うんですけどね。

 これだけじゃ終わんないですよね!? 期待してますよ~、ウーヴレダル監督!


 最後に蛇足ですが、人間、あこがれてると夢はかなうんだなぁ~と私がしみじみ感じた体験を、ちょっとだけ。

 私、何度も言うように吸血鬼が大好きなんですが、今年の夏、自分の部屋で寝ていてふと目を覚ましたら、闇の眷属たるコウモリちゃんたちがキーキーパタパタ、へやじゅうを飛び回っておりました……

 私の部屋、壁に通気口があるから、日中のあまりの暑さに避難していたやつらが、そこから入ってきたみたいなのね。コウモリが飛び回る寝床って……いや~、これで吸血鬼に一歩近づいたネ! よかったよかった。

 「飛びねずみ」とはよく言ったもので、日本のコウモリってちっさくてかわいいですね。ごみ袋ぶん回して全員捕まえて外に逃がすの、大変だったよ~。素手で触るのは、危険だからやめようね!

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