長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

うん、べつに続かなくっても、いいかな!?  2014年版『ゴジラ』 ~やっとこさ本文~

2014年08月09日 21時54分45秒 | 特撮あたり
≪映画本編に関する情報は、こちら!≫ 

 ほんでもって、観てきた感想なんですけれどもね。
 なんせ、現在絶賛公開中の映画の感想なので、詳しい内容にはさほど触れずに、ざざっと雑感のみをくっちゃべっていきたいと思います。と言っても、結論はもうこの記事のタイトルで言っちゃってますけど……

 いやいや、面白かったですよ! 面白かったんですが、まぁ日本の特撮ファン、ゴジラシリーズファンとしていろいろ思うところはあまたありました。

 まず、本題たる感想に入る前にこれは言っておきたいのですが、本作は、2010年から始まった我が『長岡京エイリアン』におきまして、史上初の「ゴジラシリーズ」におけるリアルタイム新作となるわけであります。ま、それが日本の東宝の映画作品でなかったことは正直残念ではあるのですが、それにしたって、首をおギドラさまのごとく長~くして待ち焦がれていた、満願成就の完全新作なわけ! これに興奮しないわけがありません。
 2004年の『ゴジラ ファイナルウォーズ』以来、ついに10年目にしての新作であります。『メカゴジラの逆襲』(1975年)~『ゴジラ』(1984年)だって9年、『ゴジラ VS デストロイア』(1995年)~エメリッヒ版『ゴジラ』(1998年)だって3年のブランクですよ。それ以上に待たされちゃったんですから、『ファイナルウォーズ』の罪は大きいよ~! いや、ひとり『ファイナルウォーズ』だけの責任でないことは当然なのですが、あれは確かに賑やかなお祭り作品ではあったものの、「ゴジラシリーズである必要ある?」みたいな、大事なところをぜんぶ北村龍平節に乗っ取られた「カマキリ feat.ハリガネムシ」的作品に成り果てていたと思います。つまるところ、北村監督に泣きついた時点で当時の東宝ゴジラシリーズの中天に、妖星ゴラスならぬ死兆星はあかあかと輝いていたってわけよぉ。

 悠久のゴジラ史上において、『ゴジラ』というシンプルなタイトルを冠した作品は、かつて3作ありました。全ての始まりの特異点となる偉大な第1作『ゴジラ』(1954年 本多猪四郎監督)、のちの「平成ゴジラシリーズ」の第1作に位置づけられるリセット作『ゴジラ』(1984年 橋本幸治監督)、そして直接の関連こそないものの、ハリウッド製という点において今回の作品の先達となる『ゴジラ』(1998年 ローランド=エメリッヒ監督)、この3作です。ハリウッド版は1998年版も今年の新作も通常『 GODZILLA』と表記されていますが、区別するのがめんどくさいので全部『ゴジラ』で統一させていただきます。

 これら3つの『ゴジラ』は、すべてオリジナリティに満ちた「はじまり」を担う原点的作品になっております。まぁ、1998年版はあまりにもオリジナリティがありすぎたために、後続はアメリカで制作された TVアニメシリーズ(1999~2000年放送 全40話)しかありませんけどね……

 これらの諸先輩方の中で、最も今年の2014年版『ゴジラ』に比較されることが多いのは、やっぱり同じくハリウッドで生まれた1998年版だと思うのですが、この作品の公開当時、いたいけな大学生だった私はウッキウキで劇場に向かい、上映後、かなり釈然としない表情で劇場をあとにしたことを昨日のことのように覚えております。いや、頭をからっぽにして楽しむ娯楽作品としては文句なしの一級品なのですが、これは「ゴジラ」ではないだろうと……
 いろんな感情は去来しましたが、結論として考えたのは、「西洋人に『怪獣』という概念は理解できないんだろうな。」というものでした。
 いくら身長が50m 以上になろうと、既存の戦闘機のミサイル攻撃で死んじゃうんだものねぇ。いちおう、作中に登場したあの巨大生物は、日本の一部地域で伝承されている伝説の怪獣「ゴジラ」とは別のもの、という逃げ道は作られていたのですが、1998年版が見せたのは人類科学の通用しない荒ぶる神のごとき天災としての怪獣の脅威ではなく、人類の創造した核文明の犠牲者となり暴走した巨大生物を駆除する際に生じた悲喜こもごも、というスケールのお話だったのです。『ジュラシック・パーク』シリーズや『ボルケーノ』(1997年)といったパニック映画のバリエーションのひとつでしかなかったわけですね。
 だいたい、「ゴジラ」を標榜してるのに、1998年はそれを象徴するテーマ音楽の印象がゼロに近いんですよ! いやいやいや、それはないよ!!
 伊福部昭神先生の昔から、怪獣映画には始めに音楽ありきなのです。そりゃ1998年版でも作中でゴジラの主題曲は流れてはいたのでしょうが、全っ然思い出せない! 思い出すのは当時アホみたいにパワープレイされていた、ジャミロクワイとか L'Arc〜en〜Cielのイメージ楽曲ですよ。いいから、そんなの!

 ちょっと前説が過ぎたのでちゃっちゃと本題の2014年版の感想に入りたいのですが、その点、さすが16年の歳月は無駄ではなかったといいますか、本作は、多少の惜しい点こそあるものの、1998年版とは雲泥の差で立派な「怪獣映画」になっていたのではないでしょうか。ほんとにビックリしました。
 なにがビックリしたかって、まずオープニングのテーマ曲と、それにともなう映像のコラージュが期待感&テンション爆上がりな堂々たる仕上がりになってるんですよね! 伊福部サウンドの「畏怖」の方向ではなく、そこはアメリカらしくホラー映画よりの「恐怖」を掻き立てるものにはなっているのですが、身長108m の、人類にとって非常に厄介な「なにか」が迫ってくるという緊迫感がビンビン伝わってくる音楽なんですよね! まず、本編なんかまったく始まっていないのに、この時点で +80点くらいは加算されてしまいました。つかみはオッケー!!

 あとはもう、着ぐるみでなく CG技術で表現する怪獣ゴジラにどのくらい重厚感を出せるのかという点が気になっていたのですが、全体的に「夜の闇」とか「水しぶき」とか「爆炎の煙」とかで、非常に上手くゴジラの全貌を見せない「じらし」の演出がかなり良い効果を上げていたと思います。最後のあたりの、パラシュート決死部隊がゴジラの巨体に接近を試みるところなんか、幻想的な映像美の域に入っていましたよね。ここらへんはかなり印象的でした。

 ただまぁ、実に面白い作品ではあったのですが、いろいろ「満足感」という意味で、日本の怪獣映画ファンとしては物足りない点も少なからずありまして。

・じらしすぎ? 「次回作に期待してネ」要素が多すぎるか
 まずなんと言っても、ゴジラが弱いですよね。
 昭和ゴジラシリーズファンとしては、1984年版『ゴジラ』からこっち、ず~っとぶっといビーム作画で出力のインフレ状況が続いていたゴジラの必殺技「放射熱線」が、今作でまさかの「煙ぼわぼわ描写」に原点回帰していたのには驚き入りました。ギャレス=エドワーズ監督、どんだけ原典愛が強いのかと!
 平成ゴジラシリーズを観て育ったファンが、さかのぼって昭和ゴジラシリーズの諸作を観た時にまず驚くのは、ゴジラの放射熱戦が「たいして強くない」という点だと思います。特に1954年版の放射熱線なんか、パトカーが半壊するくらいの威力しかないんですよ! でもその反面、見えない「被爆」の被害は甚大なのですが。
 そんなの、最新 CG技術でいくらでもカッコよくできるであろうに、今作のゴジラの吐く放射熱線は、吐くまでの背びれのチェレンコフ光の描写こそ美麗であるものの、かなりしょぼいものになっていると思います。まず、そんなにバンバン吐きませんしね。
 そしてゴジラ自身も、いかにも「寝起き」といった感じで、ぽっと出の新人怪獣ムートー夫妻を相手にして死にかけるくらいに頼りない強さになっているのです。大丈夫? これで地球環境のバランサーできんの!?
 でもこれ、明らかに続編以降にどんどんゴジラがパワーアップしていくためのお膳立てなんでしょうね。幸い本作も大ヒットしているようなので文句は言わないのですが、ただやっぱり、本作単体で言うとゴジラはいかにも本調子ではないように見えました。はよ、起きぃ!!

・ムートー夫妻の登場と造形、う~ん……
 まず、原点たるハリウッド版新シリーズの記念すべき第1作を、ゴジラだけで勝負しようとしない姿勢が、そんなに好きじゃない。
 作品の面白さの保険でライバル怪獣をぶつけたように見えるんだよなぁ。いらないだろ、そんなの……1954年版とか84年版みたいにゴジラ1頭で押し通してくださいよ! え? ショッキラス? あれは前座だからいいんですよ!
 なにかと批判の多い1998年版だって、大量のミニラこそ出てきましたが他の怪獣は出さなかったでしょ。その豪胆さは2014年版も見習ってほしかったなぁ。
 結局、この2014年版も、あの日本の「ミレニアムシリーズ」の第1作『ゴジラ2000』(1999年)と同じ轍を踏んじゃったような気がするんですよね。「怪獣 VS 怪獣」の構図を盛り込んじゃうと、ゴジラの個性がいまひとつ際立たなくなっちゃうでしょ。もったいない!
 まぁ、こんなこと言ってても、肝心のライバル怪獣がカッコよかったら手の平返しで私も文句を言わなくなるのですが、ムートー……カッコいいかぁ!? ああいう造形、アメリカの子ども達には大うけなのか!? 少なくとも日本では、ラドンやアンギラスなみに人気が出るのは至難の業かと思うのですが……
 あと、せっかくゴジラで怪獣の「生物感」を極力拭い去ってるのに、ムートーに雌雄があるという設定で思いッきり生々しくなっちゃってるのも、やっぱりなんだかんだ言っても、「怪獣」文化の西洋への伝播がまだまだ過渡期にあることを如実に示しているような気がしました。虫感とか生物感を強調してどうするんだよ……妖怪「手長足長」みたいに合体して「パーフェクトラブ♡ラブ♡ムートー」になったりしたら面白かったけど、それはさすがにレベル高すぎですよね。怪獣革命いまだならず!!

・ジャンジラ市、あぁジャンジラ市、ジャンジラ市。
 ハリウッド映画あるあるなんですが、今回も、ね……
 でも、実際に日本列島で原発事故が発生した地域を避けようとしたら、それはやっぱり東海地方に舞台が行くでしょうし、福島と東京の距離感と、本作でのジャンジラ市と東京とのそれにどれほどの隔たりがあるのかということを、アメリカの皆さんが理解するのはかなり難しいかと思います。そんなん、どっちも目と鼻の先じゃん!みたいな。だったらハデにやっちゃおうやということで、ジャンジラ市の描写がああいう大都市な感じになっちゃったんでしょうね。
 まぁ、フィクション作品なのでいちいち目くじらを立ててもいられませんが、やっぱりヘンな違和感は満載。

・この設定、ゴジラじゃなくて平成ガメラじゃんかよう!
 日本の特撮ファンの誰もがこう思いましたよね。
 でも、日本のゴジラの誕生設定を踏襲しちゃうと、ゴジラは完全にアメリカの被害者になってしまうので、アメリカの核実験うんぬん以前から頂点捕食者として地球にいました、という存在にまで持ち上げなければ作品の中心にすえられなかったという、ハリウッドならではの事情があったのではないでしょうか。本作でのゴジラは、日本列島から意識的に遠ざけられていますからね。その代わりにムートーが持ってこられたわけなのですが……いらん!!
 有史以前から存在する地球の守護者となると、こりゃもう金子修介監督3部作のガメラになっちゃうんだよなぁ。

・小顔のゴジラ、そんなにいいですか!?
 これは完全に私の主観なのですが、頭のちっさいゴジラって、そんなにカッコイイんですかね。なんかアニメチックで私、好きじゃないんですよ。
 しかも今作のゴジラって、ゴツゴツした溶岩とかケロイド状の皮膚じゃなくて、ワニみたいに整然とウロコが並んだ表皮になってますよね。それは核爆発にも耐えうるという設定があるからなんでしょうが、なんかキレイで筋肉質なゴジラって……ピンとこない。
 怪獣にその手のマッチョさとモデル体型はいらないだろう、アイドルじゃないんですから。荒ぶる神ですよ!? 小顔なナマハゲなんかいないでしょ。
 だいたい『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)あたりからミョ~に小顔になっちゃいましたよね。あの作品も良い点はたくさんあるのですが、機龍メカゴジラの暴走描写もしかり、アニメで先にはやった要素が特撮映画に侵食してくる感じって、イヤなんですよね。
 怪獣は、顔がデカくて足は短く太く! 迫力第一。


 まぁ、今回の2014年版『ゴジラ』に関する雑感は、以上でございます。
 今後のハリウッド版ゴジラのパワーインフレに期待はしますが、対抗する新怪獣がムートー系のデザインセンスばっかだったら、もはや日本のゴジラシリーズとは別のエンタテイメントとして切り離すしかありませんよね。もういいよ、そういう『クローバーフィールド』的なやつはよう!

 しかしなんと、早くもハリウッド界隈では、次回作にあの大御所どころのラドン、モスラ、そして我らがおギドラさまあたりが登板されるとか、されないとかいうウワサが!?
 CG でどういう風に復活されるかに若干の不安は残りますが、観たいですねぇ~、21世紀の『三大怪獣 地球最大の決戦』!! これはなんとしても、劇場公開の日まで生き延びねば。

 おギドラさま、やっぱり西洋のドラゴン風デザインになるんだろうなぁ……「ぴろぴろぴろ♪」なんていう声では鳴かないんだろうなぁ……

 愛しの宇宙超怪獣はやっぱり、神社の鳥居とセットでよみがえっていただきたいものなのですが……贅沢な注文はいたしますまい。
 でも、富士の裾野だけはカンベンな!! そこはキングコングさんにお任せしましょ~。
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